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十三 何処(いずこ)かに(2)

(カテゴリ:101兵法の章

虞美人を乗せた公用馬車は、県庁を離れて城市の西郭に向っていた。そこは遊郭のある地帯であったが、彼女は別格として某所に屋敷が用意されている。

この彭城の城市は広い。その上、普段ならいくぶんかは閑散としているはずのこの申(午後三時ごろ)の時刻であるが、城門を閉めたり、兵や求盗どもが走り回ったりして、にわかに騒がしい。そんな中を、この城市の道を知り尽くしている厩司御は、すいすいと馬首を巡らして走っていった。
馬車は、車蓋(しゃがい。天傘)の周りに帳(とばり)を下して、県令以下の高級官吏のご夫人たちが乗るときの仕様にされてあった。これで外から見ても、中にまさか妓女などが乗っているとは気付かれない。
「いつも大胆だね、あなた!」
「なあに、役人を倒すものは、結局度胸さ!あいつらに無いもので、対抗すればいいんだよ!」
妓女のような世界の女は、ふつう客の前でどんなに美しく振舞っても、その顔は作った顔である。
女なら何でもよいという魯鈍な男どもならば、それで無邪気にも喜ぶ。連中は、そういった女が裏に回るとどのような顔をして男を蔑んでいるかの想像力など、ない。彼らは、能天気な幸せ者である。
しかし、この虞美人は違う。
彼女は、顔を作ったりしない。こうして客の前にいない時でも、やはり同じように輝いているのである。彼女は、自分を着飾ることはするが、自分を作ることはしない。常に同じように輝き、同じように低い者たちへの軽蔑のまなざしを送る。それが、真の宝玉の輝きであった。
その並の女との差に気付いてしまった男は、彼女に参ってしまう。彼女が男を振り回して破滅させるという噂は、作り笑いをした女に傅(かしず)かれることに感覚が麻痺しているこの世の男どもが、このまれな女から感じる強烈な違和感から起こる、無意識の恐れを言葉にしたものであった。
彭城は、政治の都ではない。首都咸陽のような計画的に線引きされた街路などはなく、城市が何度も拡張されるに連れて張り出し継ぎ合わせした地区の集まりである。大きな通りはいくつか引かれているが、他にも至るところに中小の街路が斜めに走っている。
厩司御は馬車の大きさと街路の幅とこの時間の込み具合とを計算して、最適の道を走らせていった。運転は手馴れたものであるが、辻を曲がるたびにぐいんと揺れる。その衝撃は虞美人の好きなものだった。彼女は、馬車が揺れるごとに「きゃ!」と声を挙げて、その直後に笑いさざめいた。
「美人!君のその笑みは、他の女たちがする偽(にせ)の笑みとは違うよ― どうして女たちは皆、蝋をぬったくったような笑みしか、できないんだろう?」
「― そんな表情しか見せられないようにしているのは、一体誰?男じゃないの!この世の中じゃないの、、、!」

虞美人は、昔のことを思い出していた。
九歳のとき。
彼女は、同じ邑(ゆう)の別の里の年下の男の子を、川に突き落とした。
正確に言うと、突き落としたらしい、と言うべきだ。後から状況を考えると、自分がそうしたのであろうと思われるだけだ。自分の中には、その時の記憶がない。したがって事故だったのか、それとも故意にやったのかも、わからない。
ただその後のことで覚えているのは、後ろで遠くからやってきた父親が、真っ青な顔になって自分を見ていたことだけであった。
当時すでに彼女の故郷である旧楚の西方は、秦に征服されて郡に組み込まれていた。
ゆえにその人民に適用される法は、全て秦の法であった。その秦法では、犯罪者に対して年齢により免除する規定がなかった。後に漢の時代になって、成帝の鴻嘉元年の詔で「七歳未満で賊闘して人を殺した者、及び斬罪を犯した者は、、、、死罪を減刑することができる」と公布された。基本的に漢は初期において秦法を継承して、時代が進むに従い次第に刑罰をゆるめていったので、つまり漢法のもとである秦法においてもまた、幼齢者だからといって重罪を軽減するようなことはなかったということである。
その現場にやって来た父親は、何をしたのだろうか?
よく覚えていないが、川に突き落とされた子供を助けようとはしなかったようだ。あるいは、彼が見たときにはもう手遅れだったのかもしれない。ただ、父親は自分を抱きしめながら、「不幸だったんだ、、、生まれてきたのが、不幸だったんだ、、、」と言ってすすり泣いていたことだけを、覚えている。
父親に連れられて、夕暮れの川辺を自分の里のある邑に向けて帰っていったことを、覚えている。父親は、無言でうなだれていた。自分は、何をしたかもよく分かっていないのだから、秋の夕空に低く飛ぶ蜻蛉(とんぼ)の動きを、指先で追っていた。
その後、父親は、彼女に言った。
「いいか、、、今日のことは、誰にも言っちゃだめだぞ― どんなことがあっても。父と約束できるか?」
彼女は、答えた。
「― うん。」
「誰に聞かれても、『知らない』って言うんだぞ― 父とお前の約束だ、父のために守れ!」
「、、、わかりました。」
翌日、父親は死んでいた。邑の社(やしろ)の横の木で、首を吊っていた。
彼は、もと官吏の志願者で、律令などを読んでいた。
征服者の秦の官吏となろうとする彼を里の者たちは白眼視していたが、父親は「誰かが向こう側に参加しなくては、踏みつけられるばかりじゃないか、、、」などと言っていた。だが、どうも持続する性分に乏しかったようだ。その上、人間関係を結ぶ付き合いも、世渡りの術も決定的に欠けていた。結局は官吏にもなれず、父親は邑の中でいつも笑い者であった。小さい頃の虞美人は、この邑で父親と二人で住んでいた。覚えている限りで兄弟姉妹はおらず、母親がどうなったのかは全く知るところがなかった。
秦の法には、連座制と言うべき原理がある。
「什伍の法」とも言われるもので、人民を単位に分けて相互に監視させる制度であった。単位の一人が罪を犯したことを隠したら残り全員まで処罰し、逆に罪を告訴したならば褒賞を与える。こうして犯罪を隠すことを阻止しようという制度であった。
実は前日の夜、父親は密かに里内の単位の者に、自分が子供を誤って殺してしまったと告白したのであった。そうして、自分の犯した罪を黙っておいてくれ、と彼らに依頼した。
その後で、首を吊って死んだのである。連座制がある限り、告白した者たちは必ず自分の罪を訴えるだろう。自分は里内でも孤立していて、里内の者が自分をかばってくれる当ては絶望的であった。だが自分は気が弱く、逮捕されて訊問されたときに、嘘を言い通せる自信がない。この時代の訊問は、拷問が前提なのである。
だがここで自分が死んでしまったならば、誰がこれを子供をかばった行為だと信じるだろうか。子は親のために尽くし、親のために死ぬという「孝」の掟が、この時代の常識なのである。子のために死ぬなどというのは、人々の常識の範囲外のことであった。きっと、「告白はしたものの、やはり将来に悲観して死におったか」と人々は思うだろう。どうせ秦法で殺人は故意も過失もなく、死罪である。
村人に自分がやったという印象を強く残しておいた上で、父親は自殺したのであった。娘の命を守るために、自分の命を捨てたのであった。

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各章アーカイブ

           
第一章 兵法の章


           
第二章 伏龍の章


           
第三章 宦官の章


           
第四章 動乱の章


           
第五章 楚滅秦の章


           
第六章 死生の章


           
第七章 楚漢の章


           
第八章 背水の章


           
第九章 国士無双の章


                      
第十章 垓下の章



終章~太平の章