韓簫子の言うところによると、郡守は新任で、顔見せのために郡内最大の城市の彭城に周辺各地の代表者たちを招待したという。会場は、彭城の城内の県庁だという。
「ずいぶん派手にやるみたいですね、、、何かあるのかもな。」
「何かって、何が?」
「さあ?― 」
ということで翌日、韓信は南昌の亭長と共に、彭城に向った。亭長は、朝帰りした韓信に言った。
「一体、朝まで何をしておったのだ。」
「いや、何も、、、」
この亭長とは、今さら特に話すことなどなかった。黄生とのことも、韓簫子とのことも。
彭城は、秦においては彭城県が置かれた城市で、現在の江蘇省徐州市に当たる。この時期から二百年ほど経った西漢(前漢)末期の状況であるが、『漢書』地理志には彭城について、
戸数 四〇一九六、鉄官アリ
と、記録されている。戸数で四万強あるのだから、おそらく定住人口はその四~五倍程度はあったに違いない。これに非居住者の商人その他を加えれば、これは古代における大都会であると見てまちがいないだろう。確かに戦国時代には、秦の咸陽、魏の大梁、趙の邯鄲、斉の臨湽(りんし)といった、もっと大きな巨大都市が存在していた。しかしながら、これらの城市は戦国諸国の首都であって、貴族と官僚とその家人が住む政治都市である。だが彭城は国家の首都ではない。泗水の流れに沿った水運の要所に位置し、魏・斉・魯地方への自在の交通の便に恵まれている。そのような場所に勃興していた彭城は、もっぱら商工業で生計を立てている城市であった。最末期の楚の首都は南の寿春(じゅしゅん)にあったが、寿春の政府から見れば、この彭城は国の辺境である。しかしその辺境の向こうには中原諸国があり、最も経済と文化が発達した地方があった。彭城は楚と中原諸国の境界に位置する城市であった。だから旧楚の領域でありながら魏や斉などの隣国人の出入りが盛んであって、楚なのに楚とは違う匂いを交えた独特の気風を持った土地であった。
泗水と汴水が合流する舟だまりのそばに、彭城があった。
淮陰や下邳などとは比較にならない大きさの城市である。住居の数が違う。市場の規模が違う。職人が住む工業地区がある。何よりも、ここには人を引きつけてやまない、快楽を得るための地区がある。闘犬・闘鶏を行う広場がある。演劇を見せる館小屋がある。剣技・奇術・曲技を見せる一行が巡業をする、河原の桟敷がある。そして、昼の闇、夜の花、朝寝の巷(ちまた)である、大小の娼館がある。
「前にも、ここには来たことがある―」
韓信は、彭城の通りを一人で歩いていた。
「前に来たときは― 斉に労役の徴発に出たときだった。この彭城で、集合したな。だがあのときは、何の印象もなかった―」
その頃は、世の中つまらなく思っている真っ最中であったと記憶している。そんな心境のときに異郷に行っても、何の印象も心に映らないものだ。そういう心持ちの時には、何もかもが同じように見えてしまう。違いを興味を持って嗅ぎわけるような心境には、初めてこの城市に来たときの韓信はなかった。
その彭城に、また戻ってきた。少し、照れくさかった。通りから時々魏や斉の言葉が混ざって聞こえてくる。少し、昔より言葉が変わったな、、、と、彼は思った。何となくの印象であるが、斉や魏の言葉から、楚の言葉との違いが小さくなったような気がした。自分の言葉は昔と変わっていないはずだから、斉や魏の言葉が楚の言葉に近づいているのだろうか?― そんなことを、思いながら再び来た城市の通りを歩いていた。
「咸陽は、いま次々に建築が新設されてどんどん大きくなっているという、、、旧六国の宮殿を全て移築し、望楼の数は二百七十、それら全てが復道・甬道(ふくどう・ようどう。いずれも壁で外と隔てた通路)でつなげられているとか。それでもまだ足りなくて、都のそばの阿房(あほう)の地に、とてつもなくでかい新宮殿まで造営されるそうだ。咸陽は、この彭城よりももっともっと大きいんだろうな、、、ふん、全国から刑徒を集めて強制労働で作った都だ。そりゃあ天下ぜんぶの力を集めれば、大きなものも作れるだろうよ、、、だけど、一度は見てみたいもんだな、、、それよりも、会合はもう明日だ。韓簫子に言われた人物について、もっと手がかりを得なければな。きのう、外黄の張耳がこの彭城に豪勢な一行を連れてやってきた。そこに寄ってずっと一行を見ていたのだけれど、そこに韓簫子注目の劉邦という人物は現れなかった。まだ来ていなかったんだろうか?でも今日は着いたかもしれない。とにかく、近づいてみることを心掛けようか。韓簫子が注目する人物ならば、その人物を通じて、全体の絵が見えてくるかもしれないし―」
などと考えながらしばらく寄り道をしていた。郡守の会合は、明日である。着いてから何とか時間を見つけては、できるだけこの城市に今やって来ている各地の代表者たちの噂を聞いたり、時には実物が船や車で到着する姿を見物したりしていた。豪勢な一行を連れてきた人物もいれば、ほとんどわずかの随従で飄々とやって来た人物もいた。その人物たちには、いかにも城市の代表者といった大仰な者が、何人も見られた。だがしかし、見かけは立派でも南昌の亭長のように中身のない人物もいる。まだまだ世間のややこしい仕組みを知り尽くしているわけではない韓信であったが、それゆえかえって見かけは立派な人間たちの、底の浅さの度合を測ってやろうという観察眼を働かせようと心掛けていた。
そのとき、通りがざわざわとし始めたのに気付いた。
こういった大都会には付き物の、宣伝を旨とする目立ちたがり屋が登場したようであった。韓信は、とりあえずはざわめきの方向を見た。酒店が立ち並ぶ辺りであった。
「やるなあ、、、絵に描いたような馬鹿だ!」
それは、韓信がちょっとうれしくなるような、異装であった。



