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四 革命の男(2)

(カテゴリ:103宦官の章

李斯は、それから過去の秦国の謀臣たちが犯した戦略的過失を、適確に説明していった。

どうして、かつて楚を大破して都の郢を陥落させたときに、一気に軍を進めて楚を亡ぼさなかったのか?もしそうしていれば、秦は楚の土地と民から思うさまに利益を吸い出して、燕・斉をしのいで韓・趙・魏を抑えることができたであろう。そうすれば、秦が覇者となるのはずっと早かったはずなのだ。なのに、当時の謀臣は王にそれを薦めず、楚と和議などを行なった。結果として楚は回復し、再び秦と敵対するようになったのである。
かつて趙を攻めたときもまた、同じであった。上党の土地を巡って長平で争い、趙軍を完膚なきまでに叩きのめした。どうしてあのとき、邯鄲の包囲を易々と撤回して、再び趙と和議などを結んだのであろうか?趙を亡ぼせば、隣接する韓・魏は必ず亡びるのである。魏は、趙・韓の占有する河北・河内の土地さえ奪えば、都の大梁を白馬の口から水攻めにすることができるだろう。それで、魏は亡ぶ。魏が亡べば、もはや楚は丸裸となって、必ず突破される。ここまで来れば、燕・斉の命運もまた尽きる。こうして、秦は覇者となったはずなのである。なのに、このときも謀臣たちは王に薦めずに、趙と和を成したのであった。

王の明察と、秦兵の強さをもってしながら、覇王の業を棄てて土地も得られず、亡国の趙に欺かれました。これは、謀臣が稚拙だったのです!
こうして趙は亡ぶべきを亡びず、秦は覇者たるべきを覇者となりませんでした。天下は、まずこれによって秦の謀臣の程度を見くびりました。士卒を尽して邯鄲を攻めて、しかも抜くことあたわず、甲(よろい)も兵も弩(いしゆみ)も棄てて、あわてて退却しました。天下は、これによってさらに秦の謀臣の程度を見くびりました。こうして軍をいったん引いて集結させ、王もまた軍を率いて駆け付け、再戦しましたが結局勝てませんでした。その上引くこともせずに、長滞陣の末に消耗して戦いを切り上げました。天下は、これによってさらに秦の謀臣の程度を見くびりました。内においてはわが謀臣の程度が見くびられ、外においてはわが兵力を消耗させました。この結果から推測すると、臣は思いますに天下はほとんど易々と秦に対して合従いたしましょう。内にはわが甲兵は破れ、士民は病み、蓄積は尽き、田畑は荒れ、囷倉は空しくなりました。外は天下の合従はますます固まろうとしています。願わくは、大王これをよくよくご熟慮いただきますように。

李斯の言葉は、現実を見据えるべきことを指摘していた。秦の国力は、すでに天下を征服できるまでの力があるのである。それは、秦の体制がなさしめた必然の結果であって、この流れは決して止まることがない。なのに、これまでの謀臣どもはあるいは決断なき臆病のため、あるいは近視眼的な愚劣のため、またあるいは他国に買収された裏切りのために、他国を保全することを常としてきた。その結果、無用の戦争が続き、さらには秦の実力まであなどられて敵勢力に力を与えているのである。このような謀臣は、斥けなければならない。王は、秦の強さの現実を直視して、今こそ天下の覇者となるべきなのです。大王よ。臣の言葉を聞いて、しかも天下の覇者となれなければ、そのときには臣を斬罪に処すがよい。そうして、不忠の謀略者であると、臣のことを天下に宣言なされい!―
李斯は、全てを語り終わった。秦王は、彼が語り終わった後、目を閉じて静かに座したままであった。

実は、以上の進言は『韓非子』初見秦篇に収められているものである。
しかし、これを韓非の言葉とみなすのはおかしいという疑義が、昔から存在していた。故国韓の保全を願っていた韓非が、秦王に六国を亡ぼせと進言するはずがない。それで、別人の論議であろうというのが、大方の定説である。
では、誰の論議なのであろうか―?
真相は、明らかでない。
だが、もし李斯の論議であったとするならば、彼の名前が伏せられたことには、十分な理由があると思われる。後世秦の支配が覆った後に、李斯は秦の後を継いだ漢の学者たちによって、先を見通す力のない愚者として組織的に貶められた。韓非を高く評価した司馬遷もまた、李斯について韓非には遠く及ばないことを書いている。後世の者たちの色眼鏡を通した視点からは、彼には明察の言葉を語るべき資格は許されなかったであろう。
だが、李斯はそのような後世の評価に関わりなく、わずかの期間に秦帝国の丞相として数多くの実績を作り上げた。その多くは、後世二千有余年に渡って中華帝国の基本制度として受け継がれたのである。どうして、彼が愚者であったはずがあるだろうか。ゆえにこの物語では、これまでに述べた『韓非子』劈頭の議論の論者を、李斯が秦王に披露したものであったと想像してみた次第である。
秦王は、李斯を長史に昇進させた。
そして、李斯の言を聞いてから時を措かずして、ついに呂不韋を追放して秦の実権を握った。
呂不韋を追放した後、秦王は李斯に言った。
「お前の言葉を、採用する時が来た、、、余は、天下を平定する!」
「― 必ず、成し遂げて見せましょうぞ。」
李斯は、静かに答えた。
李斯は、さらに昇進して客卿に進んだ。
この時期、一つの謀略が秦の中で発覚した。
以前から、小国の韓の出身者で、鄭国という水工が秦のために働いていた。鄭国は、関中盆地の水不足を解消するために灌漑用水を作るべきことを、秦の政府に売り込んで採用されていた。工事は、秦の総力を挙げて行なわれた。
だが実は、彼は韓の間諜であった。韓は、無用の土木工事を秦に起こさせて、秦の国力を疲弊させようとしたのであった。秦が工事に忙殺されて金を使い果たせば、他国侵略を顧みる余裕などはなくなるであろうと、韓は姑息に考えたのであった。
その謀略が明らかとなったとき、秦の政府内では国粋主義が湧き上がった。王国の一族や大臣は、外国出身者をことごとく追放しようと運動した。
「困った者どもだ。超大国の秦の一員でありながら、まだ国の枠組みで政治を考えている、、、」
李斯は、思った。他国人を締め出す逐客令などを出したならば、天下統一は夢と消えるであろう。時間を、逆戻りさせてはならないのだ。
李斯は、直ちに秦王に謁見した。
「百官どもが他国人を追放するなどと申しておるようですが、これは過ちです。この秦国が、いかに他国人の功績によって繁栄するようになったのかを、思い起こしてごらんなさい、、、」
彼は、繆公(びゅうこう)が虞から百里奚を迎え入れてついに覇者となったところから説き始めて、歴代の秦王がいかに外国人の人材によって功を立てたかを述べ立てた。今、秦は大国なのである。大国は、内外から人を集めるからこそ、ますます富強となるのである。逐客令などは、国にとって何の益もありえない。
「泰山は土を選ばず受け入れ、大河は細流を選ばず受け入れ、そして大国は衆庶を選ばず受け入れるからこそ、天下の徳となるのです。人民を捨てて敵国に利を与え、賓客を斥けて諸侯に功業を立てさせてはなりません。どうか、逐客令などはお取りやめになられるように。」
「卿、お前の言う通りである。」
秦王は、逐客令を取りやめた。
彼もまた、秦人ではない。他国出身の、客卿である。それで、進言をした彼に対して、周囲の者たちは己の保身のために秦王を説き伏せたのだと、陰口をした。
李斯は、それらの無定見な言葉を、一切聞き流した。

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第二章 伏龍の章


           
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第四章 動乱の章


           
第五章 楚滅秦の章


           
第六章 死生の章


           
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第八章 背水の章


           
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第十章 垓下の章



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