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三 破壊の後裔(1)

(カテゴリ:103宦官の章

(ろうあい)という宦官が、急速に秦の中で力を付けるようになっていた。

彼は、今や太后となった母の口添えによって、貴族に列せられて長信候とされた。太后は、秦王の唯一の肉親である。彼女の望みだけは、秦王といえども聞かないわけにはいかなった。だが、その嫪は、実は宦官ではなかった。立派に生殖能力のある、男であった。要は、太后の愛人だったのである。
息子と共に秦に連れられてきた太后の心の中も、息子と同様に壊れていた。彼女は、自分たちを長年見捨ててきた夫と呂不韋に、激しい憎悪の念を懐いた。だが夫はすでに病弱で、やがて死んでしまった。残った呂不韋に対して、彼女の怨念の情は燃え上がった。太后の身分として、呂不韋を呼びつけてはなじり倒した。その恐ろしい情念に、呂不韋は寒気がした。
ある夜、呂不韋はまたも太后に呼びつけられた。彼が太后の室に入ったとき、そこで見たものは、何一つまとわぬ太后の姿であった。
「后(われ)は、、、まだ女であるぞ。呂不韋、お前はかつて后の主人であった、、、これからは、后がお前の主人となるのだ、、、」
太后は、かつて呂不韋の前で舞った、懐かしい舞を踊り始めた。彼女の肢体は、かつての主人の前で、勝ち誇るようであった。
それから、太后と呂不韋は、密かに通じるようになった。
だが、王の母親と密通するなどということは、相国の彼にとってまことに危険なことであった。彼女は長年の抑圧を解放させたかのように、呂不韋を呼びつけることが幾度にも重なった。
「こんなことからは、早く逃げなければならぬ、、、」
呂不韋は、困惑した。
そこで、太后に男を与えることにした。
彼は、相国として巨大な富を誇っていた。彼は、信陵君や春申君らの声望を羨んで、自らも数多くの食客を招いた。三千人と言われた舎人たちの中から、彼はある男を選び出した。それが、陽物踊りの名手、嫪であった。この男は美貌である上に、常人を越えた強靭な男根が芸の種であった。この男根を桐の車輪に指し込んで、人間戦車の滑稽な踊りをする。卑猥さにあふれた芸が売り物の、舎人たちの中でも名物男であった。
呂不韋は、またも呼びつけられた太后の前で平伏しながら、彼女に言上した。
「臣は、相国として国政で激務を重ねております。それゆえ、近年体のあちこちが痛むようになりまして、これ以上太后樣のお相手を続けることが、難しくなりました、、、」
「ふん、軟弱な男よ、、!」
太后は、眉間に皺を寄せた。
呂不韋は、すかさず続けた。
「太后樣は、さぞかしお淋しうなられることで、ございましょう、、、できれば、臣が取り計らって、代わってお側に仕える下男を密かにお送りしたいと存じまする。もし、ご所望の者があれば、遠慮なく申し付けてくださいませ。」
彼の申し出は、露骨そのものであった。だが太后は、もはや遠慮の心などはどこかに置いてしまっていた。彼女は、しばし考えた後に、呂不韋に申し付けた。
「― お前の手元に、嫪という男がいるであろう。連れてくるがよい。万事、ぬかるでないぞ。」
平伏しながら、呂不韋はほくそ笑んだ。すでに太后の周囲に、陽物踊りの男の噂が流れるように手配してあった。さっそく嫪は宦官に装われて、太后の元に送り込まれた。それから以降、太后の嫪への寵愛は増すばかりであった。太后は密かに嫪の子まで産み、その子を秦王に取って代わらせる策略すら行なうようになったのであった。
しかし、この忌まわしい事情が、とうとう秦王の耳に入った。
仲父と呼んだ、呂不韋の醜悪な側面。
邯鄲の頃からずっと共にいた、母の狂乱。
これらのことを、秦王はいちどきに知った。
「― 信じたのが、誤りであった。」
秦王は、もたらされた密告の内容に間違いがないという報告を聞き終わった後で、目を閉じた。
それから、くわっと目を見開いて、大声で言い放った。
「余はもう、誰も信じない!全ての人間は、余の敵だ!そうだ、そうなのだ、はははははは!」
秦王は、声を立てて笑った。彼らと共に、自分もまた狂うだろう。狂って、彼らを亡ぼすであろう。もはや秦王は、躊躇しなかった。
秦王は、長信候嫪をおびき出す策略を立てた。彼は、秦の故都の雍(よう)に赴いて、冠礼を行なった。成人として冠を被り、剣を帯びる儀式である。このとき、供の部隊はわずかであった。
果たして、長信候は機会到来と見て蜂起した。彼は偽りの王の御璽と太后の印璽を用いて部隊を集め、秦王の居る雍に攻め入ろうとした。しかし、それは事前に仕組まれた罠であった。
長信候の軍は、雍に行き着く前に秦軍によって殲滅された。長信候は逃亡したが、秦王は銭百万を賞金として、彼を捜索させた。長信候嫪は捕えられ、車裂の刑に処されて首は梟(さら)された。その一族は、皆殺しとなった。
呂不韋は、相国を罷免された。最初秦王は彼もまた殺そうと思ったが、これまで秦に尽した功績が大きかったので、いったんは死を免じて河南の封地に引退させた。しかし、彼が生き長らえたのは、わずかの間であった。引退した呂不韋の封地を訪れる賓客が相変わらず多いのを見て、秦王は危険を感じた。それで、彼に書を送った。
「あなたは、秦に何の功績があって、秦より河南に封じられて、十万戸の食邑を受け取っているのであろうか?あなたは秦と何の血縁があって、仲父と呼ばれているであろうか?、、、家族と共に、蜀へ移住するがよい!」
呂不韋は、もはや秦王に追い詰められたことを知った。これまで軽くあしらっていた子供は、いつの間にか恐ろしい権力者となっていた。彼は、観念して自害した。
『史記』呂不韋列伝には、呂不韋が秦王の実の父である、という記事が載せられている。すなわち、呂不韋は秦王の母を子楚に差し出す前に、すでに種を仕込んでいたというのである。しかし、前も言ったように、これは秦王の出自を貶めるために、後世に作られた噂話ではないだろうか。真相は、司馬遷が断言するほどには明らかではないように思われる。
かくして、秦王は国の全権を握った。
「いよいよ、全てを倒す時が来た、、、!」
秦王は、咸陽宮から函谷関の向こうを凝視した。
彼の道をさえぎる者は、ことごとく力で踏み潰すつもりであった。

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各章アーカイブ

           
第一章 兵法の章


           
第二章 伏龍の章


           
第三章 宦官の章


           
第四章 動乱の章


           
第五章 楚滅秦の章


           
第六章 死生の章


           
第七章 楚漢の章


           
第八章 背水の章


           
第九章 国士無双の章


                      
第十章 垓下の章



終章~太平の章