韓信は、ずけずけと質問した。
「それにしても、亭長は不思議な冠をしてますね―」
亭長は青年のこのぶしつけな問いを、むしろ喜んだ。
「これか?これはな― わざわざ薛(せつ)の職人に作らせたものだ。流行らせようと思ったんだが、なかなか流行らん。だけど、それでこれがかえって俺を代表する冠として、皆に知れ渡ってきたというもんだ。ま、それで十分だな。」
この竹の皮の冠は、後世「劉氏冠」と呼ばれて、本当に流行することとなる。だが、それはずっと後の話だ。
「まあ、飲めよ。若いんだろ?」
韓信は、横に戻って来た芸人のような男から、酒を汲んだ杯を渡された。
「いや、どうも― 淮陰の韓信です。お手前のお名前は?」
「亭長の同郷人、沛の周勃だよ。」
「簫(ふえ)吹きの周勃だ。葬式があると、先頭に立って簫を吹く。」
「だけど亭長のように、ホラは吹きません。」
「言うじゃないか。しかしこう見えても、こいつは強い。強弓を引かせたら、百発百中だ。」
「芸は身を助ける、ってことで― だが青年、なかなかいい男ぶりだな。さぞかし女にもてるだろ。彭城に来たのは― 女を抱きに来たか?」
と言って、周勃はわざと助平そうに、いひひひと笑った。
「ち、違います!違う、違う、、、」
韓信は、おやじが若者にするお決まりの質問を食らって、型どおりに赤くなって狼狽をしてしまった。この方面に関しては、韓信は全然だ。同世代よりも遅れている。
劉邦は、それを見て笑った。
「そうか、まだまだのようだな。しかし、女は経験したほうがいいぞ。自分を大きくするための、修行にもなる。お前ならば― その気になれば、女に不自由しないだろう。」
そう言って、気恥ずかしさを隠すために注がれた一杯を一気にあおった韓信を、眺めた。それから、劉邦は青年に言った。
「ふむ― だが、、、忠告してやろう。お前は、女一人の器だ。」
「へ?」
「なかなかに男前だ。その上に俺と違って上背がある。女は顔立ちが並以上で背が高ければ、それだけで何人かは言い寄ってくるものだ。その辺は安心しろ。だが、お前は根が真面目そうだ。それにあんまり欲も深くないな。だから女一人惚れさせたら、自分の器がいっぱいに満ちてしまうだろう。それ以上になると、あふれてしまって手に負えなくなる。だから、最後は女一人で落ち着いたほうがいいと言うわけだ。」
「はあ、、、そうですか。」
まるで見相家のように、劉邦は診断した。だが女のことなど普段考えもしない韓信だから、そう言われてもうれしくも悔しくもないのが、正直な実感であった。横の周勃が、すかさず韓信に言った。
「よかったな、青年!女一人でも、ありつければこの世は上出来というもんだ!俺なんか、俺なんか、いまだに女運が回ってこないよーっ!なっ、夏侯嬰!」
と言って、今席に戻ってきたもう一人の男の方に振り向いて、軽口を投げた。投げられて、男は早速返した。
「バカヤロー!俺はお前と違う!それに、呼び捨てにすんなよ、俺様はもう官吏なんだぞ!夏候県吏どのと呼べっ、県吏どのと!」
「なーにが県吏どのだ、洟垂れのくせに!昔、亭長と俺と廬綰とで、お前のことをどれだけ沛の悪少年どもから、守ってやったか!」
県吏どのの姓名は、夏候嬰である。やはり、沛の同郷人だ。一見普通に見えるが、胸の筋肉が見事に発達している。劉邦は、この舎弟も、韓信に紹介した。
「沛の厩司御(きゅうしぎょ。公用馬車の運転手)の、夏候嬰だ。もっとも、言っているとおり今は県吏に採用されているけどな。馬を操らせると、ちょっと右に出る奴はいない。こいつには、以前ずいぶん苦労をかけた。俺はこいつに、いつか報いてやらなければならない。」
「なあに、大したことないですよ。俺たちは、沛の仲間だ。」
「周勃も、夏候嬰も、いずれ俺がいい嫁を世話してやるからな。お前たちには、そのうち俺がいい目を見させてやる。」
「はいはい、頼みますよ、亭長!」
舎弟たちは、話半分で、しかし嬉しそうに聞いている。
だが劉邦は、その後妙に真面目な顔をして言った。
「俺は、そのうち大きくなる― 天下すら掴むだろう。なぜなら俺は、英雄だからな。」
亭長のこの言葉を聞いて、韓信は内心「はあ?」と思った。
しかし、周勃と夏侯嬰は、くっくっと笑い出した。いつもの大ブロシキなのである。劉邦は、かまわず続けた。
「俺は、人の上に立つ男だ。そう運命付けられているのさ。亭長などは、仮の姿よ。」
韓信は、この奇妙な自信に、どう答えてよいのかわからなかった。やっぱりただのホラ吹きなのか?韓信は、とりあえず相槌のように聞いた。
「運命が― その、あるんですね。人の上に立って、人を動かす。」
「そうだ。俺は、人が何を欲しがっているかが分かる。そしてそれを与える。元手がなければ、右から左に移して与える。そうすると、相手は俺に親しんで、近づいてくる。そうして、俺に与えようとする。そうやって与えられたものを、今度は左から右に返す。そうやって、左からも右からも支持される。簡単なことだ。だが、この簡単なことができるのは、俺しかいない。だから、俺は、英雄なのだ。」
一種の世渡り哲学であった。それが本当にできれば、世の中苦労しないという類のものだ。韓信は、ホラか本気かよくわからずに、自信満々の亭長に聞き続けた。
「なるほど。それで、元手なしでも人の上に立てる、と?」
「そうだ。その上、俺には特殊な能力がある。」
「能力?どんな?」
「俺はな、女を喜ばせるのが、抜群にうまい。これは、大身の男たちが全然できない、俺の特技だ。この能力が、俺をますます英雄にする。青年、お前はさっき言ったとおり、女一人分の器だ。この方面で英雄になろうとは、思わないほうがよい。」
別に、なりたくはないが― と、韓信は内心で思ったが、表では話に乗ってみた。
「じゃあ亭長、あなたの器は?」
劉邦は答えた、
「俺か?俺は― 」
少し息をついで、
「『多々益々善し』だ。底無しの器よ。」
と言って、にやりとした。とにかく自信だけはものすごい男であった。
(面白い人物だな、少なくとも―)
韓信は、この人物の独特さだけは、合点がいった。だがまだその真髄は、このとき分からなかったが。



