«« ”十七 心を生かす(3)” | メインページ | ”十八 歸妹、征(ゆ)きて凶(1) ”»»


十七 心を生かす(4)

(カテゴリ:102伏龍の章

劉邦と蕭何は、この郷里で最も大きな社に向った。

社の前の広場には、すでに郷里の父老たちがいた。
父老だけでは、ない。
郷里の男どもが、大挙して集まっていた。去年咸陽に年若の者多数が送られたので、残されているのは年配者ばかりであった。この残された者すら徴発に出されたら、もはや働き手はいなくなるではないか― それを訴えるために、こうして集まったに違いない。
「大した人数だ。ほとんど、郷里の男どもが全員集まったようだな。」
劉邦は、殺気立つ集団の姿を見分けて、言った。
(何を、切り出すつもりだ?劉季は、、、)
蕭何は、横に控えながら不審に思うばかりであった。
「― さてと!」
劉邦たちは、ついに郷里の一団の目の前に出た。すると、彼はどかりと地に座り込んだ。
「― 皆様方、まるで蜂起でもしかねない、様子であるな!」
劉邦は、切り出した。
彼は、突っ立ったままの蕭何にも、座れと合図をした。
集団の中から、骨格の優れた一人の男が、歩み出てきた。
「― 蜂起も、し、、、したく、、、」
「ん?」
差すような視線を投げ掛ける偉丈夫であったが、言葉がよく聞き取れない。
劉邦は、その顔に見覚えがあった。
「お前は、周昌じゃないか?なぜ、ここにいる?」
劉邦から周昌と呼ばれた男は、答えた。
「こ、、、ここは、俺の郷里だ。」
この沛県の東南の郷里に、昔秀でた二人の青年がいた。周昌と、周苛という名であった。二人は、いとこ同士であった。二人は共に秀才であり、なおかつ腕力に長けて度胸があった。彼らは、沛県ではなくて泗水郡の属吏として選抜された。それで、現在の彼は遠い泗水郡の役所にいるはずなのである。
「郷里が煮えたぎっているときに、戻らずにいられようか。それで、我ら二人は駆けつけて来たのだ。」
うまくしゃべれない欠点がある周昌の横から口を出したのは、いとこの片方の周苛であった。二人は、去年起ったこの郷里の若衆たちの騒擾を止められなかったのを、深く恥じていた。それで、今年また郷里が徴発によって蜂起寸前であるという話を聞いて、取るものも取りあえずに駆けつけて来たのであった。
劉邦は郡役所の中にも仲間が大勢いたが、彼ら二人とは付き合いがなかった。彼らは廉潔すぎて、劉邦にとってもこれまで取り掛かるきっかけが、掴めないままであったのだ。
周苛は、座った劉邦たちに向けて言った。
「― 見ての通りだ。もはや、この郷里には徴発の人員を出す余裕など、全くない。これで人間がいなくなれば、麦も植えることができずに来年には餓死者が出るであろう。いくら政府の徴発だといっても、それは忍びないことではないか?我ら二人は、郷里を守るためならばもはや官職も捨てる覚悟で来たのだ。」
劉邦は、周昌たちに言った。
「― 蜂起するのか?」
周昌たちは、無言で劉邦を睨み付けた。しかし劉邦は、言葉を続けた。
「― 蜂起するのなら、俺も混ぜろ。民を困窮させるような政府ならば、必要ないだろう?そんなものに、しがみ付いている道理はない。」
劉邦は、にやりと笑った。蕭何は、腹の底がひやりとした。郷里の者たちは、思い沈黙に包まれた。
(― 郷里というものは、本当のところは余裕があるものなのだ。鞭で叩けば叩くほど、速く走れる馬のようなものだ。だから秦の政府は、鞭ばかり使って民を叩く。)
劉邦は、目の前の郷里の者どもを見据えながら、思った。
(だが、民から希望を奪っては、ならん。一番恐ろしいのは、腹が餓えることではない。希望がなくなることなのだ。そうなれば、蜂起する。ここが、よい例だ、、、)
それから劉邦は、周昌たちに向けて言った。
「― いま蜂起しても、皆殺しになるだけだぞ。それは、損というものだ。もう少し、我慢しろ。」
周昌は、返した。
「が、、、我慢できるのならば、が、、我慢もできよ、、、うが」
周苛が、その後を継いだ。
「限度というものがあるぞ。わが郷里は、今や前途が見えない。」
「いや!前途はあるぞ。」
劉邦は、言った。
「前途?」
「どんな前途があるというのか!」
周昌と周苛が、同時に聞き返した。劉邦は、彼らと郷里の者たち全員に向けて、言った。
「― 咸陽の者たちが、もうすぐ帰って来る。ちょうど、今ごろは沛県に向けて戻って来ている最中だろう。」
彼らは、一年の徒刑に処せられていた。
しかしながら、これまで徒刑者たちが一年で帰って来たことなど、あった試しがなかった。多くは逃亡したり、途中で衰弱死したり、あるいは作業場で法に触れる行為を重ねた結果、刑期が延期されたりした。だから、咸陽に連れて行かれれば、もはや戻って来ないかもしれないと考えるのが、郷里の常識であった。
劉邦は、彼らに言った。
「去年、俺はこの郷里の徒刑者を咸陽まで連れて行った。だから、分かるのだ。奴らは、必ず元気で戻ってくるさ。俺が、戻って来れるようにしておいたからな。だから、前途があると言うのだ。」
それから、周昌と周苛に言った。
「― お前たちは、郡役所に戻れ。お前たちがここにいては、かえって郷里を危うくする。今蜂起しては、だめだ。まだ、前途に希望を持つべき時だ。俺の言うことを、信じろ。」
劉邦は、余裕の姿勢を見せた。周昌も周苛も、郷里の者どもも半信半疑であった。
周苛は、言った。
「― 調べれば、本当に戻って来るかどうか分かるだろう。口先でごまかすのは、承知しないぞ!」
劉邦は、言った。
「俺も、しばらくこの郷里に残ってやろう。帰って来た奴らを、歓迎してやらなければならないからな!」

それからしばらくの期間、劉邦は東南の郷里に留まっていた。
蕭何も、この状況に至っては、彼の供をして郷里に留まり続けた。
蕭何は、劉邦に本当に戻ってくるのかどうか、何度も聞いた。
劉邦は、しかし笑っているばかりであった。
(ひょっとして、全くのでたらめなんじゃないのか、、、?)
蕭何は、不信がつのるばかりであった。
しかし、二週間近くも経ったある日、彼ら二人が留められていた陋屋に、郷里の父老たち一同が押しかけてきた。
彼らは、劉邦たちに拝伏して、言った。
「おっしゃる通りでございました、、、これで、わが郷里は今年をしのぐことが、出来るようになりました!」
劉邦は、大きくうなずいた。蕭何は、驚くばかりであった。
それからしばらくして、咸陽に徒刑となった一行が、沛の城市に戻って来る日となった。
劉邦と蕭何は、川そばの街道に出て、彼らを迎えた。
「劉亭長!戻って来ましたぜ!」
「はははは、皆元気そうじゃないか!」
人数は、ほとんど欠けていなかった。それどころか、数が増えているように見えた。
「何だか、見かけない奴がいるようだが、、、」
「へへへ。ここに来たいって、言うんですよ。」
劉邦は、哄笑した。帰って来た一行たちも、大爆笑した。
蕭何が、劉邦に聞いた。
「― いったいあなたは、何を彼らにしたのですか、、、?」
劉邦は、笑いを続けながら、答えた。
「なあに、まじないよ、まじない。少しのことで、人間は生きられるもんだ。」
劉邦が彼らにしたのは、咸陽への連行の途中で希望を持たせることであった。数十日の行軍の間に、彼らはすっかり引率の劉邦になついてしまっていた。咸陽では、彼らが孤立して虐待されないように、裏の人脈を使って極力手配した。ここで、彼の実力が発揮された。劉邦は、彼らに自棄にならず一年徒刑に服することを命じて、再開を約して別れたのであった。
「― この英雄を、よく覚えておけ。お前たち!」
劉邦は、者どもに言った。
彼らは、劉邦に言った。
「― 『大丈夫、かくあるべし』。ですかい?」
それは、劉邦が咸陽で始皇帝の行幸を見物した際に、彼が嘆息して漏らせた言葉であった。
「― そうだ!俺に付いてくると、得をするぞ。だから、死ぬんじゃないぞ!」
そう言って、刑場の前にも関わらず、皆で大笑いした。
「大丈夫、かくあるべし!ははははは!」
これが、劉邦が彼らを生かした手腕であった。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://suzumoto.s217.xrea.com/mt/mt-tb.cgi/1005

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

          

各章アーカイブ

           
第一章 兵法の章


           
第二章 伏龍の章


           
第三章 宦官の章


           
第四章 動乱の章


           
第五章 楚滅秦の章


           
第六章 死生の章


           
第七章 楚漢の章


           
第八章 背水の章


           
第九章 国士無双の章


                      
第十章 垓下の章



終章~太平の章