蕭何は、自宅に戻って来た。
「― お帰りなさいませ。」
蕭家の太太(おくさま)、すなわち阿瑾が、夜遅くに帰宅してきた夫を迎えた。
郡役所に勤める蕭何と共に新居を構えて、もう三年が経っていた。
すでに子も生まれていたが、住居はまことにつつましやかであった。
家の周囲には垣も作らず、屋根は板葺きのまま。家の中の調度もまた、華美な製品などは何一つ置かれていなかった。
それは蕭何が、己の役得などで一切私(わたくし)をしていない結果であった。
郡役所にいると、郡内の各県を巡回することが多い。そういった時には、必ず県から何かしら付け届けがあった。蕭何は、それを突っ返すことなどはしなかった。関係を断って相手に疑心暗鬼を与えれば、かえって行政の妨げになる。そのことを、彼は分かっていた。それで、その場ではいつもにこにこ顔をしながら、頂戴した。しかし、郡役所に帰れば、全て役所の者たちや近所に分けてしまった。それで、手元には卒史の俸給しか残らなかった。その俸給すら、多くは豊の実家に分与してしまっていた。
「何て貧しい暮らしだ!、、、よく我慢しているな!」
叔父上がやって来たとき、彼はあきれた。太太が可愛そうではないかと、甥を責めもした。
しかし、蕭何は叔父上に答えた。
「心に合わぬことをしたところで、いつかつまずくだけです。私は、このように生きております。妻も、分かってくれます。」
彼がそう言ったとき、横にいる阿瑾は、にこにこと微笑んでいるのであった。
そのような阿瑾は、これまで文句一つ言わずに、蕭何のやり方に付いて来てくれた。
しかし、蕭何は彼女に付き添って、すでに分かっていた。
彼女の本当の性は、燃えるように華やかな女性であった。
現在の暮らしに耐えているのも、ひたすら自分を信じて付いて来ているのである。決して、つつましやかな生活に安住して楽しんでいるのでは、ない。彼女は、そのような女ではなかった。
彼女の心が分かっている蕭何であったから、今日帰宅して彼女の声を聞いたときに、華々しい知らせを告げずにはおられなかった。
「咸陽に― 行けるかもしれない。」
「えっ!都に?、、、」
「今日、監御史から打診を受けた。私を御史に、推薦してくれるそうだ。御史は咸陽の命官の中でも中枢の役職だ、、、お前は、咸陽に移りたいかい?」
「― 行きたい!行きたい!行きたいです!、、、あなたが、あなたが御史に?すごい、すごいですわ!」
彼女の声が、高くなった。暗がりの中であったが、彼女の目まで輝いたかのような錯覚を、蕭何は受けた。
「― そうか、、、」
それは蕭家にとって、待ち望んだ明るい話題であった。
次の日から阿瑾は、目に見えて浮き浮きとし出した。
蕭何は、横で役所から持ち帰った書類を校正しながら、笑みを絶やさなかった。今日は非番日で、彼は自宅にいた。県庁時代の彼は非番日には実家に戻っていたが、郡役所に勤めてからは、こうして自宅で過ごすのが常であった。
幼い子供の顔を見ながら、蕭何の心もついに浮かれ始めていた頃であった。
「表兄(にいさん)!」
とつぜん、来客者の声があった。
蕭何の、いとこであった。
彼は遠い豊の邑から、急いでやって来た。
「どうしたのだ。遠くから一人で、、、?」
蕭何は、いぶかしがりながら、門前に出た。
彼のいとこは、いきなり用件を告げた。
「嫂(ばあ)さまが、亡くなられた、、、」
「えっ、、、?」
蕭何は、耳を疑った。
蕭家の最長老の、嫂さまがついに亡くなった。
蕭何が豊に戻って来た時には、すでに殯(ひん。もがり)の最中であった。殯とは、葬儀までの間に遺体を棺に収めて仮安置している状態のことである。彼の父親や叔父たち一同が、喪服に着替えて何度も哭(な)いていた。
「― 本当に、突然であったわ。苦しむこともなく、消えるように去ってしまった。」
叔父上が、到着した蕭何に言った。
「― つい最近まで、お元気だったのに、、、」
蕭何は、棺の前にぬかずいた。
彼女は蕭何にとって、幼少の頃から最も可愛がられた人であった。
やがて、死者を送る歌が、歌われた。
蒿里誰家地 蒿里(こうり)山には、誰が行くのか漢代まで庶民のための殯の歌として歌われた、挽歌であった。蒿里山とは、泰山の南にある山であった。そこは、古代には死者の魂が往く場所であると考えられていたのである。 それから後、豊では葬儀がしめやかに行なわれた。 一族が、墓地に並んで進んでいった。 蕭何は、自ら柩車を押した。 葬儀の後、蕭家に位牌が一つ増えた。嫂さまは、蕭家の祖霊に合流したのであった。そして残された蕭家の一族からは、何かが抜け落ちてしまった。
聚斂魂魄無賢愚 良きも愚かもこきまぜて、魂魄(こんぱく)が皆往くところ、、、
・・・
彼は、そのまま郡役所を欠勤して、郷里に居続けた。
中国の官吏にとって、親族の喪による帰郷は必ず許されるべきものであった。孝を倫理の根本とする社会であったので、公事があるといえども喪が優先すべきと考えられたのである。後の時代になって儒教の規定が取り入れられると、上級官吏である士大夫に対しては、最長で父母の喪に対して三年間の出仕が免除されるようになった程であった。
(、、、祖父母の喪は、礼で一年とすら定められている。気長にやるがよい。お主への私の評価は、決して変わらん。)
監御史の馮平は、蕭何を待った。
しかし彼は葬儀から一月ほどして、突然郡役所に戻って来た。
喪服で出仕してきたが、通常通りに勤務を始めた。
それから、馮監御史の耳にはこのような話が聞こえてきた― 戻って来た蕭何は、今回の徴発の手配のために、志願して働こうとしているというのである。
馮監御史は、不審に思って蕭何を呼び付けて聞いた。
「徴発などは、お主の管轄外ではないか。する必要などない。」
しかし蕭何は、答えた。
「沛県の手配は、ぜひとも私がやりたいのです。私の故郷ですので。」
監御史は、顔を曇らせて言った。
「、、、今の時期に、お主にいらぬ失敗をさせたくない。しばらくは郷里のことは、置いておけ。大きな目を持たねば、上には昇ることができぬぞ。」
しかし、蕭何はついに監御史の忠告を、受け入れなかった。



