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≪言い訳2≫
さて、AAみたいに銀行員と役人と商人と軍人が当時のロシアで親しく交流する
ことなんてあったのか?当時のロシアは相当に階層の流動化現象があったようですが、
従来の貴族階級と新興ブルジョワジーとが社交レベルでまでシャッフルされていたか
どうかは、ちょっと怪しいような気がしますが、、、
(たとえば『白痴』のロゴージンや『桜の園』のロパーヒン(いずれも商人)は、無教養な下郎として
貴族たちから軽侮の扱いを受けていた。ただ彼らはいずれも古い世代の人々だが。)
まあ当時のモスクワには芸術家のパトロンなどもしていたステイタスの高いブルジョワジーも少数
ながらいたようですし、技術者やユダヤ人などよりはましか、と思って職業を設定してしまいました。
銀行員は原作どうりで、『桜の園』のガーエフとか『アンナ=カレーニナ』のオブロンスキーのように、
おそらく上流階級がコネで入り込む職業の一つだったと思われます。
一ヶ所(たぶん)ウソをついています。
メトロポールホテルの完成は1903年です。
もっともそのずっと前から着工していたので、あるいは入室できていたのかも?
これもよくわかりませんでした。
南アフリカでの戦争(ボーア戦争)は1899年10月から。日英同盟の締結は1902年1月30日。
この世紀の変わり目の時期にイギリスはアフリカの最後の獅子の分け前としてボーア戦争を断行
しましたが、これが大英帝国の一方的膨張の最後の動きとなりました。後は帝国主義諸国同士の
世界分割をめぐる衝突を待つばかりとなり、工業力でもはやフランスを圧倒するドイツの挑戦を
どう防ぐかが世界の課題となっていきます。今後大陸のドイツに本格的に向き合うためには、
極東でのロシアの野望を牽制するための手駒としてのパートナーが必要だ、、、
という世界戦略から、ロシアに深く恨みと恐怖感を持つ日本との同盟が成りました。一方ロシアは
フランスと同盟関係にあり、日露戦争は互いの同盟に引きずられて英仏が戦わないように両国が
外交的調整を行なおうと接近した結果、英仏のつながりが強固になって戦後に英・仏・露のドイツ
包囲網を促進したという思わぬ効果を生みました。(戦後日本がロシアとあっという間に関係を
改善したのは、英仏の意向が背後にありました。)
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”Дама с собачкой” Антоном Павловичем Чеховом
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