始皇三十七年十月、癸丑の日に、始皇帝は東に向けて巡幸に出発した。
五年ぶりに行なう、これまでの先例を上回る大規模な巡幸であった。巡幸は咸陽から出て関中の南の関である武関を抜け、一路南下する。旧楚のはるか南にまで赴き、雲夢(うんぼう、洞庭湖)の湖水に望み、江水(長江)を見るであろう。それから大河を下って東に向かい、会稽から呉にまで渡る。さらに巡幸の一行は北に方角を変えて、海岸に沿って進む。琅邪(ろうや)・之罘(しふ)の山東の名山を訪れ、旧斉の各地を経巡ってやがて旧趙に向う。そこからさらに北方の諸地域までを巡幸する計画が発表された。それは、ほとんど中国の全土を踏破する距離であった。会稽や呉など、初めて巡幸が向う土地も含まれていた。これらの土地に向かうための馳道は、すでに以前から整備が行なわれていたのであった。しかし始皇帝はここ数年移動することをやめてしまい、咸陽の奥深くに籠りっきりとなっていた。だが今回の巡幸は、皇帝がまるで鬱積していた己の活動欲を一気に発動させたかのように、巨大な計画となった。
皇帝の久しぶりの巡幸の決断に、咸陽では百官が目まぐるしく動いた。
今回の巡幸は、旅程から見積もってほとんど一年に及ぶ大規模なものになると計算された。直ちに全土の郡県に向けて、人員物資の動員が下達された。その動員が各地の人民の生活にどのような結果をもたらすかなどは、一切顧みられることがなかった。皇帝の命は、法に制御された秩序を通じて、滞ることもなく浸透されていった。命令遂行の能率という面からだけ眺めれば、秦帝国の行政組織は完璧な姿を見せ付けることとなった。下命からわずか一月の間に、巡幸の準備は万端ぬかりなく終わったのである。
巡幸に向けて、帝国の行政は二つの系統に分けられることとなった。すなわち一つは始皇帝の巡幸に伴って動く、皇帝直近の官吏集団であった。皇帝は全ての律令と詔の法源であるために、皇帝が発する下命はたとえ巡幸の最中であっても直ちに法として執行する必要があった。そのために、帝国の最高級の大臣と官吏の一部が割かれて皇帝に同伴することとなった。もう一つは、咸陽に残る通常の行政組織であった。あまりに巨大で膨大な官吏を抱える帝国の行政は、一日たりともその事務を休ませるわけにはいかなった。そのために、咸陽に大臣百官の大部分が残されて、通常の行政運営を担当することとなった。
巡幸に付き添う人員もまた、発表された。
李斯は、左丞相とされて、始皇帝と共に東に向かうこととなった。咸陽には、右丞相として馮去疾(ふうきょしつ)が残ることとなった。
上卿の蒙毅も、皇帝に同伴することとなった。彼の兄の蒙恬将軍は、北辺の守備として上郡に駐屯していた。
そして、やはり趙高が中府車令として皇帝の車の管理をすることとなった。皇帝の巡幸には、閹官たちも伴っていった。宦官の要である趙高は、当然のごとく始皇帝に伴われることとなったのであった。
その趙高に寄り添うように、やはり公子の胡亥がいた。巡幸が発表されたとき、趙高は胡亥に言った。
「公子さまは必ず、陛下に言上されて同伴申し上げることを願い出るのです。必ず。」
胡亥は、言った。
「わかったよ、、、父上に頭下げればいいんだろ?」
胡亥は、素直に趙高の言葉を聞いた。こうして胡亥は、父帝に同伴することを願い出たのであった。いっぽう彼の兄の扶蘇は、相変わらず蒙恬将軍のところに身を預けられていた。
こうして、始皇帝の一行は巡幸に出発することとなった。冬の始まった寒冷な十月の日に、出発の壮大な式典が、阿房宮で行なわれた。高く築いた台の上にそびえる巨大な宮殿は、いまだに工事中であった。だが、すでにその全貌は次第に明らかになり始めていた。これまで中国では誰も見たことがなかった、膨大な石と木と土の建築であった。北山から掘り出した石材の数、南の蜀や楚から切り出した材木の柱の本数、高く掲げられた屋根の瓦の枚数、床にびっしりと敷き詰められた塼(せん)の枚数、、、どうやってこれほどの建築が造られることが可能であるのか、誰にも想像がつかなかった。だが、古代の工匠技術は、確かにそれを可能となしつつあった。
始皇帝は、巡幸に当ってあえてこの工事中の宮殿の前で、式典を執り行った。この宮殿と、広大な前庭に所狭しとはためく旌旗(せいき)の数々は、彼が生涯を通して描き続けている力の芸術の象徴であった。始皇帝は、台上からその姿を眺めた。彼は、こうして自分の強大な力を、今日改めて実感した。
「長い間、朕は宮殿の奥深くで、腐り続けていたというのか、、、」
始皇帝は、一人つぶやいた。長年の迷妄を覚まそうとするかのように、彼は東に出ようとしていた。
― 政。ここを、出るのです。
宮殿の夜に見た、幻影の声が脳裏にちらついた。
「あれは、、、朕を誘う幻影であったか。まさか、あの姿が、、、」
幻影の姿は、あの日以来術に掛けられたように、始皇帝の頭に浮かんでは消えた。
「― 死、、、死?違う!違う!」
始皇帝は、うなった。
彼の下には、李斯を始め帝国の重鎮が居並んでいた。しかし、皇帝の声は、冬の強風にあおられて下には聞こえなかった。
左丞相の李斯は、始皇帝の台下にいて物思にふけっていた。
(― この男は、、、)
李斯は、すでに二十余年仕えている皇帝のことを、昔初めて会って孺子(こぞう)と思ったときと同じような思いで思案していた。
(まるで孤児のようだ。人間をまるで信用しようとしない。人を恐れ、人と距離を取ることでようやく精神の安定を保っている。このような精神の人間は、幸福を感じることは、ありえない。幸福でないゆえに、常に不満なのだ。)
李斯は、これから左丞相として皇帝の供をすることになっていた。実に皇帝の顔を見たのは、李斯ですら久しぶりであった。それほどまでに、近年の皇帝は他人と会うことを忌避しつづけていた。だが、李斯は会うことができない皇帝のために、何も言わず帝国の行政を執り続けた。もし大臣百官どもが皇帝に不遜の言を吐いたならば、彼はいささかも容赦せずに処分した。李斯は、皇帝に忠実に仕え続けたのであった。
李斯は、冷たい風の間に間に、思った。
(だが時代は、この男が必要だった。この男が、全てを始めたのだ。だからやりたいように、やらせてみよう。答えなど、無いのだ。私は、もはや覚悟を決めている。行き着く所まで、行かせなければならぬ、、、)
冬の乾いた関中の平原に、短い日は早くも傾き始めていた。



