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三 大大大民変(2)

(カテゴリ:104動乱の章

陳に都を置いた陳勝のもとに、各地からありとあらゆる勢力が、傘下に付きたいと馳せ参じてきた。

秦によって、平民に落とされた元貴族たち。
罪を犯して、地下に潜伏していた任侠の者ども。
単にどさくさに紛れて一旗挙げてやろうと思い立った、野心家の群れ。
中には、変わり者もいた。
魯から、孔甲という者が、儒家たちを連れて陳勝の下にやって来た。
孔甲は、孔子八世の孫であった。以前劉邦の前に現れた孔巫女もまた、自ら孔子の子孫であると名乗っていた。彼女については、真実のほどはわからない。だが、孔甲は真正の孔子の子孫であった。彼は、儒家の説をないがしろにして書を焼き捨てた秦に対して、恨みを晴らしたいと言っていた。陳王は、孔子の子孫が自分の下にやって来たことを大いに喜んだ。孔甲は、陳勝の博士に任じられた。
別の大物もまた、世に現れた。
陳勝が陳の城市を下したとき、張耳と陳餘の二人が面会を求めて来た。
二人は、秦から捕縛されようとして逃げた後、この陳の近くの邑で門番となって隠れていた。それ以来、張耳たちは地下に潜ってずっと反秦の活動を続けていた。近在の城市の悪少年たちを煽動し、北の趙の反秦勢力と連携して、始皇帝抹殺を企てた。張耳が養女の黒燕を趙に送ったのも、その一環であった。昨年の始皇帝襲撃の計画は失敗に終わり、黒燕の行方はこのときいまだに分からなかった。だが、襲撃があった沙丘で、確かに始皇帝は死んだ。それから一年後の今、陳勝の蜂起軍がまたたく間に大軍となって陳を陥落させた。事態のあまりの進展の速さに、張耳と陳餘はとりあえずこの雲に乗った男に接近することを、急いで思い立ったのであった。
「先生方のお名前は、楚でも鳴り響いております、、、こうして面会できるのは、大感激です。」
陳勝は、有名人が自分に面会に来たことで、大いに喜んでいた。
張耳は、陳勝に答えた。
「何の、何の、、、我らは長らく暴虐の秦に追われて、身を隠しておりました。それがこうして将軍が義の兵を挙げたことを聞き及びまして、ようやく表に出られるようになったのです。これも、将軍のお力でございます。」
張耳は、陳勝を大いに誉め上げた。誉められた陳勝は、ますます上機嫌であった。
張耳は、陳勝に言った。
「つきましては、これから後の方針ですが、、、将軍には、どのようなご思慮をお持ちでございますか?」
陳勝は、言った。
「実は、陳の三老と豪傑たちから、王に即位するように薦められている。」
張耳は、聞いた。
「― 楚王にですか。」
陳勝は、答えた。
「楚王だ。しかもさらに大きく、張楚の王だ。」
だがそれを聞いたとき、横に控える陳餘は言った。
「― それは、よくありますまい。」
陳勝は、その理由を聞き正した。
陳餘は、言った。
「秦の無道とは、国家を破って社稷を滅ぼし、人を殺して民を疲弊させ、民の富を失わせたところにあります。将軍は、今大いに力を奮って計略を立て、賊を亡ぼそうとしているのです。まだ、討秦の業は始まったばかりです。それを陳に入ってすぐに王となられようとするのは、天下に私心の表れとして受け取られるでしょう。将軍が今なすべきことは、各地に使者を派遣して六国の後を復興させ、自らは兵を率いて西進することです。六国が復興すれば将軍の味方は大いに増し、逆に秦は各地に敵が生じて力が分散します。敵は弱くなり、味方は強くなるのです。こうすれば、秦を誅滅して咸陽を落し、天下に号令することもできるでしょう。天下の諸侯は将軍の徳に皆服して、帝業が成ることとなりましょう。今、この陳で王となるだけでは、天下の人心が離れることになります―」
もっともな、分析であった。陳を落としたぐらいでいい気になっていては、秦を滅ぼすことなどできはしない。秦の本軍とは、いまだに交戦していないのである。張耳と陳餘は、陳勝とは違って各地の情勢を知っていた。この楚と同様に、各地にも反秦のための蜂起の種が、埋没しているのであった。秦の支配を揺るがすためには、各地の蜂起を促して、それと連携しなければならない。それが真っ先に張楚王などに成り上がれば、むしろ各地の勢力の反発を招くばかりではないか。陳餘は、そのことを陳勝に指摘したのであった。
陳勝は、結局彼らの進言を受け入れなかった。一歩自重することをせず、早々に王に即位してしまった。
張耳は、陳餘と相談した。
「― あれは、もうだめだ。周囲の進言を、早くも聞こうとしない。こんなところで舞い上がっているようでは、先が思いやられるわ、、、しょせんは、成り上がりであるか。」
張耳の陳勝への批評は、辛辣であった。
陳餘は、言った。
「私が説き伏せて、趙に別働隊を送るように陳王に進言しましょう。趙を攻略して、我らの拠点とするのです。」
張耳は、同意した。
陳餘は、陳勝に説いて、趙への遠征軍を編成させた。武臣という者を将軍として、張耳と陳餘はそれぞれ左校尉・右校尉に就き、兵三千人を率いて北進することとなった。
陳勝は、他にも各地に遠征軍を派遣した。
鄧宗という者に命じて、淮水を渡って九江郡を攻撃させた。
周市(しゅうふつ)を、魏に進撃させた。
陳勝の盟友の呉広は、滎陽(けいよう)を包囲した。滎陽は丞相李斯の息子の李由が三川郡の郡守として守り、抜くことができなかった。
だが、早くも軍の統制に亀裂が生じ始めて来た。陳までの道を攻略することに功績のあった、葛嬰が、八月に勝手に楚王を立ててしまった。その後で陳勝が王に即位したという知らせを聞いて、翌月葛嬰は楚王を殺して陳勝のもとに戻った。その翌月、陳勝は葛嬰を誅殺した。
徒手空拳からにわかに大きくなった陳勝には、信頼できる側近というものが欠けていた。張耳などのように、言い寄って来た者によく考えもせずに軍を授けることがしばしばであった。それで軍勢を各地にばらまいて、一見勢力が増したように見えていた。ともかくも、彼の蜂起の反響は、各地に飛び火して勢いを増すばかりであった。

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各章アーカイブ

           
第一章 兵法の章


           
第二章 伏龍の章


           
第三章 宦官の章


           
第四章 動乱の章


           
第五章 楚滅秦の章


           
第六章 死生の章


           
第七章 楚漢の章


           
第八章 背水の章


           
第九章 国士無双の章


                      
第十章 垓下の章



終章~太平の章