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十一 虞美人が舞う(2)

(カテゴリ:101兵法の章

柷(しゅく)の木槌の鈍い音が、トン!と打ち響いた。柷とは、古楽で演奏の開始を告げるための楽器で、四角い木製の箱の形をしている。この箱の内側を、木槌で叩いて音を出す。あくまで合図用の楽器であるので、高らかな音は出ない。

それから笙(しょう)の音色が、響き渡り始めた。古楽において演奏を通じて吹かれる、竹と瓢箪で出来た管楽器である。透明で動きの少ない音色が、宴席の広間を支配していった。

楽隊の一人が、簫(しょう)を吹き始めた。簫は、あの韓簫子が、時に吹いて慰めとしている竹製の笛である。劉邦の舎弟の周勃もまた、葬儀の場でこの笛をしめやかに奏でる。数本から十数本の細竹を違う長さに切って頭を揃えて横に束ね、竹の切り口を吹いて音階を出す。西洋のパンパイプと同じ構造の楽器である。哀愁を帯びた、もの悲しい響きがする音色であった。

鼓(こ)の一打ちが、そこに重なった。もう一打ち。さらに一打ち。楚の音楽は、北方の魯や斉の音楽よりも情熱的で、沸き立つ感情を表す調子がある。歌もまた、『詩経』に収められた北方の歌は一聯(れん)四語の安定した調子で歌われる。農作業の歩みにも似た、ゆるやかな節回しである。一方『楚辞』に収められている楚地方の歌は、六あるいは七語の聯を転変させる流動的な調子が基本である。より歌謡的で、歌そのものの哀切歓喜を感じ取るような節回しであった。

そして、歌い手が歌い始めた。


「帝高陽之苗裔兮、朕皇考曰伯庸、
私は帝高陽の末裔、亡父の名は伯庸(はくよう)。

「攝提貞於孟陬兮、惟庚寅吾以降、
庚寅(かのえとら)の日に生まれ、生まれ年もまた寅年、歳星(さいせい。木星)は正月に正しく寅の方位にありました。

「皇覽揆余於初度兮、肇錫余以嘉名、
亡父はその生まれ日を喜び、生後初めてよき名を下された。

「名余曰正則兮、字余曰靈均、
すなわち名付けて正則(せいそく)、字して靈均(れいきん)。

「紛吾既有此内美兮、又重之以脩能、
この私、内においてはすでに美しく、その上才は世に長ける。

「扈江離與辟芷兮、紉秋蘭以爲佩、
江離(こうり)・辟芷(へきし)の草をまとい、秋蘭(しゅうらん)の花を連ねて帯となす。

「汨余若將不及兮、恐年歳之不吾與、
なのに、時の流れに取り残されそうだ!忌まわしや、歳月は私を待ってくれない。

「朝搴之木蘭兮、夕攬洲之宿莽、
朝(あした)に丘の木蘭を取り、夕(ゆうべ)に川州の宿莽(しゅくぼう)を摘む。

「日月忽其不淹兮、春與秋其代序、
日月は流れてとどまらず、春、秋、春と入れ替わる。

「惟草木之零落兮、恐美人之遲暮、、、
私は草木が枯れ果てる樣を思い、そしてあの人がついに来遅れてしまうことを、恐れるのです、、、


座の者たちが、この歌を聴いて、面食らった。
「これは『離騒』ではないか、、、」
「こんな歌を、宴席で、、、?」
『離騒』とは、旧楚の貴族であった屈原(くつげん)が書いた、長編の詩である。彼は楚の政府で最も有能で、内に王と国事を論じて命を下し、外に賓客を接遇して諸侯を応対した。しかし、そのような彼の活躍は同僚の憎むところとなり、彼は讒言された。楚の懐王は家臣の正邪を見抜くことができずに讒言を信じ、ついに屈原は疎んじられるようになったのであった。清廉すぎて世に受け入れられることのない自らの境遇を嘆いた彼が、自らの詩才を存分に発揮して歌ったのが、この長詩『離騒』であった。自らを「内においてはすでに美しく、その上才は世に長ける」存在として規定し、その自分が「あの人」(原文では「美人」)を振り向かせることができないで空しく時を過ごしてしまうかもしれないことを恐れる。その無念の思いを、華麗な修辞と神仙世界の描写を織り交ぜて描いている。それは悲憤の調べであり、ゆえに宴席の場には似つかわしくない。作者の屈原は、その後国に失望して汨羅(べきら)の河畔に身を投げるのである。

秦の郡守の宴席においてこの歌で舞おうという、虞美人の心根はどうであろうか。郡守は幸いに無教養ゆえにこの詩を知らなかったが、連年赴任している周りの郡県の首脳の中には、この歌が楚人に及ぼす微妙な意味に、すでに気付いている者もいた。すでに焚書の時代である。反抗の調子を隠す言説は、たとい歌謡であっても抑圧しなければならない。そこで郡尉が音楽の中止に動こうとしたその瞬間、当の虞美人が入ってきた。

その姿は、席上の全ての者の口を封じるのに十分なものであった。何という姿であろうか。世に珍しい錦繍(きんしゅう)の絢爛たる上衣を打ち掛け、下には純白の地に芙蓉(ふよう)模様を縫い出した裳(もすそ)を従える。巻き上げたその髪はつややかに美しく、挿せる笄(かんざし)の群れは確かに白玉であった。眉は涼やかにして顔(かんばせ)は媚びることなく、白い肌をあえて汚さぬかのように、化粧は薄らかであった。
だがその腰に巻きつけている、うす紅紫色の小花は?あれは秋蘭(和名、フジバカマ)だろうか?― いや、秋蘭は秋の花だ、こんな初夏の時期にあるはずがない。しかし、虞美人が舞の仕草をするたびに、確かにかすかな芳香が漂って来る。実はこれは、工匠に作らせた造花であった。それに、香を含ませていたのであった。腰に秋蘭を帯びている虞美人は、何とまあ『離騒』の歌の主人公に、自らを擬しているに違いなかった。屈原の詩の本意においては、「あの人」とはもちろん主君のことであった。そうであるはずであった。しかし、虞美人が自らを『離騒』の主人公に擬したとき、詩の意味は一転して恋する者が見果てぬ相手に送る、果たせぬ求愛の歌そのものに変わった。それは、虞美人の心の底を垣間見せる歌でもあった。
華麗な刺繍が施された綾衣の錦の上衣もまた、通常ではなかった。右と左で文様が違う。左側には芰(ひし)の文様が浮かび、右側には荷(はす)の文様が巡っていた。これは、実は二人の男から贈られた品を、大胆に裂いて一つに縫い合わせたものであった。これは一歩間違えば異様であった。しかし、異様なはずの装束が、完璧な舞の仕草に運ばれたならば、それは非対称の美しさと化していたのであった。これらの装束、華麗かと言えば、奇矯でもある。粛然であるかと思えば、破壊的でもあった。女の美しさなどすでに分かりきったつもりであった列席の経験豊富なお歴々もまた、このような女は見たことがなかった。虞美人は、哀切を高める音楽の調子に乗って、広い宴席の間の中央に進み出た。このときの彼女が満座の男どもに投げ掛けた謎を、言葉にするならばこのようであっただろうか。

(左右対称の美などは、臆病の徴(しるし)。男女陰陽の調和などは、停滞の表れ、、、あなたたちに、その向こうにある世界が理解できる?)

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第一章 兵法の章


           
第二章 伏龍の章


           
第三章 宦官の章


           
第四章 動乱の章


           
第五章 楚滅秦の章


           
第六章 死生の章


           
第七章 楚漢の章


           
第八章 背水の章


           
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第十章 垓下の章



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