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二 力だけを信ず(4)

(カテゴリ:103宦官の章

趙を出た政は、生まれて初めて自分の故国の土を踏んだ。

王の宮城である咸陽宮へと長々と続く道を、政を載せた車駕は進んで行った。
咸陽の都は、趙の邯鄲をも上回る、巨大な城市であった。
秦は長らく西の辺境に位置する半野蛮の国とみなされていたが、孝公のとき宰相として仕えた商鞅が新法を敷いて以来、国力は飛躍的に上昇した。この咸陽の都は、商鞅の計画により建設された城市であった。この都が築かれて以来、秦の領地は拡大する一方であった。東は大国の魏から領地の半分を削り取り、南は剽悍な巴蜀の異民族国家を組み敷いて、秦人を送り込んで殖民地と化した。さらに江水(長江)を下って楚を遠く東に追い、今また趙を長平の戦で完全に叩きのめした。今や秦王国は、天下の大部分を領有する超大国であった。
咸陽の都の隅々にまで、秦の国の形が行き届いていた。法によって治められる政府は、不正と無能にはいささかの容赦もなく、武を貴び中原の浮薄な学問を遠ざけている。左右の護衛の兵卒は、軍規厳正であった。彼を迎える百官の目には、怠惰が追放されていた。政がかつて居た趙は軍事大国であったが、秦に比べるとやはり甘さがあった。咸陽には、邯鄲にあったような貴族や富人のためのただれた歓楽の要素など、ない。
故国の都を眺める少年の政の目には、しかし何の興奮もなかった。林立する楼閣の光景にも、彼は目を輝かせることなどなかった。邯鄲を、少し大きくしただけだ。それだけのことじゃないか。彼は、そんな印象を持っただけであった。
(いっそ、火を点けて全部燃やしたらどうだ、、、)
車駕の中で政は、一瞬こんなことを思った。

咸陽宮で、彼は祖父の秦王と、父親の太子に初めて対面した。
秦王は、政を近くに招いて、年にふさわしからぬその怜悧な姿を激賞した。
「これは、見事な子だわい!太子よ、この子がいるだけでもお前を太子にした価値があったというものよ!」
秦王は、政を腕に抱いて呵呵大笑した。祖父の酒臭い息が、政には極めて不快であった。
初めて会った父親の太子は、ずいぶん青白い顔をしていた。実は、彼は最近胸を病んでいて、昔に比べて相当に衰弱していた。自分の嫡男が父王に気に入られたのを見て、父は涙を流して感激していた。女々しい奴だ、と政は思った。
彼が咸陽で会った中で、唯一感銘を受けた大人は、呂不韋であった。
呂不韋は、政に深く拝礼してから、言った。
「あなた様は、ゆくゆく秦王となられるでしょう。これからは、君主となられるために必ず努力なされませい。」
政は、呂不韋に聞いた。
「どう努力せよ、と申すのか。」
呂不韋は、答えた。
「家臣の正邪を見定め、堅臣を近づけ佞臣を遠ざけることです。」
「ふん。つまらん。」
政は、鼻で笑った。
すると呂不韋は、やにわに立ち上がった。
立ち上がって、右の手で政を張り倒した。
「、、、、!」
後ろに吹き飛んだ政に向って、呂不韋は言った。
「つまらぬかどうかは、政治とはどういうものかを学んでから言いませい。人の世界の頂点に立つこと、これがどれだけの快楽であるか。用意もなく頂点に立てば、人は狂うのみ、、、孺子(こぞう)!お前は、やがて頂点に立って快楽の限りを尽すことができるようになるであろう。その時になって狂わぬように、それがしは申しておるのだ。頂点に立つ者は孤独であるゆえに、明察する知と非情の術を手に入れなければならぬ、、、私の仕事を、よっく見て学ぶがよい。」
呂不韋は、政の父を太子にするために、秦の政府内でこれまで激しい戦いを続けてきた。年季の入った策士の顔が、打(ぶ)たれた政に強く印象に残った。
しかし、政の父の子楚が太子であったのは、わずか一年であった。
秦王は、先王の服喪が終わってから正式に即位の式を挙げたのであるが、何とその三日後に急死してしまった。
死因は、明らかでなかった。しかしながら、これは政の父と呂不韋にとって、有利なことであった。政の父は、すでに病弱で余命がどれだけ続くかもあやしかった。もし秦王が在位し続けて政の父がまずます衰弱していけば、他にも大勢の子供がいる秦王は太子にしたことを再考するようになったかもしれない。だから、秦王の急死は呂不韋たちにとって計ったように絶好の出来事であった。もちろん呂不韋は、このことについて何一つ話すことがなかった。政の父はついに秦王となり、呂不韋は丞相となった。そして政は、早くも秦王国の太子となったのであった。

政の父は、即位四年で薨去した。ほとんど、目立たない王であった。政は、彼に何の情愛も感じていなかった。父王の死を聞いたとき、彼が思ったのはこのことであった。
(― これで全てを、手に入れる、、、そして何もかもを、倒す!)
政は、忌まわしいこの世界に突き刺す刃を、待っていた。今、それを手に入れたことで、喜びに打ち震えていた。趙は、必ず亡ぼす。韓、魏、燕、楚、斉、、、皆、同じだ。全部、倒してやる。この秦すら、徹底的に変えて見せよう、、、
政は、ついに秦王として即位した。このとき政は、十三歳となっていた。
ゆえに、これから後は、彼のことを秦王と呼ぶことにする。
秦王は、呂不韋を尊んで相国と称した。彼の有能は、若い秦王に大いに感銘を与えていた。大人たちの中で唯一感銘を受けていた彼を、秦王は「仲父(ちゅうほ)」とまで呼んだ。つまり亡き実父に準ずる地位を、彼に与えたのであった。もっとも実父への愛など、秦王には何一つなかったのであるが。
秦王は、呂不韋と共にいよいよ全てを倒すための行動に出たいと願った。彼もそれを支持してくれることを、期待した。
だが、秦王は次第に呂不韋から肩透かしを受けるようになった。
秦王は即位したものの、政治のことはまだ十分に学んでいなかった。気負いは立ったものの、複雑極まる内政外交の諸事について、まだ年少の彼は大海を眺めるようであった。仲父から諭されて、やむなく彼は大臣たちに政務をゆだねることとした。秦王は、自分の無力を頭を抱えて悔しがった。
仲父は、秦王のことをまだ子供だと思っていた。それで、ほとんど彼のことは棚上げするかのようであった。秦王が何か意見を言おうとしても、彼はまともに聞こうとしなかった。彼は、自分の権力の快楽を味わうことに精一杯だったのである。
棚上げされた王の時代が、しばらく続いた。
ある日、秦王は仲父と対座していて、彼に言った。
「― いつになったら、六国を亡ぼすのですか。」
仲父は、答えた。
「六国は、反復常ない輩です。うかつに強襲すれば、必ず合従して秦に当るでしょう。今は、少しずつ勢力を掘り崩していくべき時期なのです。」
秦王は、返した。
「秦の力は、もはや天下に並ぶべきものがないではありませんか。どうして、ためらうのですか。」
仲父は、答えた。
「周王国が衰え、天下が諸国に分かれてから、五百年余が過ぎております。中国は、もはや国が分かれているのが常態となってしまっているのです。五百年のことを、いきなり崩すことはできません。」
だが秦王は、さらに返した。
「― 余は、王である。頂点に立つ者の意思が、全てを決めるのではないのか?余は、六国を亡ぼしたいと願っている。下の者は、王の意思に従って全力を尽すべきなのではないのか?百官も、大臣も、そして、、、仲父、あなたも!」
仲父を見据える彼の目は、真剣であった。
仲父は、答えに詰まった。それは、確かに絶対権力の大原則であった。仲父は、秦王がその原則を悟るまでに成長したことを知った。もう、政治から彼を遠ざけることが難しくなり始めていたのであった。
彼は、ここで引退するべきであった。しかし、権力にしがみ付き続けた。そして仲父もまた、秦王の眼中に入るべき人物の資格を失っていった。

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各章アーカイブ

           
第一章 兵法の章


           
第二章 伏龍の章


           
第三章 宦官の章


           
第四章 動乱の章


           
第五章 楚滅秦の章


           
第六章 死生の章


           
第七章 楚漢の章


           
第八章 背水の章


           
第九章 国士無双の章


                      
第十章 垓下の章



終章~太平の章