少年は、正解を言った後、言葉をあわてて継いだ。
「その上の衣と下の裳の文様は、『離騒』の一節そのままです。だったら帯に巻いているのは、『秋蘭ヲ紉(つら)ネテ、モッテ佩(おび)と爲ス』の一句が思いつきました、、、でも、おかしいな、、、秋蘭は、秋の花。やっぱり違うかな、、、」
虞美人は彼の正解を聞いて、ぱあっと上機嫌になった。この子は、確かな教養も持っている。
「それで正解だよ!今日は造花を作って、腰に巻いていたの。」
「あ、そうだったのですか。それならわかる。」
「その花に含ませていた香の匂いが、まだ服に残ってるの― ほら、匂ってみてよ、、、!」
そう言って、彼女は錦繍の袖を掲げて、少年の顔に持っていこうとした。だが、少年の背丈は彼女よりもはるかに高い。自然と彼女は袖を突っ張らせて、背伸びする格好になった。近づき過ぎて、姿勢を崩してしまった。前によろめいた。それで、少年の胸に倒れこんでしまった。
「わ!」
「あっ、ごめん、、、!」
そう言って、再び距離を取った。少年の戸惑いに比べて、虞美人はまるで姉が弟をからかうかのようであった。実は、この少年よりも虞美人の方がわずかに年下である。しかし、似通った年頃ならば、ほとんどたいていの場合は、女の方が男よりもずっと精神的に上手である。これは、彼らのように若かろうが、もっと年を取っていようが、変わることがない。だから、男は女よりも常に子供なのだ。
虞美人は間を取るために、横の柳の木に繋いである馬を見た。丈夫そうな黒馬であった。
「― 帰るの?」
虞美人は、言った。少年は答えた。
「帰ります。私は叔父と彭城に来ていたのですが、今朝方叔父は私の知らない間に一人で急に帰ってしまいました。残った者から叔父の言伝てがあって、私も早く戻るように、と― それで、下相の城市に戻らなければなりません。」
そのくせ、こんなところをうろうろしている― さぞかし、叔父上の目から解放されて、この快楽の城市で何ごとかをしたいという、いつもは抑圧していた宜しからぬ考えが心に浮上した。きっと、そうに違いない。そのような男の子の心理は、何か大胆な飛躍を女性から誘われることを、待ち望んでいるのだ。虞美人は、このとき小ずるくなった。そして、大胆なことを、少年に提案した。
「ねえ― 何ならさ、その馬に乗って城外に繰り出してみようよ。今日は、外に出たい気分なんだ。城内でこのまま日が暮れるのを待つのは、今日の私はどうしても納得できないんだよ。ね、お願い、外に連れて行ってよ。」
二人がやり取りしている後ろに、厩司御が追いついていた。その厩司御が、彼らの会話に茶を入れた。
「城門は、閉められてるよ― 外には出られない。」
虞美人は、後ろからの声にちょっと驚いて、それからすぐに後ろを振り返って答えた。
「あ、そうか。」
「閉じてる?― 困ったな、、、もう今日は出られないのか。」
少年も答えた。先ほどの女の提案があまりに自分にとって飛躍していたので、すぐ後を受けた厩司御の言葉にだけ同意した。この瞬間、彼女の提案は、少年の中でなかったことになっていた。本当のところは今日帰るつもりなどなかったのであるが、彼は困ったふりをした。
虞美人は、今日の舞の霊感を、ぜひとも持続させたいと思っていた。今日の日をあのようなぶざまな中断で終わらせたくなかった。今日という日は、全てが完璧であるべきだ、そういう日のはずなのだ、、、そう思っていた。
それで、少年の顔を改めてじいっと眺めた。
少年は、再び彼女に眺められてしまった。またも戸惑ってしまった。女性の心の内など、彼には何も理解できなかった。
しかし、二度までも眺められた今度の彼には、女の前で男らしく格好を付けようという意識が湧き出てきたようだ。彼の顔は、いつしか唇を閉じて、目頭を締める顔つきとなって女の視線に挑みかかった。その心中は目の前の存在への不思議で一杯であったが、表情は若き武人のそれとなっていた。
見つめ合った間合いの後、虞美人はにこっと笑い、そして挑発の言葉を投げ掛けた。
「開門させること、できる?― できるんなら、私を連れていってよ、、、」
少年は、追い詰められてしまった。この今の状況は、経験不足の自分にとって、もはやとても自律的に対処できるものではなくなっていた。女の姿が、傾き始めた西日に照らされていた。思わずいまいましい西日を遮ってやりたい衝動に駆られた。
少年は言った。
「―できる。」
虞美人は、大はしゃぎになった。
「いいよ!じゃあ行こう、今すぐ行こうよ!」
後ろにいた厩司御が、呆(あき)れて言った。
「いや、それは無理だって、、、」
振り返って彼女は言った。
「できるって、この子が言ってるんだからやらせてみようよ。今日は、こんなところで閉じ込められて終わりたくない。私はこの子に賭けてみるわ― さあ、行こうよ。可愛い武人さん!」
少年は、一言答えた。
「わかりました。」
少年は、女を片方の手で抱きかかえながら、もう片方の手で自分の馬の手綱を握った。それから、まるで軽業のように跳躍して、馬上に跳び乗った。ものすごい身体能力だ。
この時代には、まだ鐙(あぶみ)がない。
鐙は、簡単な仕掛けであるが、紀元後にならないとユーラシア大陸全土に普及しなかった。
足を踏ん張るための鐙がないと、馬の上で戦闘のような動作をすることが、極めて難しい。
北方の遊牧民のように馬を操りながら弓矢を自由に射掛けたりする軽装騎兵の戦術は、物心ついたときから馬に乗っている彼らだからできるのである。農耕民の中国人は、実にこの秦の時代に至るまで、馬に戦車を曳かせる戦術を重視し続けた。それは、有効な数の騎兵を揃えることが、農耕民には難しかったからである。ましてやこの子のように、小脇に人を抱えて片手で馬を操る術などは、度外れた身体能力がなければとても無理な話であった。
横で見ていた厩司御は、またまた呆れていた。
(てっきり後ろに括りつけるかと思ったら、小脇に抱えて、、、とんでもない坊やだ。)
彼は、馬車を運転する御者術はお手のものであるが、中国の一般人と同じく、馬に乗る習慣はない。一度やってみたものの、両手で手綱を持たなければ姿勢を保つことすらできなかった。だから、目の前の少年の動きは、驚異そのものであった。
「行きますよ!ちょっと揺れるかもしれないけど、、、」
「行って行って、これなら大丈夫!」
そう言った後、少年は馬の腹を蹴り込んた。馬は、驚いて一気に駆け出した。
虞美人は、去り際に厩司御に言った。
「や、今日はありがとね!もうちょっと遊んでくるよ!」
走り去っていく馬を見て、厩司御はつぶやいた。
(天上の仙女では、ない。かといって、冥界の鬼女でもない。なんだろう?― この世の女だ!この世の、本当の女なんだ!上っ面の嘘の中に生きざるをえない私などに、手の負える女ではない、、、)



