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十三 何処(いずこ)かに(3)

(カテゴリ:101兵法の章

ただ一人残された彼女は、県の高官のところに引き取られた。

犯罪者がすでに死んでしまった以上、役所は審理を行なわないことになっていた(※)。したがって、刑は下されない。秦法には縁座制と言うべき原理がまたあって、法によると家長が殺人を犯したならば、妻子は奴隷に落とされて国に没収されると規定されていた。しかし、審理が行なわれないために、彼女は奴隷とされることからは免れたのである。秦法を読んでいた父親は、これを知っていたからこそ告白してすぐに死んだのであった。

(※)『睡虎地秦簡』に、以下のような文書がある。
「甲殺人、不覚、今甲病死已葬、人乃後告甲、甲殺人審、問甲当論及収不当、告不聴。」
甲が殺人を犯して発覚せず、今甲が病死してすでに埋葬され、人がその後甲を訴えて確かに甲の殺人であった。問う。甲の罪を論ずるに当りて、家族を(奴婢として)没収するべきか?― 告訴は受理せず。(四三八)
この近年出土した、秦代の官吏が残した法令の運用事例集が前提としている秦法の原理は、二つ。一つは、犯罪は犯罪者の告訴を役所が受理することによって始まるということ。もう一つは、罪が確定したならば、犯罪の当事者のみならず家族まで連座して何らかの処罰を受けるということである。殺人罪の場合には、この事例が示すように、罪人の家族は奴婢すなわち奴隷身分として国家に没収される。 言い換えれば、犯罪を犯した者がすでに死んでしまった場合には、この事例が示すように告訴は受理されないというわけである。

奴隷とはされなかったものの、人を殺した男の娘が、もう元の邑に居続けることはできない。彼女は、幾人かの役人の間をたらい回しされた後に、最後は県のさる高官の元に引き取られていた。
(引き取られたことが、何を意味しているのか― それを悟るには、まだその時は早かった、、、)
虞美人は、車の中でつぶやいた。忌まわしい時期の記憶だった。
自分を引き取った県の高官は、努めて彼女に優しく振舞った。
一部屋が与えられて、これまでの邑での貧しい暮らしとは、生活が一変した。
服を日毎に着替えるということを、少女はそこで初めて知った。そのようなことは、貧しい農村の貧しい家では決してありえなかったのである。ただ、食べ物は変てこだった。高官は北方の秦の出身で、楚人の好んで食べる米や魚を嫌っていた。食事は下女たちと共に取ったが、そこで出される黍の飯は、何だかぱさついていて変な舌触りだった。始めは嫌だったが、しかし次第に慣れていった。
だが、彼女は決して屋敷から外に出してもらえなかった。
屋敷から足を踏み出すのは、旦那様が公務からお帰りになられた時に、家の者全員で門前に出てお出迎えするとき、そのときだけであった。そのうち彼女は相当に頭が良いことが分かったので、旦那様は面白がって色々詩などを覚えこませることなどをやり始めた。それで客人を迎えた宴席に呼んでは、少女に長大な詩を暗誦させてみたりした。過ちなくすらすらと、韻を踏んで吟じる娘の声は、座の者をいたく驚嘆させた。旦那様は、そのとき大満悦であった。彼女は、芸を仕込まれた飼い犬であった。それでも、ここより他に行き場所がない以上は、毎日必死に仕えて暮らした。
やがて、これまで引き取って育ててきたことの、見返りを求められる時がやってきた。
十四のときであった。すでにその頃には、彼女は美しくなっていた。
高官はその頃県令にまで出世していて威勢は高かったが、人間としての品位は逆に昔より一層落ちていた。高官としては、引き取った娘を自分の妾にすることは、当然の行為だと思っていた。自分がこれまで育ててやったことの返礼を受け取る、それだけのことであった。ただ、この高官はそれを心の中に仕舞うこともなしに、平気で彼女の前で言うのであった。
「この世は与えた分しか受け取れぬ。そのようになっている。俺はお前にずいぶんと恩を与えた。だから、その分お前は尽さなければならん。分かりやすいだろう?」
などと、人生を知った者の高説のように話すのである。それを聞かされる彼女は、男の面前では黙って耐えていた。しかし、部屋で一人になったときに、涙が出て止まらなかった。
(どうして、欲得ずくめでしか関係を結ぼうとしないのだろう― そうするのが、正しい生き方なの?)
(― でもそれだったら、私をかばって死んだ私の父親は、救いようのない馬鹿者だということになる。確かに、馬鹿だよね。子なんて親のためにいるんだから、放っとけばよかったんだよ。進んで官憲に私を突き出せば、少なくとも父親は罪を免れていた。それを私をかばって死ぬなんて、、、)
年月が経った。
今でも彼女は恩に感じて仕えていると、高官は思っていた。
しかし、彼女は高官の言葉を忘れていなかった― この世は、与えた分しか受け取れない。もう彼女は高官が自分に恩を着せた分を返したと思っていた。もはや後は、ここから逃げ出すだけだ。
高官は、県令としてやり手の噂であったが、裏に回るとおぞましく汚れていた。
厳しい法が支配する秦の行政であるが、首都咸陽から郡守県令のいる地方は遠い。
たまに中央から巡回してくる監御史(監察官)の目をうまくやり過ごせば、法に詳しい官吏ならば蓄財の種はいくらでもあった。高官は、自分の知識を動員して、自分のために使った。地方の有力者の子弟の犯罪を暴き出してまず厳しく追及し、その後で審理を手加減する。または中央から下りて来る恐ろしい北方や南方への人員の徴発、これも有力者の子弟については外してもっと近くへの労役を割り振る。こういうことだけでも、うんと贈物が届けられるのであった。彼のやり手とは、そのようなものであった。
彼も、若い頃には気鋭の官吏であった。しかしながら、あるとき蓄財をしても周到に手を打っておけば見つかることはないことを発見してしまった。発見してから、彼はずるずると堕落していった。秦の官吏たちの多くは、年を取れば取るほど外面は小心に、内面は欲まみれになっていった。それほどまでに思わせるほど、秦の政府の支配は恐怖一点張りであって、国を支えているという喜びを与えてくれなかった。その上頂点に立つ始皇帝は、己の欲望のために大金を投じて不老不死の方法を求めたり、巨大な後宮を構えたり、目が回るほど大きな陵墓を造営したりしていた。上がこのようなすさまじい浪費家であるのに、下がつつましくあるなどは馬鹿馬鹿しいではないか。他の多くの官吏たちが思っていたことを、この高官もまた思うようになっていた。どうせこの県令の任期もまもなく終わる。終われば中央に栄転か、あるいは別の地方に行くことになる。そうなれば、もはや見つかることなどはない。高官は、そのように高をくくっていた。
その蓄財が、突然暴露されたのであった。
高官のいる地方担当の監御史がいきなりやって来て、全てを明らかにしてしまった。高官の政治生命は、終わった。審理次第では、本物の生命まで奪われることになるかもしれない。
その頃すでに彼女は、恐ろしいまでに美しくなっていた。屋敷から出されることは相変わらずなかったが、その評判はもはや隠しようもなく巷に流れていった。「虞美人」と人々に呼ばれるようになったのは、その頃のことであった。
彼女は、自分の美を武器として使うことを決意した。
出入りする客の官吏の一人を誘惑して、ここから出して欲しいと依頼することなど、簡単であった。彼女は、その官吏に高官の罪を中央に報告して、この家をつぶして連れ出してほしいと頼んだ。
そして、結果が出た。高官の家は、離散することになった。彼女は、いつの間にか屋敷を抜け出していた。
それから、楚の国を北へと向った。誘惑した男のことなど、もはや忘れていた。

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各章アーカイブ

           
第一章 兵法の章


           
第二章 伏龍の章


           
第三章 宦官の章


           
第四章 動乱の章


           
第五章 楚滅秦の章


           
第六章 死生の章


           
第七章 楚漢の章


           
第八章 背水の章


           
第九章 国士無双の章


                      
第十章 垓下の章



終章~太平の章