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五 天下の裏面(2)

(カテゴリ:101兵法の章

韓信はそのまま河岸に突っ立っていた。まだ近くにいた項伯と言われていた男が、彼に声をかけた。

「― 青年、その様子では、どうやらあなたも彼の神仙流に多少翻弄されたようですな。」
韓簫子の言ったことにも驚いたが、それよりも彼が任侠と関わりがある方が、驚いた。裏の世界を垣間見たような気がして、韓信は軽く戦慄していたのであった。
どう答えればよいかわからないでいる青年に対して、項伯という男は、言葉を継いだ。
「彼は、我々の船頭とでも言うべき人物です。決して過つことがありません。あなたは我々の引き連れている者たちを見て、少しく印象を持ったようですな。無理もない。ですが、この世界は表の面だけではない、ということに気付いた方がよいかもしれませんよ。」
「表の面だけではない、裏の面があるということですか?」
「そうです。今、天下は水面下で激しくうねり始めています。この広大な天下には、郷里の世界にいては見えない動きがあるのです。出遅れて牛後とならないように、若いのならば少し視野を広くするよう心掛けたほうがよいでしょう。あなたは、彼の目に止まったのです。近づいておくと、後々むしろ過たないかもしれませんよ。そこのところをよく考えなさい。では、私は城内の旅宿に戻りますので。ごきげんよう、韓信どの。」
そう言って、項伯は河岸を立ち去った。任侠の者たちは、ここに留まって船番をするようだ。
韓信もまた、城内に戻ることにした。

ここで少し、当時の中国の地方社会のしくみを書いておく。
古代中国の集落は、基本的に大小を問わず城郭で囲まれている。
小さいものは邑(ゆう)と呼ばれ、農村はこの邑が基本単位である。大都市はこの邑から出発して、次第に政治の拠点として選ばれたりあるいは交通・産業の要所として拡張したりしたものだ。だから淮陰のように城内に市を設定して行政の役所や官舎を備えたかなり大規模な城市でも、その住民の大多数は農民なのである。彼らは朝になると城外の農地に出向いていって農作業を行ない、日の暮れると共に城内に帰る。これが日常生活の姿であった。
こういった集落が十個程度ひとかたまりになると、郷(きょう)と呼ばれる自然な地方自治団体になる。反対に小さな邑も大きな城市も、その中では数十~百戸単位の自治体に区切られていて、里(り)と呼ばれた。里ごとには閭(りょ)という門がしつらえてあり、それぞれに監門(かんもん)などと呼ばれる門番がいた。それぞれの里の中には、自治会長の里正(りせい)と、年長者集団の父老(ふろう)がいて、中を取り仕切っていた。この郷と里を合わせた名称が「郷里」で、下から自然に発生した古代中国社会の最も基礎にある集団であった。
この他に、いくつかの里を集めた亭(てい)という単位もあった。秦の制度では、この亭が地方の治安行政の単位として指定された。その管理者は県によって任命され、亭長と呼ばれた。亭長という役職は今後頻出するので、あえて述べておく。
王朝は、その上に乗っかって県庁と郡役所を主要な城市に置いた。県と郡には、命官と呼ばれる官吏を派遣した。そうして地方採用の属吏に実務の大半を委ねながら、郷里に命じて租税と賦役の徴発を下達する。
王朝とそれにぶらさがる命官は、郷里の自治組織とはほとんど没交渉であった。最上段から、徴発を命令する存在である。
この地方社会の構造は、秦の時代にはすでに完成していた。そして以降近代に至るまでの二千年余りの間、ほとんど変わることがなかった。現在でも、おそらく実態は五十歩百歩であるに違いない。現代が遅れているというのではなくて、巨大国家における官僚制の構造は必然的にこのようになるしかないのである。これをもっと上下の風通しをよくしようと思えば、地方ごとに半独立の政府が置かれる連邦制しかない。しかし、伝統的な中国の国家観においては、国の分立はつねに忌まわしい異常事態であった。

話を戻そう。
韓信は、前も言ったように今朝がた南昌の亭長の所から、帰ってきたところだ。
今の時期は、農作業の繁忙期である。そんな季節に外出しているから、彼は嫌われ者になるのは当然であった。自分の里内の者たちは、そろそろ農作業も終えて帰ってくる時間になっていた。だがそこに鉢合わせするのは、いい気持ちがしない。そこで、別の里のいつも世話になっている林媼(ばあ)さんの家に、今日もしばらく立ち寄ることに決めた。
林媼(ばあ)さんは寡婦で、淮陰の多くのおばさんたちが同じくやっているように、城下の川面で綿を晒(さら)して業者に納入するのを収入の一助としていた。年は四十を過ぎていて、お世辞にももう美しいとは言えない。死別した前夫との間には、子もいなかった。だから、仕事の合間に暇を持て余しているのである。
そういうわけもあったので、淮陰の城市の中では居場所もなくて城下の淮水あたりでひもじく寝転がっていた韓信をあわれんだ。それで、一度昼飯を用意して食わせてやった。城市の嫌われ者で好意を受けることなどまずなかった韓信は、媼さんの好意がうれしかった。
「出世払いするからな、いや絶対。」
「口だけもらっとくよ。大の大人が、何もせずにぶらぶらしているんじゃないよ、みっともない。早く真面目に働いたらどうかね。」
「働くさ。大きなことをして働くのさ。今はその準備期間だ。」
「志はあるようだけど、雲をつかむようだねえ。やる気になれば何でもできるのが、若い男だ。その分あんたは、やる気のない連中よりはずっとましだよ。志を枉げろとは、言わないさ。でも、それだったら機会を逃すんじゃないよ。人は生きていれば、一生に一回は自分を高いところに押し上げる機会が巡ってくるもんだ。もしあんたが大きなことをして働きたいんだったら、自分に巡ってきた機会を逃してはだめだよ。そこで自分の道をきちんと敷くことができなかったら、あんたは一生つまらない奴だ。そうなっちゃ、だめだよ。― 聞いてるかい、王孫(おうそん)?」
「何だよ、その呼び方は。おれは、庶民だ。」
「あんたが、王の卵だからだよ!― これからあんたのことを、私は王孫と呼ぶことにするよ。言い続ければ、あんたもやがて奮起して王にならざるを得ないってもんだ。ははは」
「王孫」は、もちろん原義は王の子孫という意味だが、この時代では男性を持ち上げて呼ぶ言い方となっていた。林媼さんは、韓信を半分からかいを込めて、こう呼んだのだ。こんなやり取りを食事中にしていて、韓信はすっかり気安くなった。
次の日も、韓信は昼食を頂いてしまった。その次の日には、韓信が川で釣った魚が食卓に上った。結局、綿晒しの作業が続く数十日の間、韓信は林媼さんと飯を食いっぱなしであった。
そんな林媼さんを、同じく綿を晒しているおばさんの一人が茶かした。
「なかなかいい男じゃないか。囲ってやるつもりなのかい?」
「ま、若い男といるのは、若返りの元だよ、、、!」
そんな林媼さんの家は、韓信が淮陰の城市で唯一居場所と言えるべき所であった。

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各章アーカイブ

           
第一章 兵法の章


           
第二章 伏龍の章


           
第三章 宦官の章


           
第四章 動乱の章


           
第五章 楚滅秦の章


           
第六章 死生の章


           
第七章 楚漢の章


           
第八章 背水の章


           
第九章 国士無双の章


                      
第十章 垓下の章



終章~太平の章