«« ”二 力だけを信ず(2)” | メインページ | ”二 力だけを信ず(4) ”»»


二 力だけを信ず(3)

(カテゴリ:103宦官の章

実は、華陰と華陽の一族は、かつて趙王室につながる血筋であった。

趙を強大ならしめた英主の武霊王には、有力な公子が二人いた。
長男の公子章と、後になって寵姫の呉娃(ごあ)に産ませた、公子何であった。
もとは、公子章が太子であった。しかし武霊王は、寵愛する女の産んだ公子何に、やがて心を傾けていった。そしてついに、太子を廃して公子何に取り代えてしまった。公子何は父の生前に王位を継いで恵文王となり、父は主父(しゅほ)と称してその後見役となった。
こうして平の公子に落とされてしまった公子章であったが、主父は廃太子としたにも関わらず、相変わらず彼に大きな力を与え続けた。己の勝手で廃した長男に対する、罪滅ぼしのつもりであったのであろうか。そのうち主父は呉娃に対する熱も冷めてしまい、太子を廃したことを後悔するようになった。彼は晩年に、国を二分して公子章にも王位を継がせたいとさえ、思い始めていた。
だが、そのような長男への恩情が、彼にとってかえって仇となった。公子章は、太子を廃されてこのまま大人しくしてなどいるつもりは、全くなかった。父の恩情で持ち続けることを許されている権力で、事を起こす機会を待っていたのであった。
事件は、ついに起った。主父と惠文王とが沙丘(さきゅう)にある離宮に遊幸したとき、公子章の率いる徒党が、離宮を襲撃した。公子章の徒党は、恵文王の軍と交戦した。激しい戦いであったが、やがて都の邯鄲から王のために救援の軍が駆け付けるに及んで、勝敗は決した。公子章は敗れ、主父が滞在していた離宮に飛び込んだ。今となっては、父の庇護を求めるより他はなかったのであった。
趙軍は、離宮を包囲した。公子章は、何としても許すわけにいかなかった。
しかし、王の側近たちは思った。
「公子章は、主父の寵を再び取り戻していた。これで公子章を殺したならば、今度は我らが主父に誅殺されるのではないか、、、?」
「実際、主父は公子章が逃げ込んで来たとき、離宮の門を開けて迎え入れた。今、その離宮を包囲している。これは恐ろしい含意があるのでは、なかろうか、、、?」
その後、公子章は趙軍によって殺されたが、離宮への包囲は続けられた。恵文王たちは、ついに主父を押し込めて殺すことにしたのであった。包囲すること三月余り、武霊王はついに沙丘の離宮で餓え死んだ。趙王国を戦国北方の雄に育て上げた男は、惨めなことにその自らの国の者たちの手によって最後を迎えたのであった。
こうして内乱は終わったが、主君とその長男を攻め殺した罪悪感は、その後の趙王室に重くのしかかった。
公子章の徒党は討ち亡ぼされたが、残された遺族をどのように扱うべきかで、宮中は紛糾した。王の反逆者の子孫である以上は、全員誅殺するべきであっただろう。しかし、公子章は主父の意にかなった長男であった。主父を飢え死にさせた不忠不孝の責苦が、残された者たちの心中を激しく揺さぶった。
ついに、決断に困って、このような命が密かに下された。
― 公子章に連なる一族は、奴婢の身分となす。今後一族に男子が生まれたならば、産まれると共に宦官として、宮廷に仕えさせよ。
表向きは、全員殺したことにしておいた。しかしながら、やはり殺すのは恐ろしい。だが、反逆の種を作るわけには、いかない。それで、宮中の奴隷として飼い置くこととしたのであった。これによって、公子章の一族は下賎の身分として生きることとなった。
華陰と華陽は、その一族の後を承けた女たちであった。一族の男子は、全て宦官とされて後宮に送られていた。ゆえに女子だけが、子を産んで一族の血を継いでいた。表立っては言えないが彼女らが密かに「趙」姓を名乗っていたのは、彼女らが趙王室の家系の末路であったからであった。そのうち華陽は、秦の王族の子に見初められて、男子を産んだ。さすがにその子だけは、趙王室も捨て置くより他はなかった。だが、華陰が産んだ男子は、例外ではなかった。彼らは、掟の通りに産まれると共に去勢されなければならなかったのであった。

王の前で自ら発覚させてしまった上の子は、その場で王により手打ちに会った。政が走り去った後に、起ったことであった。
すでに宮中にいた次の子もまた、同じ運命を辿った。
華陰は、掟をないがしろにした罪を問われた。全てが、仇となってしまった。もはや、悔やんでも悔やみ切れなかった。彼女は、流す涙も枯れ果てて、死罪の執行を受けた。
後には、二人の子が残された。― 陰姉と、それから産まれたばかりの男の子であった。
男の子は、掟に従い直ちに去勢された。たとえこのまま生き長らえることができたとしても、この子は生涯を、宦官として生きなければならない。
そして陰姉の行方は、もはやわからなかった。
政と母は、宮城の中でこの残酷な結末を聞いた。母は、ひたすらに泣きつづけた。だが政は、母の横で声も出さずに、うつむきながら座っていた。涙は流さず、しかし両の拳を膝の上で握り締めて、歯を食いしばり続けた。重い重いものが、彼の心の中に沈んでいった。もはや彼は、決して笑わない子供となった。
やがて、政の身には巨大な転機が訪れることとなった。
秦王が、薨去した。太子の安国君が、王の後を継いだ。それと同時に、政の父の子楚が、新しい王の太子として立てられたのであった。ついに、呂不韋の画策は大きな実を結んだ。
直ちに趙の政府に、政の母子を帰還させるように秦からの通知が来た。趙の政府は、秦を怒らせないように、政の母子を最大限の礼遇をもって送り届けることとなったのであった。
出立する前の最後の謁見として、政は趙王の前に現れた。趙王は、猫なで声で堂上から政に話し掛けた。
「政よ!、、、さあ、近くに参れ。」
しかし、政は足を動かそうとしなかった。冷ややかな目で、趙王を見つめたままであった。彼は、後宮に迷い込んだ夜のことを、思い出していた。あそこにいた男の声は、確かにこの堂上の中年男のものであった。
「どうした、政!、、、参らぬか。趙と秦とは、親しい国とならねばならぬではないか。」
趙王は、あせりの表情を見せた。今や秦の後継者になろうとしているこの少年のことが、王は恐ろしかったのであった。
政は、ようやく立ち上がって、前に進んでいった。
だが、趙王と共に堂上に上がることは、しなかった。
彼は、数歩歩いて立ち止まった。それから、ゆっくりと周囲の郡臣を見回した。それから、王に視線を移した。九歳の少年は、以前とはまるで違っていた。まだ少年であるにも関わらず、彼は、恐ろしく冷ややかな空気を身にまとわせていた。
彼は、王と列座の群臣たちに向けて、言い放った。
「この邯鄲の事を、私は決して忘れません、、、忌まわしい都だ、全て灰になるところが、見てみたい!」
そう言って、彼はくるりと振り返って退席していった。趙王は、後ろで手をわなわなと震わせていた。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://suzumoto.s217.xrea.com/mt/mt-tb.cgi/1030

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

          

各章アーカイブ

           
第一章 兵法の章


           
第二章 伏龍の章


           
第三章 宦官の章


           
第四章 動乱の章


           
第五章 楚滅秦の章


           
第六章 死生の章


           
第七章 楚漢の章


           
第八章 背水の章


           
第九章 国士無双の章


                      
第十章 垓下の章



終章~太平の章