蕭何は、配下の属吏たちに言った。
「間もなく来賓を入場させることになるが、このままでは全員堂上に入ることができない。至急堂下に敷物を敷いて、席を作れ。そこにも、座ってもらおう。」
今日、蕭何の下で進行係を行なっている属吏たちは、蕭主吏に質問した。
「誰を堂上に招いて、誰を堂下に座ってもらいますか?」
蕭主吏は、答えた。
「県の上層部は当然堂上として、その他は―」
そこで、蕭何は少し考えた。県の上層部以外は、父老といい大人(たいじん)といい、どれも同格である。
「― 進物で、分けるしかないな。呂公と本気で近づきたければ、大金を持って来ているだろう。だが冷やかしで飲み食いしに来ただけならば、申し訳程度で済ませている。こういった宴会というのは、その辺りが正解というものだ。」
さすがに、昔から県庁で場数を踏んでいるだけに、蕭主吏はよく分かっていた。彼は、すでに舞い込んでいる名刺の裏に書かれた進物の額面から、ざっと判断した。
「千銭以上の者は、堂上に通せ。それ以下の者は、堂下に座ってもらおう。」
少し高めの設定であったが、このくらいにした方が、堂上に通れる者の資格が高くなって、各人も納得するというものだ。蕭主吏は、すばやく計算した。
やがて正午の時刻となり、来賓を入場させる時間となった。
県内の各郷里から今日のために集まって来た者たちが、続々と県庁内の堂舎にやって来た。
郡役所や県庁には、必ず広い堂舎が作られていた。皇帝陛下が巡幸のために来駕されるときには、ここで県の総力を挙げて接待が行なわれる。もっとも、陛下が直接県庁の官吏どもと顔を合わせることはない。陛下に付き従う帝国最上級の官吏たちが、県庁の接待する相手である。それでも、咸陽の首脳たちに見られるというのは、法刑を国是とする秦帝国の官吏たちにとっては、極度の緊張を強いられるものであった。かつて、すぐ近くの彭城や薛に、行幸があった。その時には県庁は上から下まで大変で、県の上層部ではあまりの緊張のために行幸の直後に死んだ者もあるという話が聞こえている。
だが幸いなのか不幸なのか、この沛県にはまだ、皇帝陛下の一行が来られたことはない。そんな沛県の堂舎は、郡守や監御史がやって来た時に、歓迎の席で使われることが普通であった。今回のように県令が号令して宴会を行なうこともまた、時にはあった。しかし現在の県令にとっては、これが初めてであった。
蕭何の指示どおりに、属吏たちは進物の額に従って、来賓を堂上または堂下の座に誘導していった。
(あれは、鄒家の家長だな。)
蕭何は、よく見知った顔を確認した。
豊からも、何人かがやって来ていた。その中に、鄒家の家長の顔もあった。彼は、鄒家が属する里の父老であった。しかし、彼の座は堂下であった。
やがて、県令と呂公が入ってきた。一同は、拝礼をした。
県令は、座に腰を降ろすまでの間にも、横の呂公にしきりと話掛けていた。
「県内から、主だった者が集まりました。県の威令は、かくのごとしです。あなたも、これで沛でも安心して暮らせましょうぞ?」
彼は、自分の号令で大勢の客が集まったことに、上機嫌であった。
「そうですな―」
呂公は、もう一つ気のない返事をした。
蕭何が二人のそばにやって来て、小声で告げた。
「今回の宴席は、あまりに来賓が多数ですので、やむなく堂下にも座を設けました。進物が千銭を上回る者だけ、堂上に招いております。」
呂公は、この官吏を一瞥して、言った。
「ご苦労です― とりあえず、堂上におられる方の名刺を、私に渡して頂けませんか?」
蕭何は、しばらくしてから名刺を席順に並べて、呂公のところに持って来た。呂公は、彼の配慮に感謝して言った。
「よく、お気づかいいただきました― 感謝します。」
呂公は、宴会が始まる前に、名刺の裏の進物の額をざっと見ておくつもりであった。やはり、蕭何が思ったと同様に、呂公もまた進物の額が自分と近づきたいかどうかを判定するための目安と見ていたのであった。
「遅れて来られた方の名刺も、逐次私に通してください。」
「かしこまりました。」
宴会は、半ばに差し掛かっていた。
呂公は、順番に自分の前に挨拶に来る者たちと、全て鄭重に応対した。
しかし、彼の心中は、会うたびにこのようであった。
(― この者も、人物ではないな。)
(― これは、私のことを知っているな。だから進物を多くはずんで、近づこうとしている、、、しかし、悲しいかな人物とは言い難い。)
彼が判断の材料とするのは、進物の額に加えて、人相であった。この宴席の来賓のように、ある程度の歳を重ねた者であれば、人相はすでに固まってその人間の内奥を鏡のように表している。それが、観相術を長年学んだ彼の確信であった。彼の目から見れば、この宴席に集まった沛の主だった者たちは、堂上にも堂下にも秀でた人物はいなかった。
(― 沛とはしょせん、凡庸な住民しかいない城市であるか、、、長く滞在する必要も、ないかもしれぬ。)
そのように、呂公は宴席の最中で早くも見切りかけていた。
そのとき、県令や呂公たちの座る上座の脇で進行を見守っていた蕭何のところに、属吏の一人が駆けつけてきた。
属吏は、新たにやって来た者の名刺を、蕭何に渡した。
蕭何は、その名刺の名前を見た。
「げっ、、、!」
彼は、思わず声を挙げてしまった。
呂公が、すかさず彼を見とがめた。
「どうしました?遅れて来られた方ですか?」
蕭何は、うろたえた。
「い、、、いや、、、その、、、」
呂公は、構わず言った。
「とにかく、名刺が運ばれて来たのでしょう?渡して頂けませんか?」
主賓に言われて、やむなく蕭何は名刺を渡した。
それを見た呂公は、表の名前を見た後、裏を返した。
そのとき、声を出した。
「― 一万銭!」
「えっ?一万銭?」
彼の声を聞いた、県令もまた声を挙げた。
「― 一万銭?まさか?誰だ?」
堂上の者たちが、にわかにざわめき始めた。
呂公の横にいた蕭何は、青くなってこの後の対応を考えていた。
(来た、、、!劉季め、宴会に乱入するつもりだ!)



