どんなに近しい言葉同士でも、完全に他の言語を自国語に翻訳することはできない。これは当たり前。
学術論文とか新聞の論説などは厳密さが要求されるから、何とかして共通の約束事を作って相互の誤解をなくそうと努力するが、これが文学作品となるともう近しいものすら絶望的である。
(だがニュースとかでも、意図的か無意識でかは分からないがニュアンスを微妙に変えて訳す場合はいくらでもある。ちょっと前の"Show the flag"なんかは、日本語化せずに英語のまま「ショウ・ザ・フラッグ」と訳して(これも訳の一つだ)、我らの英語コンプレックスをひっかこうとした、その意図は明白だ。たぶん無意識でそうしたのだと思うが。)
小説はまだいい。
その中にたくさん含まれる文同士が相互作用を起こして、結果的に読む側にぼんやりとその小説の世界観を作り出してくれるから、SFやファンタジーが別の世界の出来事を叙述してもちゃんと読者に分かってくれるように(下手な小説は別だよ、当たり前だけど)、読者は多くの不明瞭な点と誤解を持ち越しながらも何とか「納得」できる(完全に理解はしていない)。
それが、詩になるともうだめだ。
なぜか?それは詩が言葉の持つ音の響きやリズム、そして表記法と不可分に結びついているからだ。
これらはその書かれた言葉に固有のものだから、訳すと全部蒸発してしまう。
この尾崎放哉の自由俳句をどう英訳すればいいのだ。
咳をしても一人
はあ?それがどうした。
だが、俳句なのだ。立派な俳句なのだ。
あえて訳してみる。原句の意図を汲んで、できるだけ短くなくてはならない。
All alone,even when coughing.
幸いなことに、英語の"cough"は日本語の「咳」と同じく無声子音の"k"が含まれていて、一人で咳をしたときの静寂さを音で現す効果としては悪くない(フランス語の"toussant"だと何だか誰かに語りかけているみたいだ)。
だが、これは文の一部である。
決して詩ではない。
この句を味わうためには、そもそも前提として我らの言葉に血肉となって染み込んでいる五七五のリズム、それを使った俳句という超短文の中に一瞬の生命を読み込む詩の伝統があって、あえてその形式をギリギリまで崩してさらにラジカルに言葉を切り詰めて見せている、という文化に裏打ちされた読み方が必要なのだ。
だが、英語というものはどんどん言葉を積み重ねていって概念を明らかにするのが基本的な言語のあり方で、可能な限り表現を切り詰めて言外の意味やダブル、トリプルミーニングを持たせるのが美しい表現であるとみなす傾向のある日本語とは真逆の方向を行っている。
そんな英語にこの句を訳すのは、私の力では無理だ。
で、話を外国語詩を日本語に訳す場合に転じると、英語のみならずヨーロッパ諸国の詩の生命は韻律である。
例えば、英国のバンドであるザ・ポリス The Police の"Every breath you take"を見てみよう。
Oh,can't you see,
You belong to me,
How my poor heart aches,
Every step you take,
かくのごとく複数行(だいたい4行)単位で脚韻を合わせるのが、美しいとみなされるのである。
英語はこれを作るのがちょっと難しいが、ラテン語とかロシア語とかは語尾が法則的に変化するので、日常会話でも自然と脚韻を踏んだりするのである。
だが、これを日本語に訳すとどうなるか。
ああ、分からないのか。
君は僕のものなんだ。
どれだけ僕の哀れな心が痛むか。
君が一歩あるくたんびに。
ポエムとしては悪くないが、元の英語のリズムはどこかにいってしまっている。
そこで、日本流に五七調を導入してみる。
あわれあわれよ、分からずや。
なんじは我のものなりぬ。
我が胸、いとどに痛むなり。
なんじ、一足踏むごとに。
原詩の三行目がわずかに韻をずらしてアクセントを付けているのを踏まえて、訳も三行目を破格にしたが、、、これはポップスの歌詞ではない。
もちろんこの韻の問題だけではなくて、使われている言葉がそもそも全く起源を異にするものだから、原語による響きの効果は完全に消える。西洋語同士ならたまに同語源で響きの似ている言葉があったりもするんだが。
さらに西洋人ならばすぐにピンと来るが日本人にはサッパリわからないのが、キリスト教・聖書関係の引用やたとえ。彼らにとってはそれがくすぐりとなっても、我らは読むときに解説が必要となるから、詩としての興は大きくそがれてしまう。
このような事情だから、日本語で西洋詩人の作品を鑑賞することは、もうほとんど訳者の創作を読んでいるようなもので、それで元の作品の味わいがどれだけ分かるかといえば、もうほとんど不可能であろう。高校までの国語の授業で外国詩の訳が取り上げられないのは、しごく正しい。バチモンを子供に教えてはならないのだ。
(とか言いながら、漢詩は取り上げられている。言っておかなければならないのは、あれも日本語の読み下しでは中国語の音韻(平仄という)が全く理解できないのであり、伝統ではあるが、誤解に基づいた読み方である。乃木希典の漢詩などはきちんと平仄に合わせている。だから中国人に誉められるのである。しかし言葉の違う日本で外国語の音韻にこだわっても、特定の訓練を受けた人で無い限り誰も分からない。昔の人は自分で音の響きを実感できないのに、中国から輸入したルールに従って漢詩を作っていたのだ。ばかばかしいといえば、ばかばかしい。)
最後に、詩の訳が創作である例として、アポリネール G. Apollinaire の有名な詩『ミラボー橋』 Le pont Mirabeau の最初の節を引き合いに出そう。フランス語の原詩はこうだ。
Sous le pont Mirabeau coule la Seine
Et nos amours
Faut-il qu'il m'en souvienne
La joie venait toujours apres la peine
Vienne la nuit sonne l'heure
Les jours s'en vont je demeure
音の響きを強引にカタカナ化すれば(フランス語と日本語の音は地球とイスカンダル星並に遠い)、こうなろう。
ス・ル・ポン・ミラボー・クル・ラ・セーヌ
エ・ノ・ザムール
フォ・ティル・キル・マン・スヴィエンヌ
ラ・ジョア・ヴネ・トゥジュール・アプレ・ラ・ペーヌ
ヴィエンヌ・ラ・ニュイ、ソンヌ・ルール
レ・ジュール・サン・ヴー、ジュ・ドムール
諸々で脚韻が踏まれているのと、行ごとにも音の調子を合わせているのが何となくわかってくれればいいです。
そして、手前味噌ながら、私鈴元仁の勝手な訳をお見せます。川の流れをイメージして、
ミラボー橋の橋の下、セーヌが流れ、
僕ら二人の愛もまた。
思い出さずにはいられない、
いつも苦しみの後には喜びが来たじゃないか。
夜よ来るんだ、時鐘(とき)よ鳴るんだ、
月日は流れて、わたしは残る。
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こんな感じにした。だが、フランス語で一人称は"je"以外ありえないが、ご存知のとおり日本語はいろいろあって、訳者がどうとでも色付けできる。別に「私」でも「俺」でも、「わて」でもいいのである。もっと言えば、3行目で私がやったように、"me"(英語の"me"とほぼ同じ。英語よりちょっと用法がせまい)を省略することもできるのである。万事が万事、この調子。
あ、ランボーについて何も言ってないや、、、それはこの下で。
≪ 今回のイチオシ ≫
アルトゥール・ランボー『酔いどれ船』他
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ランボー(A. Rimbaud,1854 - 91)が詩を書いたのはほとんど20歳までだった。
音楽と違って言葉は直感だけで湧き上がるものではないはずで、十分な読書と言葉の学習によるストックがあって初めて自由に使えるはずだ。だから彼のような人はほとんど奇跡的だ。まあ詩だからできるんだが。ラディゲについてはよく知らないが、三島由起夫の十代での作品なんか頭でっかちで、少なくとも私はとても読めたものではない。
彼の詩も凄いが、何よりも戦慄させるのは詩を書くのをやめた以降、ほとんど自分の過去の作品にすら興味を失ってしまったかのような生活をして蛮地を巡ったあげくに野垂れ死んだことだ。
彼が17歳のときにフランス=プロイセン戦争があり、パリ=コミューンの成立と崩壊、虐殺があった。その時期にあえてパリに居合わせたランボーは、おそらく壮絶で残酷なスペクタクルを目の当たりにしたことであろう。
もしかしたらこんな黙示録的な世界を体験してしまったこの若造は、もうその後の平和な世界など退屈で、物を書く気も失せたのかもしれない。粘着凶暴アニキのヴェルレーヌ(P. M. Verlaine,1844 - 96)との誠にしょうもない嫉妬沙汰で、人間に愛想をつかしたことも原因かもしれないが。
彼の詩は、何よりも色彩の鮮やかさに満ち満ちている。
以下は、『酔いどれ船』 Le bateau ivre からの抜粋(鈴元仁訳)。
J'ai heurte, savez-vous, d'incroyables Florides
Melant au fleurs des yeux de pantheres a peaux
D'hommes ! Des arcs-en-ciel tendus comme des brides
Sous l'horizon des mers, a de glauques troupeaux!
私は衝突した、本当だよ、信じられないフロリダに
人間の肌をした豹どもの眼と、花々が交じり合うあの地に!
私は衝突した、水平線の下に、まるで馬の綱の束のように
海緑色のけものの群に張られた虹の橋に!
J'aurais voulu montrer aux enfants ces dorades
Du flot bleu, ces poissons d'or, ces poissons chantants.
-Des ecumes de fleurs ont beni mes derades
Et d'ineffables vents m'ont aile par instants.
この青い波間に泳ぐ鯛たち、子供たちに見せてあげたかった
この金色のお魚たち、それに唄うお魚たちも。
−波しぶきの花たちは私の漂流を祝ってくれた
そして素晴らしい風は時に私に翼を与えてくれた
日本語にするとよくわからなくなってしまうが、原詩がきっちりと脚韻を踏んでいることをわかってほしい。
というよりも、末尾に語呂が合うだけで通常は関係の無い言葉をちりばめて、そこからイメージを逆に構成しているとすら言える。
日本語でも時に無意味な語呂合わせが妙に味のある効果を出すのと同じだ。例えば「親馬鹿チャンリン、鈴屋の風鈴」みたいに(変な例だが)。
これを作ったとき(17歳ごろ?)、ランボーは海を見たことがなかったという。完全に言葉から逆算したイメージである。
この詩、いずれは全訳したいと思っているが、とりあえず今のところは下の2つのもっと短い詩を試しに訳してみた。
いずれもせいぜい15歳かそこらのクソガキが作ったものだ。だが、いやだからこそ、色彩の鮮やかさと、沸き立つような青春の感激に満ちている。
もう少し後に作られた詩が、早くも厭世観を前に出し始めるのとは対照的な作品だ。
この項の参考文献:宇佐美斉訳『ランボー全詩集』ちくま文庫/堀口大學訳『ランボー詩集』新潮文庫