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十三 塵風に吹かれて(1)

(カテゴリ:104動乱の章

北楚の一軍閥として旗上げした沛公たちの、その後について書くことにしよう。

秦の郡兵を追った蕭何たちは、敵をついに胡陵で追い詰めた。
もはや、秦軍の進退は窮まった。
「降伏せよ。ならば、命は助けよう。」
郡兵を率いるに監御史の馮平に向けて、誘降の使者が送られた。
馮平は、使者に向けて聞いた。
「包囲の兵を率いる将の名前は、何と言うか?」
使者は、答えた。
「七大夫夏候嬰と、丞の蕭何です。」
馮平は、見知った名前を聞いた。
「ああ、、、蕭郡吏は、やはり沛に戻っていたか。」
馮監御史は、思った。
秦帝国は、人を惹き付けて集めることができなかった。
彼が目を掛けていた蕭何もまた、秦帝国に背いてしまった。地方の有為の人材が離れてしまっては、征服地を治めることができない。
「先帝は、力だけで国を治められた。それは、致し方のないことであった。もう少し時間が経てば、新しい法の秩序に人民がすっかり慣れる時代が来たというものを。その時には、よき社会が来たはずなのであるが。せめて公子扶蘇が、先帝の後を継いでおれば、、、」
馮監御史は、瞑目した。
使者が城門から出て来たとき、その傍らには馮監御史がいた。
秦兵は、降伏した。胡陵は、沛公軍の占めるところとなった。
入城した蕭何の陣営に、降伏した馮監御史がいた。
蕭何は、監御史に言った。
「秦の全国支配は、もはや崩れ去りました。戦国の世が、戻ったのです。我が主の沛公は、人材を受け入れるのに分け隔てない度量ある君主です。私が、監御史を用いるように沛公に口添えいたしましょう。」
馮監御史は、蕭何に答えた。
「丞のお言葉、それがしの心に温かく響きます。ですが、それがしは秦の命官。母国を裏切って沛公にお仕えすることは、できません。」
彼は、淋しく笑った。
馮監御史は、胡陵を去ると言った。
蕭何は、それを許した。
翌朝、蕭何のところに守備の兵から報告が来た。
「降将の馮平が、城壁の下で死んでいるのを発見しました。城壁から飛び降りたものと、思われます―」
蕭何は、天を仰いで嘆息した。
「― ああ!ああ!、、、戦は、人と人とを、、、引き離してしまう。」

こうして蕭何たちの軍は、秦の郡兵を胡陵で破った。これより先に曹参らが、薛で郡守の兵を撃破していた。沛公軍は郡守を追ってこれを殺し、亢父にまで進んだ。方与の城市もまた、沛公軍に降るところとなった。
ところが、西から別の勢力がこの地域に手を伸ばして来た。
周市が率いる、魏軍であった。
周市は、陳勝の命を受けて魏を平定した後、斉にまで兵を進めた。ところが斉ではにわかに田儋が立って王に即位し、侵入した周市の軍を蹴散らしてしまった。敗残した周市は魏に戻り、再び兵をまとめて今度は別の方向に進んでいった。従わない者は敵、という論理であった。共に秦を倒すどころか、ここでも魏は自国の都合で動き始めていた。
周市の軍は、方与に向けて進んだ。これまで沛公が戦って来た秦の郡兵とは、兵の数が何桁か違っていた。
周市は、方与を攻撃する前に、豊を守る将に向けて脅迫文を送った。
「豊は、もともと魏人が移住した邑である。魏では、すでに数十の城市が平定された。いま降れば、守将は魏の侯に取り立てられるであろう。しかし降らなければ、豊を屠る。」
豊の邑を守る将は、雍歯であった。
彼は、内心では沛公の下にいることを、快く思っていなかった。
雍歯は、思った。
(あの劉邦でも、沛公になれたんだ。俺だって、やればできるかもしれない、、、?)
全ての秩序が転んでしまった、今の時代であった。
沛の遊び人にすぎなかった劉邦が、今や沛の王になってしまっている。自分とあいつとの間に、どれだけの差があるというのか。争乱は、まだ始まったばかりだ。まだまだ、飛び出した者勝ちの状勢なのではないか?
雍歯は、野望を膨らませた。
(魏に転がり込んで、将となって登り詰めてやるんだ。あの劉邦が、君主になれる時代だ。俺だって、できるさ。やらなければ、男じゃないぞ。)

沛に戻った蕭何のところに、女が飛び込んできた。
彼の妻の、阿瑾であった。
蕭何は、驚いて彼女に聞いた。
「― どうしたと、いうのだ?」
妻は、言った。
「豊が、豊が、、、取られてしまいました!」
「えっ!」
蕭何は、耳を疑った。
彼女の話によると、数日前に守将の雍歯が、邑の全住民を彼の元に集めた。
雍歯は、住民の前で演説を始めた。
「あー、諸君。間もなく、魏軍がやって来る。このままでは、豊は皆殺しだ。」
住民から、動揺のどよめきが起こった。
雍歯は、続けた。
「魏は、大軍をもってこちらに進んでいる。沛公の兵では、とてもかなわん。私のところに、降伏しなければ豊を屠ると言ってきた。魏は、本気である。」
住民は、驚きと恐怖に包まれた。
雍歯は、住民たちに言った。
「この豊の昔を、思い出しなされよ。この邑は、もともと魏からの移民が開いたものだ。魏は、昔からこの豊を自国の版図として主張していた。今は、帰するところに帰そうではないか。魏に降れば、魏軍が我らを守ってくれるだろう。もはや、猶予はない。魏軍は、すぐそこにまで迫っている。」
住民は、驚いて城壁に登って見渡した。
遠くに、兵の影が見えた。
以前の郡兵などとは桁違いの、大軍であった。その上、大きな攻城用の機械まで運んでいるのが見えた。雍歯の言ったことは、本当のようであった。
住民は、とうとう雍歯の言葉に従うより他はなかった。
阿瑾は、魏に邑が降った後で、周囲の目をかすめて子と共に逃げてきたという。
蕭何は、彼女の言葉を聞いて、立ちくらみがしそうになった。
豊は、自分や沛公が生まれ育った郷里であった。だが自分たちへの信頼など、この程度にすぎなかった。人間の心理とは、何と脆いものなのであろうか、、、

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各章アーカイブ

           
第一章 兵法の章


           
第二章 伏龍の章


           
第三章 宦官の章


           
第四章 動乱の章


           
第五章 楚滅秦の章


           
第六章 死生の章


           
第七章 楚漢の章


           
第八章 背水の章


           
第九章 国士無双の章


                      
第十章 垓下の章



終章~太平の章