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七 兵法を学べ(2)

(カテゴリ:101兵法の章

怒りに燃えた盗賊の一団が、城市の中央を縦断する通りをこちらに駆けて来る。その数は、十数人。いやもっと多い。韓信は、血相を変えて叫んだ。

怒りに燃えた盗賊の一団が、城市の中央を縦断する通りをこちらに駆けて来る。その数は、十数人。いやもっと多い。韓信は、血相を変えて叫んだ。
「こっちに来る!どこに、どこに逃げたらいいんだ!、、、」
そうしてあわただしく右、左を見た。
「と、とりあえず横の露地に駆け込もう!」
老人は、妙に落ち着いて言った。
「この城市の露地は、お前よりもあいつらの方がずっとよく知っている。入ってもすぐ追い詰められるぞ。」
「じ、じゃあ、、、」
と言って、あせって周囲を見回す韓信の目に、門の横に掛けてある城壁の上に登る梯子があった。
「あ、あれで、上に登る!」
「無駄だ。ここの城壁の上への昇り降りは、この一箇所しかない。あっという間に追い詰められて挟み撃ちになるぞ。
― 郷導(きょうどう。案内人)を用いざる者は、地の利を得ること能わず ―(軍争篇)」
「何ですかっ、それは?」
「とにかく、土地勘もないのに無闇に動くな!私の言うとおりに動けっ!」
「じゃあどこに行けばいいんだ!」
「決まっておろうが、」
老人は、門外を指差した。
「水の上よ。」

城門を出て、目の前の川べりに飛び出した。一艘の小舟が、河岸に係留されていた。
「あれを使え!そして、下流に向けて、漕いで漕いで、漕ぎまくれ!」

「しばらく行くと、対岸に下邳の支城がある。そこまで漕ぐのだ!」
韓信と老人は、小舟に乗って全力で漕ぎ出した。といっても、漕いでいるのはもっぱら韓信であったが。遠く後ろから、盗賊もまた数艘の舟に乗り込んで、追跡してくる。
「よし、漕げ!漕ぐのだ、青年!」
「なんで、こんなことをーっ!」
「今は四の五の言っている暇はないぞ!全力を出すのだ!それしかないだろうが!
― 善く兵を用うる者、手を携うるが若くにして一なるは、人をして已むを得ざらしむるなり ―(九地篇)
だ。」
「だから、なんなんですか、それはっ!」
「『孫子』だ。今、実地に兵法の訓練をしていると言ったであろうが。おお、速いわ速いわ!人間、追い詰められると思わぬ力を発揮するものよ!まことに、
― これを亡地に投じて然る後に存し、これを死地に陥れて然る後に生く ―(九地篇)」

韓信は、必死に漕いでいるから速い。しかし、敵は数人がかりで漕いでいる。逃げ切れるものではない。みるみるうちに数艘が固まりになって、追いついてきた。
後ろ向きに漕いでいる韓信の目に、敵の姿がだんだんと近づいてきた。兇悪な顔、顔、顔。怒りのために、兇悪さがますますひどくなっていた。追いつかれたら、直ちに肝まで抜かれて食われそうな気がした。
「何とか、奴らの気をそらすことができないんですかっ!このままじゃだめだ!」
「うむ、それはそうだな。」
老人は、そう言って懐をごそごそし出した。
そして、懐から一枚の白い円盤を出した。
先ほどの璧なのか?、、、違う。確かに大きさは、先ほどの璧と丁度同じであった。だが、よく見ると違う別物であった。
それを、先頭を切って追いかけてくる舟によく見えるように、左右に振って見せびらかした。
それから、にこりと破顔して、舟の上から真横にポーンと水中に投げた。
先頭の舟は、仰天して動きが止まった。それから、水の上に浮いているその円盤に向けて、全力で漕ぎ出した。それを見た老人は、呵呵大笑しながら言った。
「ははは、あれは米の粉を固めたものだ。遠くからでは壁に見えるだろうよ。」
そう言って、またも取り出した。さらに後ろを追っている敵がそれを見て、だまされたことに気づいて狼狽している。老人は、米の円盤を韓信に渡して、言った。
「投げろ、できるだけ遠くに!」
韓信は米の円盤を思い切り遠くに投げた。相手は、本物かどうかわからない以上、確かめに行かなくてはならない。次の一艘が、また落ちた地点に漕いでいった。老人は言った。
「よし、これで時間稼ぎができた。
― 強にしてこれを避け、怒にしてこれを乱す ―(始計篇)
もう少しのがんばりだぞ、青年よ!」

数里は漕いだであろうか。先ほどの詐術によって一時動きが乱れた敵は、詐術と分かってから再び態勢を立て直して、足並みを揃えて突進して来た。大挙して包囲するつもりなのだろう。老人は言った。
「よいぞよいぞ、奴ら一斉に集まって来たわ!己の利害に捕われれば、かくも人間は軽挙妄動する!
― 利を以てこれを動かし、詐を以てこれを待つ ―(兵勢篇)」
この場に及んでまだのん気に兵法の講釈をしている老人に対して、こちらは必死の韓信は返した。
「だめですよ、数が多すぎる、追いつかれますよ!ああっ、なんでこんな災難に巻き込まれなけりゃならないんだよ!もう駄目だ!」
「ふふん、諦めるのは早いぞ。もうすぐ対岸の支城だ。このまま、岸まで漕げ。」
「もうその後、逃げる力がないですよ!」
「対岸には勝利が待っている。心配するな。
― 勝を見ること衆人の知る所に過ぎざるは、善の善なる者に非ざるなり ―(軍形篇)
よし、着いた、それっ、城門に駆け込め!」
老人は踊るように、舟から降りて河岸を駆け出した。見かけの年からは想像もつかない、やんちゃな爺さんだ。
韓信は両手がフラフラになりながらも、とにかく老人の後を付いていった。

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各章アーカイブ

           
第一章 兵法の章


           
第二章 伏龍の章


           
第三章 宦官の章


           
第四章 動乱の章


           
第五章 楚滅秦の章


           
第六章 死生の章


           
第七章 楚漢の章


           
第八章 背水の章


           
第九章 国士無双の章


                      
第十章 垓下の章



終章~太平の章