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八 諂いの者たち(1)

(カテゴリ:104動乱の章

沛公軍は豊に駆け付けて、包囲する秦軍と一戦した。

結果は、周昌たちの予想どおりであった。兵の『勢』の差は歴然であった。秦兵は、崩れ去った。将の馮監御史は、北に逃れた。
沛公たちは、解放した豊の邑に入った。
沛公の父の劉太公すら、まだ豊に留まっていた。これで包囲されたのであるから、誠に不用意極まりなかった。
沛公は、皆の前で言った。
「見てのとおり、我が軍は強い。秦軍ごとき、ものの数ではないことがわかったでしょう?」
そう言って、笑い飛ばした。
だが、邑の者たちの視線は、どこか冷ややかであった。己の父親すらいるこの邑が、いきなり包囲されてしまった。沛公などと名乗っているが、劉家の三男坊は本当に大丈夫であろうか?
「守将を、残して置かなければならんな。蕭何は、丞だから残すわけにはいかん。廬綰も、だめだ。他に、目ぼしい奴と言えば、、、」
沛公は、周りを見回した。
「― 雍歯(ようし)。お前、この豊を守れ。」
一人の男が、指名された。昔からの、劉邦の悪友の一人であった。雍歯は、少年の頃には沛で蕭何などよりもずっと目立っていた。今や評価は沛公や蕭何などとは比較にならなくなっていたが、体格は立派で見かけはなかなかに存在感のある男であった。沛公は、昔を思い出したかのように、雍歯を郷里の守備の将に据え付けた。
だが、沛公は引き上げるに当って、父の太公ら自分の家族を、沛の城市に移してしまった。単に、君主の家族を手元に引き寄せただけの措置であった。しかしこのことは、豊の住民にとって悪印象の一つとなって後に解釈されてしまった。沛公がやがて自分の郷里の住民に苦しめられる結果となるとは、まだこのときの彼は思いも寄らなかった。
ともあれ危急の事態を切り抜けた沛公軍は、再び攻勢に出ようとしていた。
丞の蕭何が、沛公に言った。
「― 現在、泗水郡守の軍が北の薛(せつ)に入城しています。監御史は、郡守と合流するつもりでしょう。その前に捕捉して、叩くべきです。」
「丞、よく言った。」
沛公は、蕭何の意見を容れた。
蕭何と夏候嬰・周勃が率いて、監御史を追撃した。曹参と樊噲は、薛に向かった。

沛公軍は、旗揚げをした後も前途多難であった。
これからの彼らの将来は、再び中国全体の趨勢と絡み合って来る。このころ巨視的な情勢は、早くも大きな潮目に差し掛かっていた。再び、張楚王陳勝の動静に戻ることとする。
陳勝の下に、周章という者がやって来た(秦始皇本紀ほかでは周章、陳渉世家では周文と記載されている)。
彼は、陳の城市では名の聞こえた人物であった。
何でも、かつてあの春申君に仕えていたという。しかもその後あの項燕将軍の下でも働き、視日(しじつ)の官職にあったというのである。視日とは、軍営にあって日時の吉凶を占う役目の官吏である。この時代の軍にあっては、兵を動かすに当って凶日を避けて吉日を選ぶべきことは、現代よりもはるかに重要な事項であった。
陳勝は、そのようなかつての歴史を知る強者が自分の下に馳せ参じて来たことを、すっかり喜んだ。
「周章、お前を将軍に任じる。好きなだけ兵を率いて、函谷関を越えてしまえ!」
陳勝は、もはや天下取りが近づいたことを予感して、有頂天となった。
周章の軍は、たちまちのうちに戦車千乗、兵卒数十万と言われる大勢力となって、秦の本土に押し寄せていった。ここまで来ると、単に掠奪がしたいだけで軍に付いて来る者どもが、大半を占めた。どれもこれも、張楚王陳勝のもとの境遇と同水準の、雇農などの社会の最底辺のあぶれ者ばかりであった。彼らが、労せずして自分の時代が来たことを喜んで、我も我もと付き従って来た。そのような軍が通った跡の郷里がどのような悲惨に会ったかは、形容するのもおぞましい。

この頃、いったい秦帝国の朝廷は何をしていたのであろうか?
大沢郷から始まって破裂するように拡がった異変の知らせは、当然速やかに咸陽に届けられていた。
なのに、咸陽は何日経っても、何一つ動かなかった。
それは、二世皇帝の胡亥が、何の命令も下さなかったからであった。
胡亥は、法刑さえ操れば君主の地位は安泰であるという、法家理論に安心しきっていた。彼は、結局何を考えても父の始皇帝の企画を超えることができないことに、嫌気が差した。それで、郎中令の趙高に、言った。
「何も、したくない。これからは遊んで、暮らしたい。皇帝は何でも許されるのだから、構わないだろう?」
趙高は、答えた。
「君主として耳目の好みを尽くし、心意の楽しみを窮め、その上で長らく天下を保有して宗廟を安んじ、万民を楽しませる― すでに、そのための道は、韓非が明らかにしております。」
胡亥は、言った。
「― 法刑を、握っておけばよいというわけであるな?」
趙高は、答えた。
「ご明察のとおりで、ございます。君主は何もせずとも、法刑が動いて臣下は勝手に働くのでございます。むしろ、君主が臣下を愛して気を使ったならば、法刑の峻厳が損なわれてかえって臣下の力を引き出すことは、できません。どうぞ、臣下にむやみに言葉を掛けたりなどなさらず、超然として御自らの楽しみに、専念なさりますように。臣下には、陛下の『勢』が作る暴力だけを示すようにするのです。純粋な暴力だけが示されれば、臣下は陛下に取り入る手掛かりすら得られず、法刑に従って必死に働くより他はなくなるので、ございます。」
まことに君主にとって都合が良く、論理としてはこの上もなく洗練されていた。胡亥は、法家の理論を満足して聞いた。
これで何事も起こらなければ、胡亥は一生遊び暮らしたままで、皇帝としての地位を安泰にできたかもしれない。現に、遊んで暮らして安らかに生涯を終えた皇帝は、これから以降の中国の歴史では掃いて捨てるほど出現したのである。
だが、彼が楽しく生き続けるためには、秦帝国の実験は急激すぎた。沸き起こった反発は、皇帝の『勢』の基盤すら揺るがしかねない非常事態に速やかに進んでいった。
遊んで暮らすことを決断したばかりの胡亥に、異変の情報が届いた。
胡亥は、使者の言葉を聞いて、言った。
「― 何のために、郡県に将兵がいるのだ。奴らは、任地が統治できなければ罪に処せられる。だから、必死に働くであろう。それをいちいち、注進などするでないわ。」
そう言って、使者を追い払おうとした。
使者は、必死になって皇帝に言上した。
「すでに、各地から反乱の報が、ひっきりなしに届いているのです!ようやく臣が、陛下にお目通りできて、こうしてご注進できたのです!事態は、もはや郡県の兵で押さえられる範囲を超えていると、臣は考えます。昧死して申し上げます。直ちに、兵を召集して討伐の軍を起こされるべきことを、ご命令ください!」
胡亥は、使者の言葉を聞いて、きょとんとした。
「反乱?、、、反乱?」
胡亥は、首を傾げた。こう言ったときにどのような命令を出すべきか、彼には理解できなかった。
使者は、もう一度言った。
「そうです、反乱です!」
胡亥は、反乱という言葉を繰り返されて、ついに怒りを発した。
「― わからんわ!わからんことを、言うでないっ!朕は、忙しいのだっ!」
使者は、獄に放り込まれてしまった。胡亥は、報告を聞かなかったことにした。
しかし、それでもまたもや、別の使者が駆け込んで来た。
胡亥は、嫌な顔をして、命じた。
「博士どもを集めよ。奴らの意見を聞こう。、、、なんで、面倒なことが起こるのか?」

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各章アーカイブ

           
第一章 兵法の章


           
第二章 伏龍の章


           
第三章 宦官の章


           
第四章 動乱の章


           
第五章 楚滅秦の章


           
第六章 死生の章


           
第七章 楚漢の章


           
第八章 背水の章


           
第九章 国士無双の章


                      
第十章 垓下の章



終章~太平の章