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七 沛は大騒動(4)

(カテゴリ:104動乱の章

早朝、まだ皆が寝静まっている頃。

蕭何は、城門の外で県令の一家を見送っていた。
蕭何は、県令に言った。
「あんたは、もうこの沛にいることはできない。だが、少なくともあんたは県令にいて職務を越えた横暴をすることはなかった。だから、死罪に値することはない。どこへなどと、逃げるがよい、、、生き延びることができれば、だがな。」
蕭何もまた、もとは県令の下で働いていた一官吏であった。県令の酷薄が、秦の法の秩序を遂行しただけであったことを、知り抜いていた。県令への民の怒りは大きなものであったが、それは、彼の罪ではない。
県令の一同は、蕭何にひざまずいて、涙ながらに言った。
「蕭先生、ご恩は一笑忘れません!」
蕭何は、答えた。
「忘れても、構わんよ。そら、さっさと出て行かないか!」

その日、県庁の庭で沛公の決起の儀式が行なわれた。
首を祭壇に上げるはずの県令は、いなくなっていた。
曹参は、蕭何の恩情を白い目で見た。敵に甘すぎる奴だ、と思った。しかし、蕭何は曹参の目を気にしなかった。
儀式には、沛出身の者たちが内外から集まって来た。
郡吏の周昌と周苛が、やって来た。彼らもまた、蕭何と同様に郡役所を捨てて郷里に戻っていた。二人は、沛公に与力することを誓った。早速に、沛公はとびきり有能な戦力を加えた。
曹参や蕭何、それに樊噲が沛の城市や周辺の郷里を回って得た子弟の数は、二千人を越えた。沛公の、これまでに培ってきた名声の力であった。沛公の官制と軍は、ここにできあがった。
黄帝の祠が、建てられた。黄帝は中華世界で最初に立った君主であり、中国に生きる諸姓のはじまりとして崇敬されていた。
蚩尤(しゆう)に対する祭りが、行なわれた。蚩尤は黄帝と戦って敗れた、荒ぶる神である。これから始まる戦のために、軍神の力を呼び起こそうというかのようであった。
牛が引き出されて、一刀のもとに宰(ころ)された。刀を振ったのは、丞の蕭何であった。いにしえの国家においては、祭りで犠牲を屠る役目は、最も高い地位の家臣が行なうこととされていた。犠牲を宰(ころ)す相であるゆえに、宰相という。蕭何は、犠牲の流れる血を、下の器に降り注いだ。下で受けた血を、夏候嬰が鼓に塗った。それから、血を庭の西の方角に向けて撒いた。
真紅の旗が、立てられた。赤は劉邦が好む色であり、そして赤帝の色であった。劉邦は、蛟龍赤帝の子である。この言葉は、彼が生まれて以来巷間に染み付いていた言葉であった。由来はこれまでにも述べたとおりであったが、ともかくも以降赤帝の色と劉邦とは、以降切っても離れないほどに結び付く。
劉邦は、宣言した。
「― 冬の十月より、行動を開始する。」
四面が混沌とした今の状況では、待っていることは許されない。すぐ北の斉も、西に広がる魏も、大荒れに荒れている最中であった。力を得た者だけが、次の段階の展望を持つ権利があった。
「まず、北の胡陵・方与を、我が軍の勢力下に置くべし!」

曹参、樊噲、周勃が将軍となって兵を率い、胡陵・方与に向かった。
兵の士気はおそろしく高く、将は力が入っていた。まさに、鎧袖一触と思われた。
樊噲が先頭に立って突撃する姿を見れば、城市の守備の兵は泡を食って逃げ出した。鬼面人を驚かすとは、彼について形容する言葉であった。
沛県の厩司御たちは一転して戦車を操り、敵軍に突進した。郡県に数多く配備されている厩司御は、このようにいざ有事となれば戦車兵として活用する目的もあった。この時代、西洋ではすでに高価な戦車を用いる戦術はすたれ始めていた。だが中国では、この秦代に至るまで、長らく戦車が戦争で使われ続けていた。中国では、平時に高官の乗り物として、各役所に大量の馬車を備える文化があった。その独特の文化が、少なくとも戦車兵の人的な供給を容易にし続けたはずである。古代中国世界で戦車が愛好され続けたことは、文化的な要因が一つとしてあったに違いない。
沛公は、夏候嬰の操る馬車に乗りながら、余裕で戦場を眺めていた。
「どいつも、剣なんか握ったこともなかったくせに、やるじゃないか、、、」
夏候嬰は、答えた。
「公も、そうですけどね。」
沛公は、言った。
「俺は、主君だ。剣の技なんか、必要ない!、、、とにかく、もう勝負は見えたな。」
だが、威勢のよい攻撃を始めたものの、その企図が早くもくじかれる時がやってきた。
沛公のもとに、蕭何から急使が届いた。
「秦軍が、豊を包囲にかかりました!」
沛公は、仰天した。
「なに?もう来たのかっ!」
豊は、沛公や丞の蕭何たちの郷里である。この邑は、何が何でも守らなければならない。
そのような重大な土地を、敵に易々と包囲されてしまった。素人部隊が始めた作戦は、最初から穴だらけであった。
沛公は、急いで沛に戻った。総攻撃は取りやめにして、わずかに押さえの兵を残して置くばかりであった。
沛の軍営では、野郎どもが口々に言い合った。
「こんなことになるのなら、まず邑の全員を沛に移らせておくべきだったんだ!」
「無茶を言うなよ、、、食糧の備えもないのに、どうやって食わせるんだ。攻めに出たのは、正しかった。ただ、あまりに早く攻め込まれ過ぎただけだ。」
「てめえ、他人事のように解説するな!、、、」
一同は、重苦しい雰囲気に包まれてしまった。
それを安心させたのは、周昌と周苛の二人であった。
「やって来たのは、泗水郡の郡兵にすぎない。もはや、勢いは衰えに衰えているだろう。大丈夫だ、大丈夫、、、」
彼らは、郡の内情を良く知っていた。確かな情報が、浮き足立つことを防いだ。
直ちに、豊の救援の軍が編成されることに決まった。
沛公は、周昌に聞いた。
「郡兵を率いる将は?」
周昌は、答えた。
「― 郡監御史の、馮平であります。」
馮監御史は、今や秦のために自ら郡兵を率いて必死に戦っていた。戦況は、日増しに不利であった。北の沛でも反乱が始まったことを聞いて、彼は沛の攻撃に向かったのであった。
今回の戦いには、丞の蕭何が自ら出陣することを、沛公に願い出た。
「豊が攻められているのに、後方にいるわけにはいきません。それがしも、行かせてください。」
周苛が、言った。
「丞閣下。あなたは、かつて監御史に相当目を掛けられていたな、、、討てますか、彼を?」
蕭何は、軽く首を振った。
「― 今さら、何を逡巡するだろうか。もはや、矢は放たれたのだ。」

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各章アーカイブ

           
第一章 兵法の章


           
第二章 伏龍の章


           
第三章 宦官の章


           
第四章 動乱の章


           
第五章 楚滅秦の章


           
第六章 死生の章


           
第七章 楚漢の章


           
第八章 背水の章


           
第九章 国士無双の章


                      
第十章 垓下の章



終章~太平の章