The puzzle of power
Japan's local governments are unhealthily dependent on its national one
日本の農業は、アメリカやオーストラリアなどのそれとは異質なシステムである。
水利権は農民たちの間に厳しくコントロールされなければならず、起業家精神が抜け駆けて独走できる余地は限られている。所有権は戦後の農地改革によって細分され、零細(だが富裕)な自作農が農村を埋め尽くしている。このように、農村の経済システムがムラ社会を維持するようにできあがっていて、自分たちに美味しい土産を持って帰ってくれるムラの殿様を支持するように、作られている。それは個々の農民の罪ではなく、日本の農村のシステムがそうさせているのだ。
本記事は、当雑誌の日本に対するいつものオピニオンに、これまた従ったものである。日本の地方政治は、財源を中央からのバラマキにいまだに依存している。小泉政権は公共事業をカットして中央から送られる金を減らしたが、それは地方を干上がらせただけで地方を自律させていない。ゆえに、地方が中央のバラマキに大きく依存するシステムは変わらず、そのシステムで地方票を受け取っている自民党の支配も変わらない。
地方政治家の中には、農村を肥やすことにしか役立たない公共事業を中央から割り当てられることによって、都市部の発展と雇用が阻害されて自然景観が損なわれることに憤る有志もいる。地方首長が音頭を取った政党横断グループ「せんたく」は、日本のバラマキシステムの改革を望んで自民・民主両党の議員を集めている。
しかし、都市部住民の希望するシステムは、果たして日本の農村にWin-Winの結果をもたらすであろうか。都市部住民は、正直言って農村の実態など何も知らない。トマトがどうやって作られているのかなど気にも留めずにモスバをパクつく連中である。日本の農業を再生させるには、篤農家がもっと規模を大きくして農業に精を出せるシステムづくりが不可欠である。そのためには、借地農を育てなければならない。しかしムラ社会でがんじがらめに絡め取られている農村では、借地農が大きくなることは現在非常に難しい。ゆえに、日本の農村はビジネスに育たず、零細な兼業農家ばかりとなっている。アメリカの経営者的農民を、今の日本に想定することはできない。
ハマスやヒズボラといった暴力集団が衰えずに生き残っているのは、理由がある。彼らは正統政府よりも、地域住民のためによく働いて住民の支持を受けているからだ。生き残るものには、それ相応の理由がある。都市部の住民の願望ばかりに目を向けていれば、おそらく日本の農業はムラ社会解体と同時に無茶苦茶なスプロール化が起って、壊滅してしまうだろう。いったい日本国の未来は都市にかかっているのか、それとも農村にかかっているのであろうか? - これからアジア諸国に工業がキャッチアップされていく一方の日本において、地方が豊かであり続ける産業は、たぶん農業なのではないだろうか?