楚を統一した江東軍は、胡陵に入ってさらに西に進もうとした。
ところが、秦将章邯の軍が、栗(りつ)に現れたことが伝えられた。
項梁は、朱鶏石と余樊君に命じて、これと一戦させた。
結果は、弾き飛ばされたというべきものであった。
二人の凡将では、とても章邯の用兵に歯が立たなかった。
余樊君は戦死し、朱鶏石は戦場を捨てて逃げ帰った。
項梁は、敗軍の責を取らせて朱鶏石を誅殺した。しかし、項梁はこのとき秦の恐るべき強さを知った。
(いかん、、、!)
項梁はこのとき気が気でなかったが、幸いなことにすでに章邯は攻撃の目標を楚から魏に変えていた。秦軍が去ったのを知って、項梁はひとまず安堵した。
(― 早く楚の体制を作り直さなければ、秦と戦えない。)
項梁は、楚の諸将に対して彭城の北東にある薛の城市に集合するように、号令を掛けた。
四月、薛の城市に十余万の将兵が集合した。
「いい天気だな、、、夏候嬰。」
沛公は、百人余りの側近を連れて薛にやって来た。
彼の隣にいた夏候嬰は、沛公に言った。
「麦を刈る季節ですなあ、、、こんな時に、あんまり戦はしたくない。」
沛公は、答えた。
「頭の項梁に取り込んで、なるたけ多くの兵を借りることにしよう。沛の子弟は、しばらく農作業に戻す。戦ばっかり続けては、郷里が干上がってしまう。他人の力で結果を出すのが、俺のやり方だ。」
後ろにいた周勃、曹参、周昌らが、声を出して笑った。
張良が、やって来た。
彼は、先立って項梁と会見していた。
沛公は、張良に言った。
「子房― 項梁と、何を話していたんだ?」
張良は、沛公に言った。
「韓王国を復興することを、進言していたのです。」
沛公は、聞いた。
「韓王国?」
張良は、答えた。
「そうです。六国の中で、韓だけがいまだに復興していません。秦の本土に近すぎて締め付けが強かったので、反乱の根が枯れかかっているのです。これをもう一度育て上げて、秦に対する新たな楔とするのです。」
沛公は、張良の軍略を聞いても、もう一つ合点がいかなかった。
「― そんなに簡単に、復興できるものか?」
張良は、微笑んで答えた。
「できます。私の名前を使えば、韓は動きます、、、私は、韓の宰相の子ですからね。」
沛公は、頭を掻いた。
「あっ、そうか、そうか、、、」
元亭長の遊び人が、こうして今韓王国の宰相の子を従えて、会話をしていた。秦の統一前には、ありえなかった組合せであった。秦帝国の下で、社会は大きく変わったのであった。
張良は、言った。
「私が行って韓を復興させれば、韓は他国とは違って常に楚の味方となるでしょう。この大戦略を、項梁に進言したのです。」
そうこうしているうちに、宴席の準備が出来たので、諸将は集まるようにとの連絡があった。
将たちを集めて今後のことを会議することが、本日の目的であった。
宴席は、薛で一番大きな建物である県庁の広間に開かれた。
楚の各地の群雄たちが、ここに一同に会した。
「大した面構えが、揃っているじゃないか、、、あの黥布とか、すごい面相だな。」
沛公は、見世物を見物しているかのように、宴席の諸将を見回していた。
そのすごい面相の男が、こちらに近づいて来た。
沛公もまた、龍顔と呼ばれる程の面相である。来るなら来いと、身構えた。
黥布が、沛公の前に立った。
男は、頭を下げて丁寧に拝礼した。
「― 六(りく)の、英布と申す。」
沛公は、外見に似合わぬ礼儀正しさに、少々あっけに取られた。
笑い出したくなったが、抑えて拝礼して返した。
「― 沛の、劉邦です。」
沛公は、思った。
(こいつ、決して暴将ではないな、、、)
項梁が、入って来た。
彼は、一通りの挨拶を諸将と交わした後、議題を提出した。
「陳王は、すでに敗死した。楚には、新しい王が必要である。楚の王となるのは、王家の正統のものでなくてはならないと考えるが、いかに―?」
最大実力者の項梁が、提議したことであった。他の諸将に、異論のあるはずもなかった。
項梁は、続けた。
「幸いなことに、楚の懐王の孫に当るお方が、野にあって羊を飼われていたところを、見つけ出した。このお方を、我らは復興した大楚国の王として、推戴したいと思う。諸将には、異存あるまいな。」
かつての懐王の孫に当る熊心(ゆうしん)は、楚の滅亡後に庶民に落とされていた。彼はこのとき、人に雇われて羊を牧する生活であった。項梁は范増の進言を容れて、この者の所在を突き止めた。彼は担ぎ出されて、王位を与えられることとなった。
諸将は、思った。
(そんな奴が、まだ生きていたのか、、、)
しかし、彼らの意見は一つのところに向って行った。
(楚王の末裔なら、致し方ないな、、、)
結局、誰もが野心を隠し持っていた。
諸将の誰が上に立っても、余人は納得できなかった。項梁ですら、頂点に立つことはできなかった。
楚王の末裔を推戴することによって、楚の諸将を固める効果が起った。権威を上に立てることによって、王国の秩序が生まれることとなった。
項梁は、言った。
「楚の都は、盱眙(くい)に置くことにしたい。体制を立て直して、秦と対決する。やがて韓が復興して、楚の同盟国となるであろう。隣国の斉などにも圧力を掛けて、楚と合力させなければならない。」
こうして、王が即位して祖父と同じ懐王を名乗った。
陳嬰が、楚の上柱国となった。
項梁は、武信君と称して軍の指揮に当ることとなった。



