The battle for Wikipedia's soul
最近、NYタイムズオンライン版の記事を読んだ後にWikipediaで用語を調べたら、感じることがあった。NYタイムズオンライン版の記事に書かれている内容と単語や文法に至るまで、全く同一の文がWikiの記事に見つかった。それも、一度ではなかった。まず、アルゼンチンで広まっている"paco"という粗悪なコカイン。次に、中国の昼食会に不可欠な強烈な酒、"baiju"(白酒)もまた、、、
NYタイムズの記者がWikiの記事をコピペしているのか、それともNYタイムズの記者がWikiの記事を書いた本人なのであろうか。そのいずれにしても、これまでオープンソースの百科事典として世界的な広がりを見せたWikipedia運動にとって、明るい展望を示すものでありえない。
本記事は、Wikipediaの将来に黄信号が灯っていることを書いている。"inclusiost"と"exclusiost"の対立。"pokemon"(ポケモン)の300キャラは全てプロフィールが揃っているのに、"solidarity"(ポーランド「連帯」運動)の指導者のプロフィールは10人すら揃わない。参加する書き込み数の落ち込み。既存の項目の追加書き込みに集中する編集、、、これら全てが表していることは、オンライン世界に落ちている知識は、すでに拾われ集められ尽くされようとしているという、徴候ではないだろうか。二十一世紀のオンラインブリタニカ辞典の編纂は、ほぼ終了したのである。ここから後は、ゆっくりと増えていく人類の新知識の伸びにWikipediaもペースを合わせざるをえない。そして人類の知識量の増加ペースは、ネット世界の経済のスピードに比べて苛立たしいほどに遅い。"soy sauce"(しょうゆ)から"guacamole"(ワカモレ)まで世界中のdip(つけ汁)の知識を集めることは3分の作業で仕上がっても、新種のdipは一世紀に3つでも開発されることがあるだろうか。ネットに繋がる人間の知識を集めるという段階のWeb2.0は、どうやらたった5年で進化から衰退への歴史を終えようとしているようだ。