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九 江東の二人(1)

(カテゴリ:102伏龍の章

「海を見るのは初めてだったか、籍?」
叔父が甥に尋ねた。だが、答えなどは分かりきっていた。叔父はこの甥が幼少の頃から、ずっと共に行動を共にしてきたのであるから。

この数日かけて、叔父と甥は、馬を駆って呉の城市から遠乗りして、江東の各地を視察して回っていた。旧越国の都の会稽に向って、それから海岸を北上し、いま江水(長江)の河口までやって来た。二人とも、この時代には数少ない乗馬の名手であった。甥は、貧相な叔父がこんなにも乗馬に巧みなのを、初めて知った。彼は、叔父がかつて楚の武将だった頃のことを、知らない。
「すごい川だ、、、これは本当に、川なのですか?」
甥の項羽は、叔父の項梁に尋ねた。元にいた北の下相から江東に下っていったときにも、川を渡った。ここより、もっと上流であった。しかし、それでも泗水や淮水などとは比べものにならないほど、広かった。それがこの河口に来ると、全く海にしか見えない。だが、川なのである。
「間違いなく、川だ。だがその源流は、誰も知らない。」
今彼らがいる場所は、春申江という川が江水に入り込む入り江の近くであった。その名のとおり、楚の春申君がこの土地の開発に着手した。それまでは農村すらほとんどなく、川沿いに漁村や塩づくりの集落が散らばっているぐらいであった。それが春申君の開発によって、少しは開けてきた。秦代に県城が置かれて、海塩県。その名のとおり漁業と塩づくりとが目立つ、鄙びた土地であった。後世ここに、世界最大級の都会が勃興する。上海と呼ばれる城市だ。春申江は黄浦江と名を変えて、沿岸の風景は一変する。だが、この時代には二千二百年後の姿の予感など、どこにも見当たらない。
項梁は、言った。
「この江東の土地こそ、我らが飛躍するところ。我らはここで、力を手に入れるのだ。」
項梁は、下相の城市で密告者を葬ってこの土地に移り住んだ。甥の項羽も、もちろん連れて行った。
だが項羽としては、北の土地に大きな未練があった。
特に、彭城でめぐり合った、、、虞美人!
初めての痛烈な感覚であった。共に馬を駆って駆けた腕の中のぬくもりが、忘れられなかった。あの時夕空で流れた黒い髪の艶やかさが、目から離れなかった。二人で過ごした星空の一夜は、もはや彼にとって現実に起こったこととは思えないほどの、感覚の疼きを残していた。
しかし― 彼は叔父と共に北を去らざるをえなかった。彼もまた、楚国の元貴族の項氏の一員であった。自らの一族が長年を費やしてきた悲願に、従うより道はなかったのである。
(この川を、早く渡って北に行きたい、、、彭城に、もう一度戻りたい!)
項羽は、巨大な流れを見ながら、心を焦らしていた。

江東の中心は、呉の城市である。江東全域を管轄する広大な会稽郡の郡役所が、置かれている。現代の行政区分では、江蘇省蘇州市に当る。
城市の名のとおり、ここはもと呉国の都であった。呉王の闔閭が、楚からやって来た客将の伍子胥に命じて、壮大な城市を建設させたという。呉国は闔閭とその子の夫差の時期に、強大な国となった。しかし、夫差は父以来の功臣である伍子胥の言うことを、だんだん聞かなくなった。そして、ついに王は伍子胥に自殺を命じた。伍子胥が死んだとき、国の命運は尽きた。南から侵攻してきた越国が、呉国を蹂躙した。夫差は越王句践に捕えられ、亡国の身で生き長らえるのを恥じて、自害した。呉の都は、国の滅亡以降長らく打ち捨てられていた。
それを復興させたのが、戦国四君の一人の春申君であった。彼は、楚王から江東の地に封建されて、呉の城市の跡に自らの拠点を築いた。呉は、楚国一番の実力者として天下に名声が鳴り響いていた春申君の居城として、生まれ変わった。宮殿はきらびやかに飾り立てられて、城市の通りは再び往年のにぎわいを取り戻した。今の呉の城市は、したがって春申君の遺産なのである。
「片田舎の中に、こんなに大きな城市が一つだけある。春申君は、田舎者に文明をもたらした男であったということよ。」
項梁は、項羽に言った。
二人は、呉のとある旧家に一時の厄介となっていた。
項梁の師の黄生が、口添えをしてやった。黄生は、春申君の庶子であった。この土地の者たちは、いまだに春申君が土地の王であった時代のことを、懐かしい日々として記憶している。彼らにとって、春申君は懐かしきわれらが王であった。それでこの家の主は、彼の子の黄生が紹介した一行のことを、躊躇せずに迎え入れたのであった。
「やがて、各地の項一族がこの呉に集まって来るであろう。まだ北にいるわが兄も、そのうち合流する。」
項梁の兄とは、現在下邳で張良と行動を共にしている、項伯のことである。
「しかし、一族の核となるのは、この私と、お前だ。籍よ、お前はこの私の片腕となって、項氏が受けた屈辱をやがて秦に倍にして返してやらなければならない。すでに、楚は見えないところで動き始めている。やがて、大きな流れとなって表に出るであろう。我らは、この土地をまとめて、項氏再興のための礎(いしずえ)とするのだ。遊んでいる暇は、もうないぞ。お前はもう、大人なのだからな。」
項梁は、甥に対していつもの説教をしていた。彼は、甥の大きな才能を一面で高く買っていたが、また一面で、あまりにも世間を見る目が甘すぎると見ていた。つまり、項梁にとってこの甥は、賢いお坊ちゃんであった。彼を大きく育てるのが、自分の役目だと思っていた。
家の主が、変な色の煎じ汁を持ってきた。
はるか上流の蜀から木を取り寄せて、試しに育てているという。塩を少し入れて飲めと、教えてくれた。項梁は、言われたとおりにして、飲んでみた。
「― 苦いな。」
項羽も、飲んでみた。苦い。だが、少し甘味がある。もう一口、飲んだ。結構にうまい。彼がこれまで味わったことのない、南方の特産品であった。まだこの時代、この飲み物を表す漢字がない。とりあえず、ニガナを意味する字を当てて、
「荼(と)」
と、言うようになった。その後、その省略字がもっぱら使われるようになった。発音も、後世の読み方が当てられた。すなわち、
「茶(ちゃ)」
と発音するようになった。こんな発音をする漢字は、この字以外にない。
項羽は、しかし何だかわびしさが募ってきた。叔父と共に、見知らぬ煎じ汁などが出される片田舎に来てしまった。何年経ったら、再び北に行くことができるのであろうか?
項羽は、感受性の豊かな若者であった。彼は乗馬や弓術の天才であり、怪力の持ち主でもあったが、同時に詩味も解する子であった。以前との虞美人とのやり取りが、それをよく表していた。そのような鋭敏な感覚を持っている項羽にとって、江東ののどかな農村の風景は、まるで性分に合いそうになかった。
しかし叔父は、しょげる甥の内心など、歯牙にもかけなかった。項羽に対して、項梁はこれからの綿密かつ大胆な計画を、甥に語って聞かせ始めた。
「まずは、この江東の田舎者たちを、眠りから覚まさなければならない。我らは土地の者の心を取って、奮い立たせるのだ。そのために活用すべきものは、二つ。一つは、田舎者が知らない、我らの能力だ。そしてもう一つは― 我らの名前よ。」

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各章アーカイブ

           
第一章 兵法の章


           
第二章 伏龍の章


           
第三章 宦官の章


           
第四章 動乱の章


           
第五章 楚滅秦の章


           
第六章 死生の章


           
第七章 楚漢の章


           
第八章 背水の章


           
第九章 国士無双の章


                      
第十章 垓下の章



終章~太平の章