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第1回 無人島での1枚


世の中に名曲は数あれど、もし無人島に一人で死ぬまで暮らすとして、1人(グループ)の音楽家の作品しか持っていけないとするならば、各人いったい何を持っていくだろうか?
確か作家のコリン=ウィルソン Colin Wilson はこの問いに対して「ブラームス」と答えていたと思うが。
私個人についても考えてみる。

ビートルズは大変好きだが、全部のアルバム、全部の曲の展開を頭の中で思い出すことができるので、わざわざ持っていく必要がない。

ベートーヴェンは好きな曲は細部の展開まで好きなのだが、逆につまらない曲はどんなに聞いても好きになれない。

L.トルストイが『クロイツェル=ソナタ』の中でこのピアノソナタの第1楽章のことばっかり熱心に語って、第2、第3楽章については適当にはぐらかしているのを読んだとき、他の点ではあまり彼の意見に同意できない私がはじめて彼と心を合わせることができたと喜んだものだ。実際、私はこのあまりに有名なソナタについて、第1楽章のバイオリンとピアノが力強く曲を終えたその後をさらに聞き続けた記憶がほとんどない。
いっぱんに、ベートーベンの緩徐楽章(交響曲、協奏曲、室内楽のたぐいで真ん中にはさまれるテンポの遅い楽章)は私にとってそのたいていが退屈だったという印象が残っているものばかりだ。心に残ったのは、『ラズモフスキー』2番に同じ弦楽四重奏曲の12番、そして『皇帝』、交響曲では第7番(アレグレット―やや早く―で奏されるあれを『緩徐楽章』といえるかわからないが、、、)ぐらい。『悲愴』の第2楽章も悪くないんだけれどね。ビリー・ジョエルの"This Night"(この楽章のテーマがサビに使われている)を先に思い出してしまって、どうも興が覚めてしまう。
第九の第3楽章なんか座って聞いているのが苦痛で、、、まあ、こんなところが私のクラシック愛好家としての限界なんだろう。
何はともあれ、私にとって当たりの確率が低いので、ベートーベンはパス。

ムーンライダースはどうか。
だが、ムーンライダースで本当に良いのは、『カメラ×万年筆』から『最後の晩餐』までの間のアルバムだけで、その前後はたまに良い曲もあるが、トータルで見るともうひとつ食指が動かない。あくまで私の意見ですよ、念のため。

その他、いろいろ挙げてみても、どうもしっくり来るものがない。

バッハ(たまに聞くから良いのであって、こればっかり聞いてると退屈で仕様がない)
レッド=ツェッペリン(名アルバムとつまらないアルバムの落差が激しすぎる)
オフコース(良い曲は頭の中で展開できるし、つまらない曲は聞く気にもならない)
ザ・ジャム(つまらないアルバムはないのだが、ボーカルも曲作りもポール=ウェラーの才能だけに頼った一本調子なので飽きる。ちなみに、80年代初期の英国バンドですよ。)
、、、、、、

こうなれば、コリン=ウィルソンにならって「ブラームス」にしておこうか、とも思う。
ブラームスの作品はあまり熱心に聞いていない私であるが、この大家のことだからどの曲もおそらく入念に作り上げられているだろう。ならば、ひょっとしたら聞くたびに新たな発見を味わえる境地に至る可能性もなきにしもあらず、、、今のところは名作といわれる交響曲第3番でも、第2楽章は置いといて、通しで聞いたのは数えるほどしかない私であるが、、、、

だが、最後に、どうせ無人島ならば1回はやってみたいことがある。これまでの話の趣旨とはずれるが。
ブルックナーの『交響曲第8番』を、ステレオのボリュームを最大にして聞いてみたい。
だが第3楽章だけでよい。
この約25分の大楽章を誰もいない月夜に聴きながら、星が動いているのを計算して天球儀でも自作してやろうか。
それならば、飽きることがないかもしれない。

、、、、あ、俺は強度の近眼だった、、、、ダメじゃん!

とまあ、こんな感じでとりとめもないことを次回以降も書いていこうと思います。



≪ 今回のイチオシ ≫
ブルックナー 交響曲第8番(ノーヴァク版)
オイゲン=ヨッフム指揮/ベルリンフィルハーモニー

Eugen Jochum/Berliner Philhamoniker
Grammophon,431 163-2


ブルックナー(A.Bruckner,1824-96)はワーグナー(R. Wagner,1813 - 83)をあからさまに信奉し、高名な批評家でワーグナーに批判的なウィーン大学教授ハンスリック(E. Hanslick,1825 - 1904)から目の敵にされていた時期もあった。そのため応募したウィーン大学の職をなかなか得られなかったなど、晩年に名声を得るまでは苦労したそうだ。
私が思うに、プロイセン=オーストリア戦争(1866)を闘って敗れた結果プロイセン主導の統一ドイツから締め出された当時のオーストリアで、時代の寵児としてドイツ帝国での栄光をますます高めるワーグナーをヨイショするなどというのは、少々世知にうとかったのではないか、というしかない。まあたいていの芸術家は世知にうといのであるが。

政治的理由はさておいて、ワーグナーの何がそんなにアンチを作り出したのか?
借金踏み倒し大王だったからか?
人妻を寝取る達人だったからか?
バイエルンの美形の王様に、男から男への熱い情熱の視線をささげられたからか?
いずれの点を取ってもイヤなヤツであることはまちがいないのだが、それらの原因が90%だとしても、残りの10%ぐらいは純粋に音楽的なものであったろう。

標題音楽(純粋な音の美しさだけで聴かせるのではなくて、背後にある別の(たとえば文学的な)テーマを表現するものとして聴かせる音楽)、大掛かりで大げさなオーケストレーションなどいろいろあるが、音階と和音を極度に複雑にしたことは確かに型破りであり、そして後世にはなだしい(悪)影響を及ぼした。

ワーグナーの信奉者だったブルックナーの、『交響曲第8番』(初演1887年)の第3楽章は、このような第1バイオリンの旋律で始まる。ちなみに、緩徐楽章である。

ブルックナー交響曲第8番 第3楽章

いっぽう、同時代人でアンチワーグナー派のブラームス(J. Brahms,1833 - 97)の、『交響曲第3番』(初演1883年)の第2楽章の導入はこうだ(クラリネットの上パート)。これも同じく、緩徐楽章。

ブラームス交響曲第3番 第2楽章

見るだけで何がワーグナーの毒だったかがわかるというものだ。音符と変音記号以外を全部省略してもこれで、実際は他にもいろいろ記号がついていて両者の違いはさらにはっきりする。
聴いたことがない人も、何となく同時代に生きた二人の流派の違いを感じるでしょ?いわば、宗師から伝承した伝統の型をかたくなに守りつづける男と、時代の流れに合わせてあらゆるギミックをつけ加え、あるいは邪進化ともそしられる発展を求道していく男との差。北斗の拳でいえばケンシロウとアミバのような、、、この手の話題はやめとこ

さて、この曲の中でも最大のイチオシは、上に挙げた第3楽章。
コリン=ウィルソンいわく、ブルックナーの音楽は浜辺で波の音を聞くとはなしに聴いているような、そんな音楽であって、通常の音楽のような聴衆にドラマチックなシーンを思い起こさせるようなものではない(ベートーヴェン『第九』の第4楽章とかチャイコフスキーの『1812年』のような音楽とは違う、ということ)。
この第3楽章はとても長くて(手元のCDで26分以上)、いつになったら終わるのか不安にさせながら、それでいて終わる時には淋しくさせる、そんな不思議な印象を私に与える曲だ。

最後に、上のCDはどこかのレビューで推薦されていたから買っただけです。こんな大きなこと言っておきながら、手元にはこれとマタチッチ/NHK交響楽団しかありません。一般には、クナッパーブッシュと朝比奈がブルックナー解釈の大家とされているようですね。


この項の参考文献:『ブルックナー交響曲第8番ハ短調第二稿』音楽之友社/コリン・ウィルソン『賢者の石』創元推理文庫