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九 江東の二人(2)

(カテゴリ:102伏龍の章

項梁は、まずこの江東の土地の地政学を、語り始めた。

「― 呉国は、闔廬・夫差の二代の王にわたって西の楚を破って深々と追い詰め、南の越を激戦の上に屈服させ、北上しては斉や魯の領域にまで兵を進めて無敵であった。なのに、夫差の代についに越王句践の逆襲に会って大敗し、あっという間に国は滅んだ。その越も数代ともたず楚に破られて滅び、今ではこの江東の土地はかつての覇権などすっかり忘れてしまって、中国の辺境に落ちてしまっている。どうしてであろうか?」
項梁は、後ろに置いてあった麻の袋を取り出した。袋は、いっぱいに詰まっていた。
それを、小刀で切り裂いた。
白色の粒がどっとあふれ出して、床にこぼれ落ちた。
それは、江東人の主食の、米であった。項梁と項羽が住んでいた泗水流域は、麦や黍を栽培する地域であった。淮水から南に下がるほど、米地域となる。同じ旧楚の領域といっても、麦地域と米地域とが分布しているのであった。
項梁は、床一面にあふれ返ったこの江東の百姓たちの喜びを、しかし冷徹に分析した。
「まあ見るがよい。結局、この土地は― 豊富すぎるのだよ。米は田を焼いて水を呼び込めば、さほどの工夫もなしに取ることができる。入り江や川に入れば、魚や貝も取り放題だ。塩も海から採れれば、麻や綿も豊富に育つ。このように、ここは衣食に不自由しない土地なのだ。だから住民は、邑(むら)と邑との小競り合い以上の展望を持つことができない。真の生存を賭けた争いが、ないのだ。せいぜい、腹がいっぱいになったから一暴れするだけ。邑の女を巡って、つまらんいさかいを起こすだけ。それ以上のことが、起るべくもない。北の土地のように人口が多くて土地が瘠せていると、自然と住民は工夫をする。工夫をするから、知恵のある者とない者との差が生まれる。それで、際限のない争いとなるのだ。争いが国家を産み、強力な政府を生み出す。しかしここには、元来国家など必要ない。だから、呉も越も溶けるように滅んでしまったのだ。」
豊な実りをもたらす土地があることは、それだけでは文明を育てることはできない。文明には、それ以上の何かが、必要なのである。
この江東の土地は、いっとき中原の文明の風に当てられて、呉と越という二つの国がにわかに勃興した。兵が鍛えられた。都が建設された。運河が開通した。闔廬・夫差・句践といった強力な君主に率いられた兵は、中原諸国よりも強かった。江東の土地は、その潜在力を溢れ出させたかのように、諸国を制したのであった。
しかし結局それらは、一時のあだ花であった。国の力は、全く有能な君主たちと、彼らが個人的に集めた人材の力に依存していた。国の上層部の集団は、下にいる人民の世界からは隔絶しすぎていた。だから偉大な君主たちが去ると、後には元のままの人民が残ったのである。国の開発も、止まってしまった。
「元来、この土地の人間はひとたび兵にすれば、中国で最も精強な兵を生み出すことができる。それは、呉と越の歴史が証明している。だが― 号令する主がいなければ、戦う兵もありえない。彼らがひれ伏すべき主君がいなければ、この土地が強国となることはないのだ。」
項梁の地政学の結論は、ひとつだった。
この土地には、主が必要だ。
逆に言えば、この土地の主になれば、強大な力を得ることができる。
だが、どうやって?
項梁は、それから主となるための計画を、項羽に言い始めた。
「まず、この土地の者どもの注意を、我々に引き付けなければならない。これが、この土地の主となるための、第一段の策だ。」
そう言って、彼は目の前に撒き散らばった米の粒を、手繰り寄せ始めた。
彼は、山にしようとした。だが、崩れてしまった。
「土地の者どもの注意を引き付けたところで、形に嵌(は)めて、組織するのだ。組織により、力が生じる。これが、第二段の策。」
彼はもう一度、手繰り寄せた。
しかし、ばらばらの粒はすぐに崩れて、山とならない。
「このように、山を作ろうとしても、つなげるものがなくては崩れ去るばかりだ。まず水を吸わせて、煮上げる準備をする。それから火を入れて煮上げれば、形に嵌めることもできる。嵌める形となるものは、兵法だ。そして、吸わせる水は、伝説だ!」
項梁は、米を一つかみ握りしめた。
彼はそれを、、おもむろに口にほうばった。
そして、生のままばりばりと食べ始めた。時に奇矯なことをする、叔父であった。それから残っていた茶を、咽に流し込んだ。
「この土地の主と、、なるためには―」
一服ついてから、彼は再び話し始めた。
「常人であってはならない。伝説が、必要なのだ。伝説をまとった英雄がひとたび現れれば、この土地の民は元来が素朴であるので、最も忠良で精強な兵に変身するだろう。まず―」
彼は、甥に言った。
「私の父は、楚の項燕だ。」
甥は、答えた。
「私の、祖父であります。」
今さら、確認するまでもないことであった。
「楚の将軍、項燕。項燕の名は、今や楚人ならば子供でも知っている。」
項燕は、楚の貴族であった。楚が滅亡するとき、将軍として軍を率いていた。
秦は、名将の王翦を総指揮官として、楚に六十万の軍を送りつけてとどめを差しに来た。天下統一の、二年前のことであった。楚軍は王翦の老練な用兵に完敗し、楚王は捕えられた。項燕は昌平君を楚王に擁立して、淮水の南で秦に抵抗した。しかし、翌年やはり王翦に破られて、昌平君は戦死し、項燕は自害した。こうして、楚王国は滅亡した。
項燕将軍は、最後まで秦に抵抗して国に殉じた武将であった。屈氏・景氏・昭氏・宋氏・唐氏など楚国の譜代の貴族の家は多かれど、いざ滅亡となったときに最後まで戦って国に殉じたのは、項氏の項燕だけであった。
項燕は、楚の遺民にとって一躍英雄となった。人民は、正直である。貴族のお偉方のうちで、誰が最も貴族としての務めを果たしたかを、きちんと見抜いていた。
項梁は、その項燕の実の子である。
これは、大きな資産であった。項梁は、この素性を用いて江東の者どもの注意を引き付けるつもりであった。
「だが、私の名前は、いまあまり大々的に宣伝することができない。私は、前科者だからだ。それにこの江東では、項燕の名前だけでは、足りない。項燕は、しょせん楚の英雄だからだ。この江東の英雄では、ない。― そこで、だ。」
それから、叔父はとっぴょうしもないことを、甥に言い始めた。
「そこで、お前に伝説を与えることにする― 実はお前は、亡き楚の幽王の子。つまり、春申君の孫。」
項羽は、叔父のいきなりの宣言に、「へ?」と怪訝な顔を返すばかりであった。

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各章アーカイブ

           
第一章 兵法の章


           
第二章 伏龍の章


           
第三章 宦官の章


           
第四章 動乱の章


           
第五章 楚滅秦の章


           
第六章 死生の章


           
第七章 楚漢の章


           
第八章 背水の章


           
第九章 国士無双の章


                      
第十章 垓下の章



終章~太平の章