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十 陳勝末路(2)

(カテゴリ:104動乱の章

張楚国の、終わる時がやって来た。

鄧説、伍徐らが、秦に打ち破られた。
上柱国の蔡賜が、戦死した。
張賀という将が、章邯に敗れて死んだ。
陳勝は、汝陰から下城父に逃げた。
彼の御者の荘賈という者が、とうとう陳勝を殺した。十二月のことであった。蜂起から、六ヶ月で彼は死んだ。
荘賈は秦に降ったが、将軍の呂臣という者が再び軍を集めて、陳の城市を回復した。呂臣は、荘賈を誅殺した。だが呂臣もまた、秦に敗れて逃げた。
陳勝が死んで、これで楚も終わりかと思われた。
しかし、楚はやはり広大であった。
東の郯(たん)で大司馬を名乗っていた秦嘉が、陳勝の敗北を聞いて景駒という者を楚王に擁立した。
秦に敗れた呂臣は、南からやってきた新手の軍に救われた。
顔に黥(いれずみ)をした異相の巨漢、英布が率いる軍であった。彼は、その顔から黥布(げいふ)と呼ばれていた。もとは、驪山の刑徒であった。逃走して、楚の南方で密かに勢力を貯えていた。この男の率いる軍は、軍紀厳正で陳勝の軍とは強さが違った。黥布の軍は、秦の左右校尉の軍を撃破して、ふたたび陳を奪った。黥布軍は、初めて秦の本軍に勝利できた勢力となった。
陳勝は亡んでも、楚はまだその奥に勢力が残っていた。この縦深な大地は、やはり秦に対抗できる最大かつ唯一の国であることを、明らかにしようとしていた。

王となった時代の陳勝には、面白い逸話があった。
すでに陳に入城して王となった頃、かつて雇農をしていた時代の「故人(ともだち)」が、陳勝に会いにやって来た。
「渉に会いに来た!会わせろ!」
男はこう言って、宮城の門を叩いた。
宮門令が、この狼藉者を縛り上げようとした。だが、男はいろいろと弁解するので、そのまま捨て置いたが門を通すことはなかった。
陳勝が、宮城から外出した。王だから豪華な馬車に乗って、扈従の者たちをわんさか引き連れての行列であった。
男は、行列に立ちはだかって叫んだ。
「― 渉!」
陳勝が声の主を見れば、果たして雇農時代の知り合いであった。この頃の陳勝は成り上がりの真っ最中であって、気分は上上機嫌であった。すぐに彼を呼び寄せ、車に乗せてやった。
「やあ!久しいなあ。」
「夥頤(くゎい)ー!てめえ、やっぱり男になりやがったなあ!」
「夥頤」とは、楚の地方で感嘆したときに出す、田舎言葉であった。二人は、昔に戻って車の中で大笑いをした。
男は、宮城の中に入ることを許された。
男は、ここでも感嘆することしきりであった。
「夥頤!夥頤!渉、王ってのは、すごいんだな!沉沉(深けえ)!沉沉!どこまで続いてやがるんだ!」
無一文の雇農の見せた、素直な感想であった。王侯の富は、庶民の想像をはるかに超えていた。これほどの富を、陳勝はわずかの間に得たのである。
陳勝は、それ以降男が宮城に出入りすることを許した。男は、陳勝の「故人」として、宮城の中を我が物顔にうろつき回った。
陳の城市では、男の「夥頤!」が流行り言葉となった。やがて、あちこちで勝手に王が乱立するようになると、人々はこれらの王たちを蔑んで「夥渉」と呼んだ。陳勝がいっぱい、といった意味合いであった。
男は、宮城でくつろいで陳勝の過去までいろいろと話した。時に悪気は、無かったのであろう。ただ、今や王となって百官をひざまずかせ、豪勢な後宮で美女たちを侍らせる陳勝が、男には滑稽に見えた。炎天下で畑を耕していた癇癪持ちの男に、どうして人間たちは皆ひれ伏すのであろうか?権力の不思議は、男にとって笑劇以外の何ものでもなかった。
やがて、権力の側が、男をはじき出そうとした。
陳勝の近くの者が、言った。
「あの客は愚劣で無知で、妄言をまき散らしております。王の権威が、軽んじられております。よろしくご処置を、なさいますように。」
陳勝は、男を斬った。
だが、これ以降、陳勝の「故人」たちは皆引き下がってしまい、王に親しむ者がいなくなったと言う。

陳渉世家には、王となった陳勝と「故人」との挿話が、わざわざ記録されている。
おそらく、挿話に近い事実が、陳勝の周辺であったのであろう。
だが、このことが陳勝の没落を決定付けたわけでは、ない。すでに、陳勝の国は崩壊が始まっていた。雇農時代の「故人」などが側にいようがいまいが、陳勝の没落は避けられなかったであろう。
こんな説話が後世に語り継がれたのは、全く教訓のためなのである。
すなわち、
「己の成功にたかってきた奴を嫌う者は、中国世界では没落する。」
これに、尽きるであろう。
たとえ破廉恥な利権あさりの輩であっても、貧窮している頃には見向きもしなかった薄情な親戚であっても、成功した者は笑って受け入れなければならないのである。それが、中国世界の大人(たいじん)の条件であった。もしそれを素直な心のままに嫌って門戸を閉じたならば、だいたいが性根の腐っている彼らのことであるから、何を言いふらすかわからない。だから、たとい役立たずの屑どもであっても、敵にしないためにはニコニコと利権をばら撒いてやらねばならない。それが、広大無辺な天下に生きる大陸の人民の、処世の智恵であった。
陳勝は、度量が狭かった。ただの屯長上がりで何の技能もない男が、その上に度量が狭かったならば、いったい誰を味方とすることができるだろうか?
だが、この説話には、日本人が見落とすことがある。
徒手空拳の陳勝ですら、度量さえあれば、天下が取れたかもしれない。
陳勝の教訓は、全ての人民に対して、一つのことを囁いているのである。
君だって、天下が取れるかもしれない。
天運と、それを逃がさない度量さえあれば。
陳勝が亡んだのは、頂点に立ったときに、なすべきことをしなかったからだと解釈された。
中国で人の上に立つことは、想像を超えるような富を掴むことである。そのような夢の生活は、しかし大変な危険を伴ったものなのである。人の上に立った者は、大海のごとく度量を広く持って人を引き付けなければ、速やかに打ち倒されて、亡びるより他はない。
上に立つ者にはその条件があり、智恵や技能を売る者にはその進退の巧拙がある。
項梁・項羽や劉邦は、上に立つ者としての条件を備えているであろうか?
そして韓信や張良は、己の智恵を売る処世術を得ることができるだろうか?
それは、これから見えてくるであろう。

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第一章 兵法の章


           
第二章 伏龍の章


           
第三章 宦官の章


           
第四章 動乱の章


           
第五章 楚滅秦の章


           
第六章 死生の章


           
第七章 楚漢の章


           
第八章 背水の章


           
第九章 国士無双の章


                      
第十章 垓下の章



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