江東の項羽たちの話はいったんここまでとして、もう一度、時期をさかのぼって沛の城市に戻ることにしたい。前回話を中断させた、その続きである。すなわち、孔巫女が姜痴を連れて沛に戻って来た頃だ。劉邦は夏候嬰と共に一年以上投獄されていたが、すでに釈放されて泗水の亭長に復帰し、今やほとんど沛の顔となっていた。蕭何は、県の主吏として今や郡の卒史に抜擢される話が出ている。彼の鄒氏の阿瑾との関係は、阿瑾の心が劉邦に奪われていて、抜き差しならない。そんな頃に、沛の城市に新顔の一族が移住してくるという話が伝わった。
「今度、単父(ぜんぽ)の呂公という者が、この沛に移住してくる。諸吏は協力して、最大限の便宜を図れ。」
県庁で、県令が蕭何や曹参などの主だった官吏を集めて、指示した。
この県令は、以前劉邦たちを投獄した県令の、後任として沛県にやって来た。法規にはさらに詳しく、そのため前の県令よりももっと蕭何を高く評価していた。しかし、この沛県の住民にあまり興味がない点は、前の県令と変わりがなかった。
「呂氏は、単父で県に協力したために、地元民の怨みを買ったのだ。それで、この沛県に庇護を求めてきた。― 余計な者どもが近寄らないように、よく気を配ってやれ。」
つまり、政府への協力者である。
それで、地元の者と折り合いが悪くなって、沛に引っ越してきたようだ。
少なくとも、県令はそのように事情を聞いていた。
「単父の呂公?、、、聞いたことがないな。」
県令のもとから退席した蕭何は、不思議がった。
単父といえば、彼の郷里の豊からもそんなに遠くはない。なのに、県令に接近している実力者であるはずなのに、彼はその風聞を耳にしたことがなかった。
自分より各地の事情をよく知っている、夏候嬰に聞いてみた。
夏候嬰は、言った。
「単父の呂公といえば、商人の一族だよ。あまり表に出たがらない奴だから、蕭主吏が知らないのも、無理はない。」
「表に出たがらないのは、どうしてだ?」
夏候嬰は、ふっと笑って答えた。
「― 商人の智恵というものだ。蝿がたかるのを、避けるためさ。」
呂公は、知る人ぞ知る商人の一族であった。
この時代、商人が利殖を摘むことは、さほど珍しいことではなかった。
いったいにしてこの時代は、物を西から東へ、北から南へと適宜に移すだけで、商人は巨万の富を摘むことができた。戦国時代から秦を経て前漢時代に至る頃は、古代社会における商人の全盛時代であった。
彼ら商人たちから見れば、儲けるのは実に簡単なことであった。いまだ農村にへばりついてる人間が、圧倒的な割合を占めていた時代である。それほど離れていない地域の間でも、物の過不足が目立った。ただひたすら作るだけで、売りさばくことを考えようとしない者ばかりだからであった。だから、余っている地域で物を買って、足りない地域に運んで売る。それだけで、大いに儲かった。普通人と違って、異なる二つ以上の地域の事情を知っていること。その知識が、彼らの利殖の種であった。実は、二十一世紀の現代も、誰も知らない知識だけが利殖を生むという根本的な原理については、古代と何ら変わることがない。
『史記』貨殖列伝には、卓氏、程鄭、孔氏、邴(へい)氏、刁間(ちょうかん)、師史といった秦漢時代の長者たちの事績が列挙されている。彼らは爵位もなく官職に就いてもいないのに、その生活は王侯に匹敵するものすら少なくなかった。
しかし、彼ら商人は、金の力で人間界に君臨する存在である。それは、国家の目から見れば、権力の思うとおりにならない力の持ち主であった。専制国家にとって、人民を動かす力は、政府だけが保有しなければならない。
それゆえ秦の政府は、統一の過程で商人たちに厳しい仕打ちを課した。
貨殖列伝によると、製鉄で富を成した宛の孔氏、斉の程鄭、趙の卓氏が、秦によって遠い土地に移住させられた。統一が完成した年には、全国の豪族・富家十二万戸が咸陽に集められて、政府の監視下に置かれた。さらに南方征服の作戦においても、商人が徴発されて守備として送られた。このように秦の政府は、商人を抑圧しようとした。国家の「勢」を皇帝に集中させるべきとする、法家思想の教えに沿った政策であった。
くだんの呂公は、目先の利く商人であった。
彼は、秦の統一が目前に迫り、しかも秦の政府は商人に甘くないのを見通した。それで、意図的に自分が貯えた富を減らす策に出たのであった。周囲に富を散じて、自分の財産を目立たなくするように控えると共に、遠方に徴発などされないように計らったのであった。それで、金を散じて影響力だけを密やかに残した。金などは、いつでも機会があれば儲けることができる。しかし政府に目を付けられて一族離散したら、おしまいである。呂氏一族の長の呂公は、そのように判断したのであった。
彼が一族と共に単父に移ったのは、そう遠いことではない。彼は斉や魏に拠点をいくつも持っていた。単父は、その一つにすぎなかった。
(なるほど、、、だから、目立たなかったのか。)
蕭何は、呂公のことを自分で調べてみて、了解した。
(それが、今度はこの沛に、、、本当に、庇護を求めて来たんだろうか?)
蕭何は、少し県令の言葉とは違う直感を持った。
県令は、この呂公と知己であった。
県令は、沛県に赴任してから、呂公より度々付け届けを貰っていた。沛県に挨拶に来ることも、これまで何度かあった。
しかし、実のところを言うと、内心彼に対してこれまでさほどの興味がなかった。
それが、この度急に彼を知己として熱心に迎えることにしたのである。彼が最近心境を変化させたのには、ある事情が働いていた。
以前、監御史が沛県の監察に来た時であった。
一通りの監察が終わって、県令は監御司のために、慰労の酒の席を設けた。
その席で、監御史は県令にいささかの忠告をした。
「県の行政を治めるのは、法規一本槍ではだめですよ。あんまり地元に密着しすぎるのも問題があるが、かと言って地方の人物たちと没交渉のままでいるのは、よい行政官とはいえません。県は地方で最も力を持っている組織なのですから、地方の良民を積極的に庇護するぐらいの判断が、欲しいものです。」
県を監察した監御史の馮平は、秦帝国の行政官としては最も良質の一人であった。彼が、共に仕事をした主吏の蕭何を激賞したのである。その馮監御史が、監察を終えたこの県の長官に、近年の秦の官吏たちの姿勢を危惧して一言を指摘したのであった。



