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二十 巫祝の歌(1)

(カテゴリ:102伏龍の章

豊の邑では、劉家と呂家の婚礼の日がやって来た。

朝から、劉家の前に大人数が集合した。大して大きくもない劉家の屋敷には、これほどの人間は歓待するのに過大であった。そのため、家の外まで祝いの人間たちがあふれ返り、この日の中陽里は人口が何倍にもふくれ上がった。
劉邦の顔見知りたちが、大勢いた。
同じ中陽里の廬綰が、本日の儀を取り仕切っていた。
周勃がいた。灌嬰がいた。樊噲の巨体は、とりわけ目立った。
県庁からも、何人かが来た。夏候嬰がいたのは、当然であった。任敖も、曹参もいた。曹参は、蕭何が郡役所に配転となった後では、県庁で最も重要な属吏と見なされていた。それでも、彼は駆けつけて来た。今日の県庁は、おそらく開店休業のようなものであろう。
蕭何も、いた。
彼は、阿瑾から聞いたことを、誰にも何一つ言わなかった。
今日の新郎に、怒りの感情を覚えるべきなのであろうか。自分の新婦と重大な関係を結んだこの男に、どのように対処するべきか煩悶するのが、本来なのであろうか。彼は、この場にやって来た。今日新郎の顔を見たとき、自分がどんな感情を持つべきなのか、整理もせずに来た。
呂家に新婦を迎えに行く用意が、出来た。断りをして来たのかどうか知らないが、夏候嬰が公用馬車を数台持ち込んで来た。これで一同で沛まで走って、沛の呂家から新婦を乗せて豊に戻ろうというのであった。といっても、豊に集まった面々の数はあまりに多すぎて、全員が沛まで行くことはできなかった。そこで、馬車に乗り込むのは親族や主だった友人たちだけに限定されることとなった。蕭何は、豊の同郷人として、当然のごとく馬車に乗り込む役目が割り振られた。
「本来ならば新婦を輿に乗せて長道中するところだが、寒空の中で旅をさせるわけにもいかない。それで、豊の近くまで馬車でお出迎えして、そこから全員で輿に乗せて新郎の家に向うようにしたんだ。― まあ本音は、喜酒(きしゅ。披露宴)の宴会が楽しみな皆の衆を待たせるわけにはいかないっていう、新郎の意向なんだけれどな、ははは。」
夏候嬰は、横の蕭何に言った。
やがて、家の中から新郎が出てきた。
彼にしては珍しい、礼装であった。
一同が、万歳を叫んだ。
蕭何は、万歳をしなかった。
劉邦は、夏候嬰の御する馬車に乗り込んだ。
陪乗するのは、義弟の廬綰であろう。皆は、そう思った。
しかし、劉邦は馬車の席から言った。
「蕭何!― よく来てくれた。今日は、お前が俺の横だ!」

何ということで、あろうか。
こともあろうに、劉邦の横に陪乗してしまった。
蕭何は、馬車の上でますます混乱した。
(― この男は、知ってやっているのか?)
寝取られた自分を、からかうつもりなのか?
そう思ったとき、初めて怒りの感情が形になり始めた。
言うべきか?― 今度生まれてくる俺の子は、実はお前の子だ!だがお前などには、やらん!死んでもやらん!阿瑾は一生お前を恨むだろうよ、いや、私が恨ませるようにする、それが、お前の彼女への不実の復讐だ!、、、
しかし、蕭何がこれらの混乱した考えを口に出す前に、劉邦が横を向いて話し掛けた。
「― 蕭何よ。俺がこれまで会った中で、真の男は、お前だけだ。沛の者どもなど、大した奴らではない。豊の連中など、ましてやどうでもよい。俺は、この沛県なんていうつまらん田舎に生まれて、お前がいることだけが、この郷里のよい所だと思っている。お前は、どこまでいっても官吏だ。お前は官吏を越えた人物には、なれない。だが、お前はずば抜けた能がありながら、俺などに目を向けてくれている。お前は、曹参よりも上だ。ましてや県令や郡守どもよりも、ずっと上だ。俺は、これからもお前を頼りにしたい。お前も、いずれ俺を頼りにするだろう、、、な、そうとは思わないか?」
蕭何の方を向いた劉邦の目は、優しさに満ちていた。こんな目で劉邦に見られたのは、蕭何は初めてであった。
蕭何は、東南の郷里の件で、彼の隠れた実力を知った。彼には、官吏の自分などにはできない、人を引き付けて生かす能力があった。蕭何は、一度は彼と争うことの愚を、自分で納得したところであった。その劉邦から、本日これからも協力し合いたいと、真顔で言われてしまった。
(ああ、、、だめだ、私はこの程度だ。)
蕭何は、結局彼に対して何も言えなかった。

新郎の一同は、沛の呂家に着いた。
呂家の者たちが、迎えていた。
新郎を迎える妻は、終始無言であった。まだ怒っているらしい。
新婦の呂雉が、いた。
一同は、初めて劉邦の新婦を見た。
「おっ、、、!」
「ほう、、、!」
「やるなあ、、、!」
灌嬰も周勃も曹参も、思わず感嘆の声を挙げた。婚儀の礼服に見を包んだ彼女は、きらびやかであった。その仕草は、寒中にすら花を咲かせるかのようにかぐわしかった。折りしも天気は新春のように、穏やかな陽射しであった。
宗廟への結婚の報告が終わった後、豊に戻ることとなった。
劉邦以下新郎の一同に加えて、呂家の者たちも自分の方で用意した馬車に乗った。
沛の通りに、馬車の大行列が進んでいった。これまで県令も郡守すらも、これほどの行列を繰り出したことはなかった。路傍の者たちは、これまた万歳を叫んだ。
豊の郊外に戻ると、朝方劉家に群がっていた者たちが、二つの輿を用意して待っていた。
新郎の劉邦と、新婦の呂雉が乗って入場するのである。
「簫を吹いて先導しますよ、簫で!」
周勃が、調子に乗って言った。
「お前の簫は、葬式用だろうが!やめろやめろ!」
全員が、反対した。皆が、どっと笑った。
二つの輿を担いで、行列は街道を進んだ。
やがて、誰かが歌い出した。
歌は、次第に合唱となった。

維鵲有巣  鵲(かささぎ)の
維鳩居之  巣に鳩の子が居る、そりゃなんで?
之子于歸  この子が嫁いで来たわけよ
百兩御之  車百台で、御(むか)えよう!

いにしえの、周の歌謡であった。『詩経』に収められて、周以外の土地でも今や広く知られていた。
人々は、その歌を歌った。庶民でも、古歌を吟じるぐらいの教養のある時代であった。

維鵲有巣  鵲(かささぎ)の
維鳩方之  巣に鳩の子が方(こも)る、そらなんで?
之子于歸  この子が嫁いで来たわけよ
百兩將之  百台揃えて、將(むか)えよう!
・・・

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各章アーカイブ

           
第一章 兵法の章


           
第二章 伏龍の章


           
第三章 宦官の章


           
第四章 動乱の章


           
第五章 楚滅秦の章


           
第六章 死生の章


           
第七章 楚漢の章


           
第八章 背水の章


           
第九章 国士無双の章


                      
第十章 垓下の章



終章~太平の章