かくして巡幸の列は咸陽に入り、ついに二世皇帝胡亥の名で始皇帝の喪が公布された。
未曾有の征服を成し遂げた始皇帝は、崩御したのである。その突然の知らせは、秦本国はおろか秦が征服した全ての土地に対して、深く深く鳴り響いた。
二世皇帝の名で、将軍の蒙恬と上卿の蒙毅は、直ちに抹殺された。公子扶蘇は死に、彼を担いでいた蒙恬・蒙毅の兄弟もまた、取り除かれた。有無を言わせぬ電撃の手腕は、もちろん趙高が教えたものであった。趙高は、やがて郎中令に昇った。郎中令とは、秦帝国の大臣に当る九卿の一つである。趙高は、二世皇帝胡亥によって帝国の最高指導部の一列に加えられたのであった。
胡亥の即位を許した李斯は、引き続き丞相に任命された。彼は、二世皇帝となった胡亥から改めて丞相の印綬を受けた。
広大な宮殿の主となった二世皇帝は、眼下に平伏する李斯に言った。
「郎中令が、お前を残せと申したから、丞相に留め置く。」
「有難き幸せに、ございます。」
李斯は、皇帝に申し上げた。
だが二世皇帝は、この天才的な政治家にそれ以上の言葉を掛けようともしなかった。
「― それだけだ。」
そう言って、ぷいと退席してしまった。
皇帝が退席しても平伏したままでいた李斯のそばに、郎中令の趙高が忍び寄った。
趙高は、彼にささやいた。
「敵は、全て滅びました。もはや、丞相の地位も安泰です。我々だけが、丞相の仲間なのです。ご安心なされい。」
李斯は、小声でつぶやいた。
「、、、貴様に仲間になど、思われたくないわ、、、」
その声は、趙高に聞こえない大きさのものであった。趙高は彼のつぶやきに対して、特に何の反応もしなかった。見たところ、聞こえていないかのようであった。
李斯との会見を切り上げた胡亥は、そそくさと後宮に向かっていった。
今日の彼は、自分のための新たな後宮の品定めをする作業に、早く熱中したかった。先帝の下で巨大な功績を積んだ老政治家と会見することよりも、己の後宮作りを楽しむことを優先する。それが、若い彼がその反抗的な趣味心をとりあえず見せた、表現であった。
ついに手に入れた後宮の中で、胡亥は夢想の真っ最中に己を置いた。
思いもかけず、全てが許される皇帝の地位が転がり込んだ。大帝国の皇帝とはあまりにも膨大な権力であって、理解することすら常人には困難なことであった。それで、いろいろと夢想するだけでも、胡亥は楽しい時を過ごすことができた。
「何をしても、よいのか!、、、これは、面白い!面白いぞ!」
彼は、手に入れた後宮の豪華な褥(しとね)で、素裸で転げ回りながら興奮していた。
側には、女たちが表情も変えずに侍っていた。
胡亥は、やにわに立ち上がって、まるで指揮をする将軍のような姿勢を取って言った。
「総軍を発して北に向かい、匈奴を征服するべし。単于の首を、必ず朕の下に持って来るのだ!、、、」
誰に言ったわけでも、なかった。それは、胡亥の一人芝居であった。
だが彼は、軍事のことなどは一切知らなかった。
それで、空想があまり先に進まないために、すぐにこの構想に飽きてしまった。
次に、彼は俳優のような手振りをして、言った。
「咸陽から、泰山のふもとを通って東海に到るまで、全土に運河を掘り進めましょうぞ。陛下は、船を咸陽から下らせて、巡幸を行なわれるのです。皇帝は、土地を支配するだけでなく、天下の水脈をも主催する役目を負わなければなりませぬ。」
胡亥は、家臣が言上したかのような口調で言った。もちろん彼は、現実の政治も各地の人民の情勢も、何一つ知らなかった。彼の学問といえば、単に趙高から法家思想を教えてもらったきりであった。趙高流の法家思想にとって、君主の権力の行使の目的は、君主が決めればよいことであった。君主が何を企もうが、君主が権力を誤ることなく法に従って運用しさえすれば、国家という機械は動くのである。彼は趙高から、それが最新にしてかつ絶対の真理であると教えられた。だから、その理論だけから世界の全てを覗こうとしていた。
彼は、今度は皇帝の尊大な態度の身振りに変身した。
わざわざ先ほど居た場所から所を変えて対面する場所に立ち、鷹揚そうに体をゆすって笑った。
「そうだ、、、とりあえずは、巡幸だ!皇帝の身分に立った以上は、あれだけは体験してみたいもんだ。さぞかし、気持ち良いだろうな。うははははは!」
胡亥は、高笑いをした。周囲の女たちは、一言も発することがなかった。
皇帝の外の世界に目を向けると、まさか公子胡亥が二世皇帝として即位するとは、ほとんどの者が思っていなかった。始皇帝の公子の中で人民にすら知られていたのは、扶蘇であった。彼は、始皇帝を批判した公子であるとして、その実情を越えて有名であった。だが、秦帝国に仕える数多の官吏たちにとって、公子胡亥の即位は彼らの耳に対する不意打ちであった。
ある者は、戸惑って言った。
「― 誰だ?」
また内情を少しでも知っている者は、低くうめいた。
「― まさか!そんなばかな!」
そして、また別の者は、ひそかにほくそえんだ。
「― これで、秦も終わりだ、、、」
その二世皇帝が最初にやったことは、先帝の女たちを殉死させることであった。
九月、始皇帝の遺骸は、驪山の陵墓に葬られた。
始皇帝が、その生前に天下の刑徒を動員して作らせた、巨大な陵墓であった。二世皇帝の即位後に大急ぎで仕上げを行なって、前代未聞の規模の大葬の儀が行なわれた。
喪主となった胡亥は、言った。
「先帝の後宮の女どもで、子のない者は殉死させるべきだろう。そのぐらい、やったってよい。」
趙高は、答えた。
「御意の、ままに―」
かくして、軽い気持ちで殉死が行なわれた。かつて秦では春秋時代の繆公(びゅうこう)が崩御したときに、百七十七人が殉死したと伝えられている。当時の人は、これを野蛮と呼んで非難した。それ以来時代が下ると共に、殉死の風は中国から消えてなくなっていった。それが、今になって突然復活された。始皇帝は、六国を亡ぼすたびに各国の後宮の女たちを咸陽に収容していたために、殺された数は極めて多かった。
先帝が葬られた驪山の陵墓の内部は、工匠たちが粋を尽した仕掛けが施されていた。
現代に発掘されて有名となった兵馬俑は言わずもがな、地下の水脈に至るまで掘り込まれた棺室の回りには、地上そのままの宮殿望楼すら作り込まれていた。中には百官の席が設けられ、珍しい器物が山と積み込まれた。丹(水銀)をたくわえて百川・江河・大海をかたどり、機械仕掛けで流れるように作られた。そして侵入者を防ぐ仕掛けとして、自動的に矢が飛び出る機械が張り巡らされた。
胡亥は、大葬が終わった後、内部の仕掛けを知る工匠たちもまた生き埋めにした。工匠たちを陵墓の中に留まらせたまま、外に通じる二つの羨門(せんもん)を切って降ろした。こうして、驪山の陵墓は何ごともなかったかのように、密封された。
だが二世皇帝が殉死の暴虐を行なったという知らせは、すぐに全国に伝わった。天下は、二世皇帝が始皇帝の残虐を受け継いでいる君主であると、解釈した。それが、胡亥という謎の後継者を知るための、最初の手掛かりとなった。



