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十一 我流の勝利(2)

(カテゴリ:102伏龍の章

結果は、鮮やかな勝利であった。

項羽は、よく兵を掌握した。彼が騎乗して戦場に向う勇姿は、何にも増して兵たちの士気を鼓舞するのに十分であった。彼の存在そのものが、兵にとって最も大事な「勢」を形づくらせたのであった。その上、項羽は付き従う兵たちをよくねぎらった。彼の若い誠実さの、表れであった。それが、兵たちをさらに感激させた。
戦闘が行なわれたとき、敵は例の必死軍を放ってきた。
矢を浴びせても痛がることもなく突進して来る悪鬼のような部隊が、やがて兵たちの目の前まで迫ってきた。
兵たちは、やはりその恐るべき勢いに浮き足立ち始めた。
しかし、項羽は周囲の谷全体に響き渡るような大声を出して、叱咤した。
「死兵めがっ!どうして生兵に、勝てようか!」
そう叫んで、馬の腹を一蹴りして、必死隊の前面に踊り出た。そうして、戟(げき)を一旋して、一人の首を刎ねた。さらに、もう一人刎ねた。そうして、部隊の者どもを一睨みした。再びの大喝が、周囲の小石を跳ね飛ばさんばかりに響き渡った。
すると、すでに理性を失っているはずの必死の隊の動きが、一斉に止まった。それは、人間の奥底にある、根源的な恐怖感が呼び覚まされたかのようであった。
「今だ!進め!勝利は、近づいた!」
項羽は、兵を激励した。
兵たちは、この時こそは勇躍して、敵軍に突進した。項羽は、その先頭を切った。背後で隙を計っていた本部隊は、敵の予想外の逆襲についに成すところがなかった。思うさま斬り散らされ、蹴散らされた。敵は、散々に敗れて壊走して行った。
桓楚は、その戦いぶりに驚愕した。
「兵の先頭に立って進む将などは、初めて見た、、、」
彼の学んだところにおいては、将とは戦いを計画して、指揮する役目の者であった。
兵法は、個人の戦闘力に重きを置かない。むしろ、勝利できる状況を編み出す作戦計画と、集団を動かすための法の的確な運用こそが、勝利への道であると教える。だから、兵法は科学なのである。
そのような兵法の常識を踏んでいる桓楚にとって、個人の威光と勇武の力だけで戦局を変えてしまった項羽は、常識外れであった。
(このようなことが、できるのか、、、?彼の威光は、予想をはるかに越えていた!)
まさしく項羽は、彼の想像力のずっと先を行く将であった。
戦闘の直後に、桓楚に提案した。
「敵は、奥の拠点に逃げ帰りました。この機を逃さず、直ちに追撃してとどめを差しましょう!」
桓楚は、当惑した。
「今戦闘が終わったばかりでは、ないか。それに拠点を攻めるのは、会戦とは違う。相手も防禦を固めているはずだ。もっと慎重に行なうべきだ。」
しかし、項羽は言った。
「今、士気は最高に上がっているのです。そして敵は、うろたえているのです。この時を逃しては、なりません。

― 兵は拙速なるを聞くも、未だ巧久なるを睹(み)ざるなり ―

と、言うではありませんか?」
これは、『孫子』作戦篇の一節であった。
しかし彼は叔父から一応の兵法の手ほどきは受けていたが、精密には学んでいなかった。概略を自分の頭で理解した後は、それ以上の学習に身が入らなかった。彼にとって兵法の学問は、主知的で散文的に過ぎた。彼が真に愛するのは、情念を呼び覚ます詩賦の世界であった。それで、『孫子』も諳んじるほどは学んでいない。ただ、上の句は彼の心に残っていた。彼の若々しい心をを大きくうなずかせるに足る、警句であった。
彼は、もっと少年の頃、叔父の項梁から士の六芸(りくげい)を学ばされた。
六芸とは、礼、楽、射、御、書、数。
言い換えれば、礼儀作法、音楽、射術、御者術、書道、算術である。
これらは、古代の上流階級が身に付けておくべき教養であった。項梁は、甥に楚の貴族の一員として恥ずかしくないように、これらの芸を教え込もうとしたのであった。
しかし、少年の項羽は、聡明に過ぎた。
芸の要点を学び取るのはまことに速かったが、あまりに速く要点を理解できすぎてしまったので、芸の些末な細部まで学ぶことにはさっぱり身が入らなかった。特に、礼の細目や書の手習いなどは、彼が最も熱の入らないものであった。
叔父は、剣術も甥に学ばせた。構えや体の動作などに、うるさい規則が多い術であった。これも、甥はさっぱり熱が入らなかった。
叔父は、ついに甥を怒鳴りつけた。
「何をやらせても、途中で投げ出す奴だ!それでは、人から敬われる人間にはなれんぞ!」
しかし、この少年は、叔父上に答えたのであった。
「叔父上、、、私たちは、人並み以上のことをしなくてはならないのでしょう?それが、項氏の者がしなければならないのでしょう?私は、そう思っていました。違うのでしょうか?」
項梁は、一族のまとめ役として、常に親類たちを叱咤激励していた。くじけてはならない、必ず目にものを見せてやるのだ、そのためには、人よりももっと上手に出るよう、各人が励まなければならないのだ、と。
項羽は、叔父の横で常々それを聞いていた。それで、自分の思いの丈を、叔父に言った。
「― 書や剣の形を学んで、人並みどおりのふるまいをする。それで、人からより尊敬されるのでしょうか?ああ、人並みのことができる奴だと相手を安心させて、付き合える人間の輪がどれぐらい役に立つのでしょうか?そんな人間たちなんか、どうせ嘘つきばかりです。この愚甥は、本当に人を感激させる人間になりたいと、思います。それが、項氏再興のためにもきっとなると、思うのです。」
叔父に正面を向いて語る項羽の顔は、真剣そのものであった。普通の子供が見せるような、自分の怠惰を正当化するようなずるい卑小さは、少しも感じられなかった。それで、叔父は甥の口答えに対して張り倒すことができなかった。
少年の項羽は、続けた。
「叔父上!書なんて、自分の名前がきちんと書ければ、それでよいではありませんか。型どおりに書かなければ、人に読んでもらえないのでしょうか?剣なんて、型を学んで使えるのは、剣舞の芸を宴会で見せるくらいではありませんか。座興の芸のために、学ばなければならないのでしょうか?書も剣も、礼も射術も、愚甥はもう十分に学びました。叔父上、もっと前に進ませてください。もっと新しい知識を、愚甥にお授けください!」
項梁は、この早熟な甥が内心では可愛かった。
自分の後継者は、彼だと決めていた。
(だから、人の上に立って恥ずかしくない人物になってほしいのだが―)
結局項梁は、甥にいろいろな芸を教え込むのを、それ以降やめてしまった。
(甘いな、私は、、、)
そう思いながら、昔学んだ兵法を、項羽に講義することにした。勘の鋭い甥のことだから、きっと兵法の世界を喜ぶだろうと、思ってのことであった。
項羽は、叔父の予想通りに喜んで学び始めた。
しかしやはり、甥は我流であった。
要点を掴むのは速かったが、それ以上の細部を学ぶのには、身が入らなかった。
しかし、いつの間にか彼は馬術や射術の腕前が、人並み以上に優れるようになっていた。
途中で投げ出した剣の道すらも、学んでいないのに完璧な型を身に付けていた。
(だから黄生は、この子を麒麟児と言ったのか、、、?)
師の黄生は、少年時代の項羽を一目見て、この子は麒麟児だと言った。
叔父は、彼をこらえ性のない子供だと思っていたので、師に言った。
「それは、言いすぎではないでしょうか?」
黄生は、弟子に言った。
「いや、そうだ。理解する力が、常人を超えている。そのうち、わかるだろうよ。」
項梁は、師がそのように賞賛しても、まだ甥を自分の基準で十分に評価できないでいた。我流で道を作ってしまう彼の才能は、項梁には分かりかねたのであった。

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各章アーカイブ

           
第一章 兵法の章


           
第二章 伏龍の章


           
第三章 宦官の章


           
第四章 動乱の章


           
第五章 楚滅秦の章


           
第六章 死生の章


           
第七章 楚漢の章


           
第八章 背水の章


           
第九章 国士無双の章


                      
第十章 垓下の章



終章~太平の章