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第3回 PC持ってるならKANONやれ!


また誤解を招くようなタイトルを、、、

わざとだろ?わざとやってんだろ?まあグーグル時代だからね。何かの間違いで検索にかかってがっかりさせるのもまたいいかと、、

ドカ、バキ、ヒィィィィィッツ!!!!!

失礼!クーダラナイ展開をしてしまい、大変お見苦しいところをお見せいたしました。
気を取り直して、本題に入らせていただきます。ここまでのことは、「一体何を言っているのか?」などとは1ナノミクロンも気にする必要はありませんので、あしからず。

「カノン」(英:canon、独:Kanon)というのは、音楽用語なんですよ。後でおいおい実例研究しますが、極めて論理的な曲作りの方法で、「音楽は感性さえあればいいんだ!」などという一時代前の謬説をコテンパンに粉砕する格好の例を示してくれる。「カノン」を理解すれば、作曲はむしろ建築家が設計図を引くような「作業」であることがはっきりわかる。しかもコピー&ペーストや一部変形、反転などの手法がふんだんに使われるので、適当なソフトがあればPC上で作曲をスイスイ進められるというわけ。だから、表題のように「PC持ってるならKANONやれ!」というわけだ。にはは、わかった?うぬぬ、そうだったのか。




ドカ、バキ、ヒィィィィィッツ!!!!!

ええかげんにせんかい、そば焼酎は雲海!あ、これは別のやつだったな。というか実はこれしかやったことない。

さて、本題に入ると、ここで取り上げるのは、バッハ晩年の傑作『ゴルトベルク変奏曲』。
といってもこれは後世に付けられた題だ。題の主のJ.G.ゴルトベルクはバッハの弟子でもあった若きチェンバロ奏者で、彼のために書いたという伝説があったために、こう言われるようになったという。まあ、何でもよい。

この曲は「変奏曲」(独:Variation)と名付けられている。「変奏曲」というのは冒頭に呈示されるメインの主題を次々に変形させてつなげていく様式だ。それぞれが第一変奏、第二変奏、、、となる。ベートーベンやブラームスもまた多用した技法だ。
この『ゴルトベルク変奏曲』は、冒頭と最後に置かれる「アリア」(Aria)の30パターンの変奏とみなされる。といっても聞いただけでは各変奏は「アリア」と似ても似つかない曲ばかりだ。だが、各変奏は基本的にアリアの以下のような32小節の「コード進行」を踏襲している。

MIDI:アリアの「コード進行」

全ての変奏は32または16小節で作曲されている。16小節のばあいは、1小節内に元のアリアの2小節分の「コード進行」を入れているだけのことで、本質的には同じだ。
30の変奏は3つずつ10のグループに分類される。このうち各グループごとの最後の変奏、つまり第3変奏、第6変奏、第9変奏、、が例の「カノン」の作曲技法によって極めて論理的に作曲されている(ただしトリの第30変奏だけは「クオドリベット」(Quodlibet)という違う技法を用いている。クオドリベットとは、英語版Wikipediaの説を自分なりに解釈すると有名な(いくつかの)曲の部分を「いいとこ取り」して別の曲にするテクだ。これも当時の有名な2つの曲の旋律の一部をそのまんま使っているという。現代ではよほどうまくやらないと亜星さんに訴えられる)。

言葉で説明するより聴いたほうが安し。まず、初めの第3変奏。その骨格はこうだ。(ここでは前半8小節だけ取り上げた)

MIDI:第3変奏の「基本形」

ここに、一小節だけずらして全く同じ楽譜を重ねてみる。こうなる。

MIDI:第3変奏の「基本形」+一小節ずらしたコピペ

第3変奏は、実に、これに低音伴奏を付けただけなのだ。

MIDI:第3変奏(前半)

全くのコピペだよ。音符一ついじってないですよ。これが、「カノン」なのだ。基本的なパターンをコピーして、そのままかあるいは機械的に変形してずらして重ねる。すると、あら不思議なことに何やら曲に奥行きが出てくるのだ。「カノン」とはもともとギリシャ語で「規則」という意味がある。キリスト教で教会が聖書の正しいテキストとして採用する「正典」の意味にも使われる。カノンに選ばれなかった重要テキストは「外典」(アポクリファ、Apocrypha)と呼ばれる。どれをカノンとし、どれを外典とするかは、カトリックとプロテスタントでずれがあるようだ。何にしろ、「規則」という意味だから、音楽用語では「規則に従って作る作曲技法」という意味になる。上の例では「基本形」を一小節だけずらしてそのまんま重ねる、という規則で作られてある。

武器マニア・戦史マニアならば「カノン砲」という言葉は知っているだろう。だが、あれは全く別の語源で、英語のつづりも違う言葉だ。(「規則」=canon、「大砲」=cannon)

バッハはこの変奏曲で、各グループのカノンをこれまた規則的にパターンを変えて作曲している。上の第3変奏は、全くいじらずにずらして重ねただけのパターンだ。以降、6、9、12、、の変奏ごとに、音階を1つ、2つ、3つ、、、とずらしたカノンを作っている。これも、例を見てみよう。第9変奏だ。

まず、「基本形」はこれ。

MIDI:第9変奏の「基本形」

第9変奏だから、「基本形」から音階を2つずらす。完全に一致しているのを「1度」と考えて、「3度のカノン」と名付けられる。(音符が分かる人用の説明だが、)「シラシドレラレド」を「ソファソラシファシラ」と機械的に減算して、一小節ずらして重ねる。するとこうなる。

MIDI:第9変奏の「基本形」+音階を2つ下げ、一小節ずらしたコピペ

ちょっとエクスキューズになるが、今回は音の響きを考慮して数箇所ほど半音階いじくった、いわば「改造コピペ」だ。だが音符の長さは全くそのまま。かくして、最終的な形はやはりこれに低音伴奏をつけただけだ。

MIDI:第9変奏(前半)

ここまで来ると、作曲が「作業」だという気になってきたでしょ?よーし、調子に乗って、今度は第12変奏をいってみよう!第9変奏の直後だから、今度は「4度のカノン」で書かれる。ソ→ファ→ミ→レと下げて貼り付けるわけだ。「基本形」はこうだ。

MIDI:第12変奏の「基本形」

これが、このようになるわけよ。

MIDI:第12変奏(前半)

あー、解説すれば、これは単に音階を減算しただけでなくて、たとえば「ソファソラ」を「レドレミ」に変形した後にさらに反転させて「レミレド」として貼り付ける技術を使っているんだな。こういうのを「反行カノン」という。ややこしい変形をしているが、いわば数学の行列式を使っているようなものだ。構造は基本的に変わっていないんだよ。何てことはないだろ?プログラミングやった人なら分かると思うが、要は関数ですよ、関数。音楽だって関数ということ、、、

などと、いやな奴にはなりたくないと常に自戒したいものだが、それでも、このカノンの作曲というのが自在の思いつきとかいうのではなくて、きっちりと理論に基づいた仕事であることはわかると思う。だから、プログラミングとかWordでわかりやすい資料を作ることとかと、そんなに極端に離れていない。PC上での作業ならば、理論に基づいて音階を変換したり、上下反転させたり、左右反転させたり(これは「蟹のカノン」などと呼ばれる)、あるいは一定倍率でひきのばしたりしてコピー&ペーストしていけばもう曲のできあがりだ。音楽は、コード進行つまり和音も耳に心地よく響く配列のパターンはほぼ出尽くしている。コード進行を知り、カノン理論を使えばデスクトップでスイスイ作曲ができるということだ。さあ、それがわかったら、PCでカノンを作ってみよう!(同人ソフトじゃねーぞ)

MIDI:筆者が作った変奏(前半)

あー、、、

すまん、やっぱり難しい。いちおうこれは「4度のカノン」なんだが、音の配置がコード進行と密接不可分に結びついていて、カノンできれいに響かせるためにはメロディー自体が後のコード進行に制約される。このメロディーなんか元曲の第9変奏をほとんど流用したものだし、それでもあんまりしっくりこない。というよりもカノンというのは元々一つのメロディーラインを想定して、それを二本の合同なあるいは相似のメロディーに引き離す、という技巧であったようだ。これまで論述してきたのとは順序が逆だったんだね。失敬失敬。

ということで、「きちんと音楽理論を学んで作曲の修練を積めば、カノンはPCでスイスイ作曲できる!」と変更したい。
まあ、どんな専門職でもいっしょだね。



≪ 今回のイチオシ ≫
J.S.バッハ『ゴールドベルク変奏曲』
グレン・グールド演奏(ピアノ、1981年録音版)



これはすごいCDだ。このバロック時代のややもすれば技巧的作品に見られがちだった曲を、解釈によってエキサイティングな曲に変えた改心の演奏だ。グールドはもうひとつの『ゴールドベルク』演奏の頂点として1955年録音版が言われるが、私は断然81年版を推す。55年版は猛スピードで疾走するロック時代を予感したかのごとき演奏だが、81年版は確かなリズム解釈に重点を置いたグールドの入念な入れ込みを感じる。それもそのはず、彼は64年にステージ演奏を一切中止し、スタジオ録音に終始するようになっていたからだ。スタジオ録音ならば、例えばバッハの曲集のアルバムを作る場合に、何度も演奏、録音してよくできたテイクをつなげて完璧なものを仕上げることができる。人前で演奏することに何の意義も与えなかったグールドの姿勢についてはいろいろと批判もされたようだ。だが、グールドの3年後、1967年にロック界のビートルズもまたライブ活動を中止してスタジオ録音だけに活動の場を限定する決意をしたのと、時代的に並行した事情を感じ取っていたのではないか。つまりこの時代に録音技術が一気に進化して、スタジオでのアルバム作りに打ち込む意義が出てきたこと。そしてもう一つはあまりにも大衆化が進行して、聴衆の前で演奏することが何かさらし者になっているように感じたこと、、、

CDでは上のように『ゴールドベルク』となっている。ゴールドベル「」よりはましだが、どんな規則でこのようにカタカナ化したのかは、定かでない。英語ならば「ゴールドバーグ」だろう。といっても『ゴルトベルク』だってドイツ語本来の発音とは全然違うのもまた、言うまでもない。まあ、「ドイツはアメリカなんかとちゃうんや!」という訳者の誇りを賭けたこだわり魂を表現したものと解釈しよう。だが、米英を鬼畜とののしるようなことはせずに"Gold"を「ゴールド」と発音してして色気を送る気遣いを見せている。

そんなグールドの快作で、しかも最後の録音がこの二度目の『ゴールドベルク』だ。彼はこの録音の翌年82年に死亡した。

1曲目の「アリア」からとりあえずの一区切りである第15変奏「5度のカノン」までは、まるでコンセプト・アルバムのように起承転結を持って一気に聴かせる。(発売時はレコードだったから、ここまでがA面だったはずだ)本来は単に技巧によって規則的に配列されただけの16曲なのに。後半(第16演奏〜再び「アリア」)はより自由な、様々な解釈を見せる。

特筆すべきは、低音パートの響かせ方だ。バッハはポリフォニー(独:Polyphonie)の大家である。右手の主パートに拮抗するぐらいの入念な旋律が左手の低音パートに作りこまれている。グールドは両者をきちんと対等に響かせる。時に低音パートが主パートの旋律を食う。主パートをまるで低音パートの華麗で弱っちいBGMに引きずり下ろすのである。ロックならばポール・マッカトニー(ビートルズ)のベースやジョン・ボーナム(レッド・ゼプリン)のドラムに比べるべきだろうか。また、この曲はもともと2段鍵盤のチェンバロ(ハープシコード)用に書かれている。それを1段鍵盤のピアノで無理やり演奏しているのだが、だからこそ若き日のグールドは超絶技巧に突っ走ったのだろう。だがこの最晩年の録音は、右手と左手のバランスを取ってこの曲の特性を最大限に引き出す作戦を立てた上での細心の注意を払った演奏だ。生演奏ではとてもできなかっただろう。

個人的には、これぞピアノ演奏CDの頂点。これを聞いた後には、あれだけいろんな楽器を使ってもグールドに比べてそれほど突き抜けた響きも出せない交響曲が、格下のジャンルに見える。