淮陰の城下の、淮水の河岸に着いた。
ここで韓信はよく釣りをして、時々大きな魚を釣って林媼さんの家に持っていったりする。飯を食わせてもらったりしている礼のつもりであるが、たいていはそのまま居座って食事を共にして、魚は自分が一番多く食ってしまう。
「私の商船は、あれでしてね。」
韓簫子が指差した先にあるのは、かなり大きな船であった。
伝統的な様式である。平底で升型の箱を連ねたような構造で、簡単であるが意外に強い。この型で外洋航海すら可能なのだ。大きな帆を張ったその船は、船溜まりの中でひときわ目立っていた。ずいぶん裕福な商売をしているようだ。
「しかしあれを使う訳にはいかないので。雇いで小舟を出すとしましょうか。酒は今酒売りに持ってこさせます。」
ほどなく、酒売りの下男が、甕入りの醸(かも)し酒を運んできた。酒の肴として、干した棗(なつめ)も袋に入れて持ってきた・
「暑気を払う肴には、これが一番いい。」
かくして、韓簫子の持ち船よりずっと小さな舟を雇って、韓信と麗花を連れて、淮水に乗り出していた。
初夏の淮水は、きらきらと水面を揺らせていた。
大河である。
北の河水(黄河)と南の江水とに挟まれた華北大平原の間を、やはり西から東に向けて流れている。桐柏山の源流から始まり、上流から下流まで平地を流れ去っていく。二十一世紀の現在は、中流より東の水路が土砂によってふさがれ、川は洪沢湖という大きな貯水池を作った後に南流して長江に合流してしまっている。だが二千年以上前のこの時期は、淮陰からまっすぐ東の海に流れていた。流域は麦や米を育てるのに好適で、農地を両岸に拓かせる豊かな川である。またこの川は泗水、潁水(えいすい)などの多くの重要な支流を流域に持ち、船舶の通り道としての意義も極めて大きい。
伝説では、この淮水は聖王の禹(う)が、その生涯を懸けた治水事業の一つとして、水路を掘り抜いて水を導いた川であるという。この淮水だけでなく、禹はさらに大きな北の河水や南の江水までも、彼一代の治水事業によって治めた。大陸中国を流れる九川(きゅうせん)を禹が治めたことによって、この広大な土地は人間が安心して農耕生活ができるようになったと伝説は言う。禹はその功績によって聖天子の舜(しゅん)に認められ、彼の後継者に指名された。その禹の子孫は王統を代々受け継いだ。それが、中国で初めての世襲王朝の夏王朝である。
一行の舟はすでに岸を離れて、水の半ばに来ていた。
船頭に舟の行く手を任せ、韓簫子はすでに数杯を進めていた。向かいに座る韓信にも、杯をすすめた。横に控える麗花が、韓信の杯に酌をしてくれた。
韓簫子は、河畔の風景を眺めながら、言った。
「実に雄大ですなあ、この無辺の乾坤(けんこん)は、、、蒼天の下、見渡す限りの水面と平原、山の影すら眺めることができない。聞こえるのは、燕の飛ぶ音ばかり。無憂の郷とは、このようなものを言うのでしょうか。
今、子(なんじ)は五石の瓠(ひさご)あり、何ぞ慮(くりぬき)て大樽となして江湖に浮かべずして、その瓠落(かくらく)として容れる所なきを憂うか?
このような言葉を、ご存知ですか?」
韓簫子の問いに、韓信は答えた。
「それは、、、『荘子』ではありませんか?」
「おお、よく知っておられる、、、学びましたか?」
「いや。ただ文章が面白いので、むかし興味を持って読んでみただけです。」
「水を容れる器にならぬ五石の大瓠でも、江湖に浮かべれば舟に変わることができる。大いなるものが通常の役に立つとは、限らないわけですね。」
そう言って、韓簫子は一杯を傾けた。横から麗花が、韓信の木杯に酒を注いでくれた。
「いや、どうも。」
彼女は、彼に言った。
「楽しむためには、あんまり急いで飲みすぎないことですよ。」
彼は酒の飲み方を、まだ充分に心得ているとはいえない。彼女に言われて、一呼吸置くために棗の実を頬張った。ほのかな酸味が、午後の暑気に心地よい。
韓簫子は、風景に心柔らかになって、言った。
「楚の土地は、広大ですな。この淮水は各地の支流を集め、徐・揚の二州を南北に分けて潤す。北の河水は崑崙の神山から発し、黄色い濁流が逆巻いて、その流れるところに深い渓谷をうがつ。まさに昇龍を思わせる、父なる川です。南の江水は源流すら定かでない西南の秘境から流れ来って、巴蜀(はしょく)・荊州を通って江東の呉に至る。流れる土地の水気を全てを容れて平然としているような、母なる川です。それに比べれば、この淮水は大きくも、優雅です。」
しかし、彼のこの川の批評に対して、地元民である韓信は別の見解を言った。
「しかし、この川が優しいのは、見かけだけですよ。」
「ふむ。」
「この辺りは一面の平野でしょう。大雨が降れば、たちまち氾濫します。そうしたら水は四方八方にどんどん拡がっていくんですよ。これまで何度も、この川に住民はひどい目に会ってきました。」
そのひどい目に会った中に、韓信の家族も入っていた。少年の韓信が勇名を馳せた淮水の大洪水は、しかし彼の母親と兄弟姉妹の全てを押し流してしまったのであった。
家長を失って残された家族は、残されたわずかな田畑を耕して、淮陰の郊外の小邑で暮らしていた。しかし大洪水で、家も田畑も全て流された。助かったのは、体力のあった韓信はただ一人であった。濁流の中を何とか泳ぎきって、気がついてみると朝だった。元の小邑はどことにあるのかすらわからなくなっていた。とりあえず淮陰の城内に入り、それからまだ引かぬ大水で大混乱に陥っている城下で、彼は大活躍をしたのであった。しかし、水が何とか引いて自分の小邑に戻ったときには、家族の誰も見つけることができなかった。
それ以降、彼は淮陰の城中の遠縁の親戚に寓居して暮らしている。
彼の家は貧乏でろくに母親の葬式もできなかったが、多くの命を助けた韓信のために城市の者たちがはからって、淮陰の郊外でいちばん高い丘の上に墓のための敷地をもらった。広大な土地の一角であったが、墓はごく粗末なものであった。貧乏な一人者の彼にとっては、それが精一杯であった。
そんなことがあるのだが、それをあえてこの場で語って場を白けさせるほど彼は愚かではなかった。代わりに、こう続けた。
「見かけは穏やかで綺麗ですが、ひとたび本性を現すともう手におえません。表裏のある川です。だから、河水が父なる川で、江水が母なる川だったら― 」
「だったら?」
韓信は、酒のせいか上機嫌でちょっととぼけて、横の麗花の方を向いて言った。
「その間にあるこの淮水はだね、、、まあ言ってみれば―」
麗花は、彼に聞いた。
「言ってみれば?」
「言ってみれば、嫁入り前の十代の小女児(こむすめ)!そのこころは、裏で何を考えているか、分かったもんじゃない!」
「わっ!それはひどいわ!」
「ははは、いや、君のことを言ってるんじゃないよ!」
「それでもひどいですよ!― でも、、、当っているかも。」
「ははははは、見事なたとえだ!」
韓簫子は、目の前の青年に、機知があることを見た。



