覇業に進む若い秦王には、常に側に仕える謀士がいた。
李斯という、男であった。
彼はかつて荀子の下で学び、天下を作り変えるために最強国の秦にやってきた。張良と韓信の師である黄生が李斯の才に感嘆して、とても自分はかなわないと評価していたことは、以前にも書いたとおりである。
彼が秦王の下に仕えるようになるまでには、以下のようないきさつがあった。
秦にやってきた彼は、まず当時権勢並ぶものなき相国呂不韋の下に赴き、舎人の一人となった。
(呂不韋は、秦王国の実権を全て握っている。この男に説いて、秦を天下改造のために動かしてみせようぞ。)
李斯は、相国呂不韋に対して、自らの構想を熱心に説いた。呂不韋は、彼の雄大な計画を大いに興味深く聴いた。李斯は、手応えを感じたつもりであった。
しかし、李斯が相国からその後に申し渡されたことは、こうであった。
「― お主を、王の郎(ろう。侍従)に推挙することとした。王の下で、仕えるがよい。」
李斯は、失望した。今の秦王は若年で、相国の飾りものに過ぎない。その王の傅役(もりやく)になどなっては、自分の構想を役立てることもできない。
彼は、秦に来たことを一度は後悔しかけた。
しかし、秦以外に天下を統一できる国は、ありえない。
(ならば、王を真の実力者に、仕立て上げてみせようではないか?それぐらいのことが出来ずして、どうして俺は秦に来たのか!)
彼は、考え直して、若い秦王の郎として仕えることにした。
彼が仕えた若い王は、やり場のない憤りを抱えた孺子(こぞう)であった。
王の周囲の者の評価は、粗暴であると評価した。また別の側近は、心の内が見えないと案じた。かと思えば女官たちの中には、心中に耐え切れない痛憤を抱えておられると同情する者もいた。
李斯は、それらの評判を聞いて、思った。
(怠惰であるよりは、憤りを持っていた方がよい。君主に必要なのは、慈悲の心ではない。上に上を目指し、さらに上を望もうとする、気概なのだ。この俺の言葉は、気概ある君主を奮い立たせることができる。俺の言葉を聞く能があるかどうか、ひとつ孺子に試してみてやろうでは、ないか、、、?)
やがて、李斯は秦王の前に謁見した。
「― このたび郎に推挙いただきました、臣李斯でございます。」
「お前が、李斯か―」
李斯は、若い秦王の顔を初めて見た。
(― 不満が、心中に渦巻いている。)
彼は、そう観察した。秦王は、少年時代には仰ぎ見ていた相国に、苦く失望していた。だが、彼にはまだ力が足りなかった。彼の周囲には、共に事を起こそうという家臣は、一人も見出せていなかった。
「申したい言葉があるならば、言うがよい。ただし、諂いの言葉などは、余には一切必要ない。」
秦王は、李斯に対して厳しい目を向けた。
(我が言葉を、待っている― よろしい!)
李斯は、秦王に対して率直の議論を行なうことに決めた。
「― 諂いの言葉など、もとより臣は持ち合わせておりません。臣は、こう聞いております。知らずして言うは不知、知って言わざるは不忠であると。いやしくも人臣となりて不忠なれば、それはまさに死に値します。しかし人臣として言ったことが当らなければ、それもまた死に値します。しかし、臣はあえて、ことごとく聞く所を申したいと存じます。大王。わが言を聞かれて、その罪を裁しなされ。」
そう言って、李斯は秦王をしっかりと見据えた。
心中に野心をふつふつとたぎらせた、男であった。彼の頭の中には、世界を一変させる革命の計画が、逆巻いていた。しかし、その外見は林のごとく静かで、凪の海のごとく感情を表に出すことはなかった。
「その言、しかと聞き遂げた。お前の意見、余が量ってくれようぞ。」
秦王は、彼に返した。見えざる火花が、二人の間に散った。
李斯は、論じ始めた。
臣が世間の言を聞くに、『天下は燕を陽にして魏を陰にし、楚を連ねて斉を固め、韓を加えて合従すれば、西に向けて強秦と対抗できよう』などと申しております。臣は、この言について可笑しくてなりません。乱国が治国を攻めて、亡びないことがありましょうか?邪悪な国が正義の国を攻めて、亡びないことがありましょうか?道に逆らう国が道に従う国を攻めて、亡びないことがありましょうか?― 世の中には三亡というものがあって、今の天下がそれに向っているというのは、まさにこのことなのです。
「うむ―」
秦王は、小さくうなずいた。
現在、天下の府庫は満たず、囷倉(きんそう。倉庫)は空虚であるのに、各国は士民を根こそぎ徴集して、数十百万の軍を張っています。多くの兵が、髪を整え羽を飾り、将軍のためにあえて死せんと意気揚揚です。その兵の数は、千人に留まりません。これほどまでに決死を言い立てているにもかかわらず、いざ戦場で白刃に向えば、彼らはたとえ後ろに斬首の斧があっても背走して死ぬことができません。士民が死を恐れているのでしょうか― 否!上が、無能だからなのです。賞を約束しても与えようとせず、罰の掟を言いながら実行しない。賞罰に信がないゆえに、士民は死なないのです。
一方秦は、号令を出して賞罰を行なうに、功有る者と功無き者とをはっきりと記録しております。秦の士民というものは、父母の懐より出て、生まれていまだかつて戦闘を見たことがない者が、しかも戦いを聞けば、足を頓(おど)らせて徒裼(とせき。上半身裸になる)し、白刃を犯して鑪炭(ろたん。燃え盛る炎)を踏んで、あえて前に向けて死ぬのです。あえて死ぬことと、あえて生き延びようとすることは、同じはずがありません。なのに、秦の民はこれをしようとする。それは、奮戦して死ぬことを尊んでいるからです。一人の奮死者がいれば、十人に当ることができます。十人は、百人に当ることができます。百人は千人に当り、千人は万人に当り、そして万人の奮死は天下に勝つでしょう。
今や、秦の土地は四方を均せば、方数千里。精鋭の軍は、数十百万。秦の号令賞罰に、地形の利害は、天下に比するものとてありません。この秦の力で天下と争ったならば、どうして天下の方が持ちこたえることなどできましょうか?だから、これまで秦は戦えば必ず勝ち、攻めれば必ず奪い取ったのです。当るところ破らざるものなく、数千里の土地を開きました。偉大な功業です。それなのに、今兵は傷つき、士民は病み、蓄積は尽き、田畑は荒れ、囷倉は空しく、そして四隣の諸侯は服さず、覇王の名は成っていません。これは、その謀臣が忠を尽していないからです。そうでしか、ありえません。
「― まさしく!」
秦王は、李斯の言葉に引き付けられていった。秦が進むべき道が、李斯の言葉にはあった。そして、進むべき道をためらっている者たちへの断固たる拒否が、李斯の言葉にはあった。それは、秦王が長らく待ち望んでいた言葉であった。



