韓信の一応の実家は、林家とは別の里にある、彼の遠縁の家であった。南昌の亭長のところには数ヶ月も滞在していたので、本当に久しぶりであった。結局長い間無益に過ごしてしまった彼であったが、もはやそれもいつものことであった。
すっかり夜が更けてから、韓信はこっそりと実家に戻った。もう、皆が寝静まっていた。韓信は、家の隅で何もかぶらずに寝転んだ。
(今日の股くぐりの話は、どうせ実家にまで聞こえているだろうな、、、)
彼は、腕枕をして思った。
(まあ、しようがない。俺には俺の生き方がある。)
少しも気にかかることがなかった。自分にはこれ以外の生き方はないということが、今日の一日を終えた彼の結論であった。
何日か、実家で農作業をした。
股くぐりのことを城市の者たちからしょっちゅう揶揄されたが、気にも止めなかった。子供たちが彼の目の前で真似をしてふざけてみせても、そういうときには一睨みしてやれば十分だった。彼は背が高いので、凄みを見せれば子供には恐ろしいのである。
だがある日の夕方、農作業を終えて家に戻って来た後、実家の家長に奥の間に来るように言われた。てっきり、数ヶ月無為に過ごしたことを譴責されるのだろうと思った。
家長のいる、奥の間に入った。
「信です。このたびは、数ヶ月間家を離れて、誠に申し訳ございませんでした、、、」
だが、家長は怒った風情ではなかった。彼は、韓信に言った。
「そんなことはどうでもよい。里の父老から、お前の身を借り受けたいと言ってきた。父老がお前を呼んでいる。すぐに行くのだ。」
何のことかよくわからなかったが、韓信は里の父老の家に赴いた。
初夏の夜である。この時代には、よほどのことがない限り庶民は夏の夜に火など灯さない。だから、月明かりと星明りだけに照らされて、後は真っ暗なのが普通である。しかし、父老の家の窓からは、明りが漏れていた。韓信は、戸を叩いて言った。
「韓信、参りました、、、」
中から、家の若衆の一人の声が聞こえた。
「韓信か、中に入りなさい。」
中に入ると、座敷には燭台の明りが晧晧(こうこう)と灯されていた。どうやら、来客がいるようであった。しかし、そこに父老と対座して座っていた来客は、明らかに見覚えがあった。
「あっ、、、亭長!」
「また貴様の顔を見なければならんとは、思わなかったわ!全く腹が立つが、いたし方がない、、、」
そう、数日前まで韓信が転がり込んでいた、南昌の亭長その人がそこにいたのであった。
彼はなかなかの人物であるという評判が、この淮陰にも広がっていた。韓信はそれならばと思い立って、ある日彼の下に赴いたのであった。彼が何月かごとに行なう、近在各所への出入りのこれまた繰り返しであった。
なるほど、確かに初めは「来る者は拒まず」の姿勢で温かく迎えてくれた。
「何をしたい?」と聞かれたので、韓信は「『官吏は庶民の法の師となって、法を学びたいと願う者には学ばせなければならない』と聞いています。ですから私は、亭長のもとで法刑を学びたいと思っています」と返した。それで、しばらく亭長のもとで秦の律令を読んだり、下達されてくるさまざまな詔(しょう)の転記や整理などをやっていた。
だが、逗留しているうちに、この亭長が周囲の人付き合いばかりを大事にして、中身がさっぱりない俗物であることが見えてきてしまった。韓信も韓信で、一日中書庫に籠もりっきりで、家の嫁にあいさつもしなかった。そうしていつしか「亭長の家には、変な奴がいるな」という周囲の評判が嫁に聞こえてくると、彼女の韓信を見る目は厄介者への怒りに変わっていくようになった。
ある朝、韓信が朝食のために部屋に入ると、何の用意もされていなかった。嫁は、朝早くに飯を炊いて、寝室で夫と共に食べてしまっていたのであった。嫁も嫁ならは、それを許した亭長も亭長だと思った。潮時だな、と韓信は感じた。それで、すぐさま亭長の役所に出向いて、啖呵を切って別れてきたのであった。
その亭長に、また顔を合わせるとは思わなかった。
父老に俺のことをねじこみに来たのか?ならば受けて立つしかない。しかし、こうまで目上の者が揃っては、自分は圧倒的に不利だ、、、
そんなことを考えながら、下座に平伏していた韓信に、父老が声をかけた。
「韓信。明日、彭城(ほうじょう)に起て。彭城で、こんど郡守が各城市の代表者の会合を催す。この淮陰にも、招待状が回っているのだ。淮陰地区の代表としては、この亭長どのに行っていただく。だがお前をぜひとも派遣してほしいとの意向が、下邳の筋から届いた。明朝、この亭長どのと一緒に、彭城に向え。」
父老の申し付けは、意外なものだった。
韓信は、この予想しなかった言葉をどう捉えてよいか一瞬わからなかったが、とにかくも顔を上げて、父老に返した。
「、、、どういうことでしょうか?よく話が飲み込めませんが、、、」
「泗水・淮水の川筋の城市の父老の間には、いろいろ貸し借りというものがあるのだ。下邳から申し出てきたことならば、受けなければならん。どうしてお前を指名したのかは、私も知らん。だが、淮陰の代表の一人として行くのだ。決して他郷の者の前で、わが郷里の名を辱めるようなことをするでないぞ。」
父老の言う貸し借りとはどういうことであるのか、韓信などにはわかるものではなかった。それは郷里の自治の一番奥にある、里正すら手の届かないところにある事情なのだろう。おそらく南昌の亭長は彭城に起つためにこの淮陰に来ていて、そこで父老から韓信を連れて行くことを告げられたのであろう。
父老は、付け加えて言った。
「そうそう。お前あてに、このような文が届けられているぞ。」
そう言って、懐から一片の木簡(もっかん)を出して、韓信に渡した。韓信が受け取って読むと、こう書いてあった。
ご足労をかけて申し訳ない。途中、下邳の私のところに立ち寄っていただけませんか。城市の南郭のいちばん突き当たりが、私の家です。
韓簫子
韓簫子であった。
彼が、韓信のために手を回してきたのであった。その意図するところは、まだ彼にはよくわからなかったが。
「下邳ならば、彭城に向う途中だ。お前は、そのお方の知己を得たようだな。そのお方は、下邳で最も信用が置ける。よく知り合いになっておくがよい。」
こう父老は、韓信に申し渡した。
実は父老は、韓簫子の正体を知っているのであるが、横に亭長がいる以上は決して口外することはできなかった。ごく内密に、父老たちの間で知られているに留まっていたのであった。秦の官吏も知らない、旧楚の郷里の裏面に伏流する秘密の流れであった。
この時代には、旧楚の人たちによってひそかに囁(ささや)かれていた、戯れ歌があった。
たとえ三戸と雖(いえど)も、
秦を滅ぼすものは、必ず楚ならん
実はこれが、韓信が酒の席で同学たちとささやき合った「ちょっと危ない」言葉であった。
風俗を最も異にし、住民の気概は中原諸国よりずっと激しい旧楚の者たちは、秦の強圧的な政治に表では従っているものの、その裏では復讐の怨念を隠し持っていた。いつか、ひっくり返す― その思いがあり、実は韓簫子もまた、この思いによって旧楚の地で守られていたのであった。
しかしそのような思いは表にも出さず、父老は、厳粛に韓信に言った。
「彭城には、淮陰や下邳だけでなく、下相(かしょう)、沛(はい)、外黄(がいおう)などからも人が来るであろう。天下は広い。見聞を、広めてくるがよい。お前には昔から秀でたところがあった。そろそろ、のらくらな生き方を改めて、天下のために働くことを考えてみてもよいかもしれないぞ?」



