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第4回 面白さ ⇔ 正確さ


私の同郷人であるが、司馬遼太郎の小説を面白いと思ったことは残念ながら一度もない。

彼の『街道をゆく』シリーズを始めとした膨大なエッセイ・紀行文は素晴らしい。大旅行家・司馬遼が残したこれらの鋭い観察は、20世紀後半の日本と世界の貴重な記録として、後世になってもまちがいなく重視されるであろう。彼は日本人で始めて現れた、後世読むに足る地誌を残した旅行家である。
だが、小説はどうだろうか。私などが言うのは僭越だが、司馬遼の小説は彼の『街道をゆく』のような偉大性を持っていないと思う。

彼は恐ろしく綿密に資料を調べ上げて、その資料の大量の山を中国古代の板築(はんちく)のようにかちかちになるまで突き固めて基壇を作り、その基壇の上で登場人物を配置し動かしていく。彼は、従来さほど評価されなかった人物を歴史からサルベージして物語を組み立ててみせた。秋山兄弟がそうだ(『坂の上の雲』)。新撰組がそうだ(『燃えよ剣』)。河井継之介がそうだ(『峠』)。司馬遼の手にかかれば、徳川時代の商人などという普通誰も興味をもたない人物でも大小説になる。高田屋嘉兵衛がそうだ(『菜の花の沖』)。これらの日本史上の人物を発掘した功績は、確かにあまりにも大きい。平成人の日本史は司馬遼が切り開いた風景の上に乗っかっている。その意味で、歴史分析の作業としての司馬遼の小説は巨大な仕事であった。

しかしながら、純粋な読む娯楽としての小説としてはどうだろうか?

豊臣秀吉を書いた小説を見てみよう。
彼の場合は「新史太閤記」が代表的だろう。他に「梟の城」、「尻啖らえ孫市」に「功名が辻」など、枚挙にいとまがない。
今、「新史太閤記」から、太閤記ものであるならば最大のヤマ場となるべき本能寺の変直後の一シーンを取ってみよう。

― ぎゃっ。
と、秀吉はえたいの知れぬ叫びをあげたほど、動転した。
(これほどの人物が)
 と、官兵衛があきれたほどに秀吉の様子はただごとではない。官兵衛はその生涯のうち、このときの秀吉のような姿を、ふたたびこの「英雄」において見たことがない。官兵衛はかねて秀吉を英雄であるとみていた。智者は困惑せず狼狽せずという。その言葉どおり秀吉はどういうとっさの場合でもいくつかの手段のひらめく気質をもっており、そのため狼狽の必要はなかった。官兵衛はつねにそういう秀吉をみていた。が、この瞬間の秀吉はどうであろう。
 そういう秀吉は、すでにおとなでさえなかった。板敷に尻餅をつき、嬰児のように遼のあしを投げ出し、のど奥からながながと奇声を発した。人間の声ではなかった。やがて官兵衛はそれが哭き声であると知ったが、とにかく大人の泣きかたではなかった。そこに孤児がいた。親にたったいま死なれてしまった孤児ならばあるいは、こういう寄るべの無げな泣き声を吠えあげるであろうが。

司馬遼は、小説で説明をしてしまう。彼の小説を読んでいつも歯がゆく思うのは、「どうして小説形式で書かなければならないのだ。研究書のように書けばよいではないか。」という点だ。資料をたんねんに調べ上げ、人物像を多角的に掘り下げて歴史人物の真実像に迫る作業をした結果、皮肉にも登場人物から人間的な躍動性が蒸発してしまう。彼の登場人物の語りは、かぎかっこをつけた論文なのだ。

他の歴史小説家の「太閤記」を見てみよう。まずは吉川英治の『新書太閤記』より、本能寺直後に毛利方首脳の吉川元春と小早川隆景が光秀との決戦に去っていく秀吉を追撃すべきか否かを論争する場面。

「そうか」
聞き流してすれ交ったが、元春は舌打ち鳴らしていた。
― ついに機は逸したかと、心中歯がみしているのであろう。隆景はその気持ちを読むが如く云った。
「まだ、残念に思し召しておられるのですか」
「そうだ」
問うまでもないことだと、鬱勃を色にあらわにして元春は答えた。
隆景はそれへまたいった。
「―では、かりに毛利家が天下に臨むと致して、その場合、あなたが天下を取る思し召しか」
――――
「御返答がないところを見れば、それまでのご所存はないものと思われる。――ではこの隆景は如何といえば、我らとても同様、輝元公をさし措いて、天下を掌握するなどは思いも寄らぬこと。・・・しかるに輝元公の器量はどうか。果たして天下人たる器を備えておられるでしょうか」
「・・・・・」
「その器ならざる者が天下をうごかすの座にあるときは、天下の乱れはいうまでもなく、天下をも失い、家をも滅ぼし、宇内の不幸は一毛利家の滅亡には止まりますまい」
「隆景。・・・もういうな。分かったよ」
元春は面をそむけた。悵然(ちょうぜん)と中国の夜空を仰いで、落涙しかける瞼を抑えた。一毛利家の家憲の下に在らざるを得ない遺り場なき武魂は声なく哭いていた。しかも彼は齢はすでに晩節近き五十三であった。

吉川『新書太閤記』は戦前の作だから致し方ないのだが、皇国史観色が強烈で、しかもそれゆえに外国蔑視の視点が散見される。だから手放しで人に推薦できない。だが人物を捉える語りのうまさでは、やはり多くの太閤記小説の中でも一等ぬきんでていると思う。秀吉と蜂須賀小六の不思議なめぐり合わせ、武田勝頼の自負と呻吟、明智一家の没落などまことにうまい。明智一家の中に「おひゃらく」(おふざけ)の明智長閑斎を登場させて悲劇性に花を添えているところなど見事である。ついでにいえば、いちはやく前田慶次(小説では前田慶次郎)を登場させているのも、目の付け所がよい。

他に、黒田官兵衛が主人公だが、坂口安吾の『二流の人』。

官兵衛は堤を切り、満目の湖を見てふりむいた。それから馬を急がせて秀吉の馬に追いつき、ささやいた。毛利の人質を帰してやりなさい。なぜ?官兵衛はドングリ眼をギロリとむいて秀吉を見つめている。なぜだ!秀吉は癇癪を起して怒鳴ったが、官兵衛は知らぬ顔の半兵衛で、ハイドウハイドウ、馬を走らせているばかり。もとより秀吉は万人の心理を見ぬく天才だ。逃げる者の姿を見れば人を追う。光秀と苦戦をすれば、毛利の悔いはかきたてられ、燃えあがる。人質が燃えた火を消しとめる力になるか。燃えた火はもはや消されぬ。燃えぬ先、水をまけ。まだしも、いくらか脈はある。之も賭博だ。否々。光秀との一戦。天下浮沈の大賭博が今彼らの宿命そのものではないか。
アッハッハ。人質か。よかろう。返してやれ。秀吉は高らかに笑った。だが、カサ頭は食えない奴だ。頭から爪先まで策略で出来た奴だ、と、要心の心が生まれた。官兵衛は馬を並べて走り、高らかな哄笑、ヒヤリと妖気を覚えて、シマッタと思った。

スピード感あふれる描写だ。官兵衛と秀吉の嫉妬をないまぜにした複雑な主従関係が生き生きと書かれている。

思うに、歴史上の人物について、それについて「知る」能力とそれについて「物語る」能力とは別なのだろう。
司馬遼は対象を「知る」ことについてはその能力に慨嘆するしかない。論文的エッセイ『空海の風景』など傑作だ。幕末明治に深い薀蓄を持っている彼が、それよりはるか昔の平安初期の高僧についてここまで「風景」を説き尽くすとは。遍照金剛空海が唐で得た体系的・普遍的宇宙論が密教であって、それゆえ密教を得たこの僧はすでに思想がユニバーサル(普遍的、つまり世界的)なものとなって、日本に帰ってきても天皇ですら手段として見下ろしていたと論ずる。そもそも宗教家とは本来ユニバーサルでなくてはならないのものだが、とかく日本文化の枠内で考えられがちな日本の宗教家たちの一人を取り上げて、それを日本のコンテキストから解放する。ハッとさせる仕事だ。

だが、これは、小説の登場人物の会話なのだろうか。

布大人は、庄助の月代(さかやき)とまげを指さし、
「倭人は、みなそのように剃るのか」
と、倭人の異俗について滑稽を感じているらしく、笑いを噛みころしてきいた。
「そうだ」
「倭人の汗(ハーン)といえども、そのように剃るのか」
この場合の汗は、たとえば平戸の大名である松浦候のクラスをさすのであろう。左様、平戸の貴族(ベイレ)もまた剃る、と庄助は答えた。
「倭の大汗もそのように剃るか」
大汗とは、徳川将軍をさすのにちがいないと庄助は見当をつけ、
「そうだ」
そういいながら、庄助は、倭人も、女真人や蒙古人も、剃るという点では同じではないか、と気づき、ふいに笑い出した。

(『韃靼疾風録』より)

結局、結論が先にあって、その結論にもっていくための問答であって、モノローグを便宜上二人に割り振っただけのものだ。異なる人物の意見が衝突する会話ではない。

司馬遼太郎は、偉大だと思う。同郷人として、なおさら顕彰したくもなる。だが、繰り返し読みたくなる「小説」はといえば、やはり吉川英治のものであり、坂口安吾のものであり、または山岡荘八のものであったりする。山岡荘八の『新・太閤記』など、登場人物が不用意に英単語を使ったりして雑な部分があるのだが、それでも完全に創作されたエピソードなど無類に面白い。松永弾正久秀をこんなに面白い人物として描いた小説は、他に見たことがない。大河ドラマの種本にはしにくいが、だからこそ「読む快楽」を得ることが出来る、そのような作品だ。司馬遼の小説は、少なくとも私にとっては、そうではない。彼は、戦前のまだ知的な都市であった大阪の空気を吸って育った最後の世代の人だ。だが、彼は「大坂人」(おさかじん)として山片蟠桃の後継者ではあったが、近松門左衛門ではない。

以下も続く本稿に引用した諸作家の文章については、本文がこれを主要部分としない批評であると判断して、一部引用した。私の判断に錯誤があるならば、よろしく私に告げてください。なお、坂口安吾については2005年の終了をもって、没後50年が経過する。



≪ 今回のイチオシ ≫
坂口安吾 『二流の人』



司馬遼の話ばかりしてしまったが、ここからは本来の「イチオシ」に移る。
ここで取り上げるのは、先述の坂口安吾の歴史小説『二流の人』だ。
明治時代後期の小説家は、夏目漱石や森鴎外のごとく文明開化の急先鋒として「何でもしてやろう」の気概に満ち満ちていた。ところが大正・昭和初期になると国として余裕が出てきて「文学」の伝統もできあがったこともあってか、文学者の「何でもしてやろう」精神は退潮していった。漱石の弟子の内田百閧ヘわざとジャンルを絞るようになった。もう一人の弟子、芥川龍之介は大正以降になっても一世代前の「何でもしてやろう」的な色気を持ちつづけようとしたが、ついに自爆した。そのトレンドの行き着く先が志賀直哉の「できるだけ書かないでおこう」の労作寡作主義だった。

ところが、戦中戦後になると、再び「何でもしてやろう」流の世代が出てくるようになった。坂口安吾は、三島由紀夫と並んでジャンルの見境のなさではチャンピオンだ。結局この時期は大学生の数が急増して岩波文庫が大ヒットし、要は知が大衆化してしまって己の知性の量を派手に見せびらかさないと賞賛を受けるための競争に生き残れない、という危機意識が前の世代と違った行動を取らせたのだと思う。それゆえ、坂口や三島の仕事は私のような後世の目から見ればある意味きわどいまでにスリリングで、またある意味スピード感を除けば何も残りそうにない下品な作品群である。

そんな坂口安吾は戦後、純文学的な作品から歴史小説に捕物帳、推理小説までに書き及んだ。彼の推理小説については私はそのジャンルのフリークではないのでよう評価できん。だが、彼の歴史小説は一流だ。
一般には『道鏡』、『信長』、『イノチガケ』あたりがよく知られているようだが、私のイチオシは『二流の人』。
1948年(昭和二十三年)の作だ。だから、このようなフレーズを出すことができる。

天才とは何ぞや。天才とは、自己を突き放すところに自己の創造と発見を賭けるところの人である。

とりあえず失うものをなくした時代に、このような言葉を吐く書き手が出ている時代は強い。案の定、日本はこの後アッという間に成功した。その成功に寒気がして三島由紀夫は自決した。そして21世紀の今や失うものをたんまり背負い込んで身動き取れない。

小説の内容は、創作上の人物など全くいない歴史の流れをままに語ったものである。だが、秀吉にこんなシーンを割り振る。

アッハッハ。とうとう三河の古狸めを退治してやった、と、秀吉は寝室で二次会の酒宴をひらき、ポルトガルの船から買いもとめた豪華なベッドの上にひっくり返って、サア、日本がおさまると、今度は之だ、之だ、と、ベッドを叩いて、酔っ払って、ねむってしまった。

完全に戦後のやり手経営者か政治家の描写そのまんまだ。坂口安吾は秀吉、黒田官兵衛、家康、直江山城らを完全に現代人として語る。昔の人として動物観察記みたいに叙述しない。実はこれこそまさに日本の歴史小説に欠けている部分だ。西洋ではカエサルやアントニウスは現代人と変わらぬ欲もあれば理想にも燃える人物として書く。高校の歴史の教科書のただの詳細版では決してない。

日本の歴史は敗戦でいったん切れてしまった。日本の国は1945年8月15日で一変し、新時代の強力なメッセージが国民の心をしかと捉えたからこそ、あれだけの成功をわずかの期間で成し遂げた。だがそれゆえ我らが無条件に同時代人とみなすことができる人々も半世紀前にしかさかのぼることができず、それ以前の人物はみな骨董品屋の奇怪な置物のたぐいに見える。アメリカは歴史のない国だと言われるが、日本もまた歴史のない国である。日本がアジア諸国から過去のことについて非難されると、一瞬健忘症にでもかかったかのようにぽかんと口をあけて困惑するのは、本当に忘れたのだ。

そのない歴史を何とか取り戻そうとした意欲的な試みとして、大江健三郎の『万延元年のフットボール』(1967)がある。この作品で大江は現代と幕末の間に家の歴史・地方の歴史から連続性を見出そうとした。国の歴史が存在しないゆえの、オルタナティヴとして。ほぼ同時期に「転生」という魔術的方法(というより、インチキ)によって戦前と戦後を接合させようとした三島由紀夫の『豊穣の海』(1965 〜 1970)と比べれば、同じ焦燥感を持ちながらも、戦後の無歴史国にしか生きる術がない大江と、戦前の別の世界にも生きていたような記憶があってまとめられずに分裂している三島との差が出ているといえはしないか?ところが、70年代には早くも村上春樹が『1973年のピンボール』と明らかに大江の小説の題をパロった作品を出す。そこでは歴史はもはやないままに放置される。そして歴史のないアメリカよりも更に恐るべき事態として、そこには自分史すらないのである。(後に村上はぎこちなく自分史・社会史を望むようになるのだが)。

かくのごとく歴史を現代への連続史として語るにも語れない戦後時代において、坂口安吾の一個の人として歴史上の人物を語る語り口は、爽快である。安吾の語る秀吉、黒田官兵衛、家康、直江山城らはたまたま安土桃山時代に生きていただけで、その実はまごうかたなき現代人だ。「家康の横っ面をひっぱたくのを満身の快とするだけ」で家康と事を構える「戦争デカダン」の直江山城。たぶん、歴史の「実相」からは程遠い人物描写であろう。だが、それでかまわん。シェークスピアの『ジュリアス・シーザー』は登場人物だけローマ人にした現代劇だ。千八百年前の時代の『三国志』の登場人物たちは、中国では常に現代人的典型として受け止められているではないか。『二流の人』出演の者どもは、まごうかたなき典型的日本人たちだ。目端が利き、妙に清潔で、せっかちで、あきらめが良さすぎ、そして情薄く孤独である。

だが、最後にひとこと。安吾がかくも歴史を爽快に語れるのも、女という人類の半分を占める巨大な他者をこの歴史小説ではとりあえず無視して語りきっているからだ。安吾は別に、女という他者を直視した純文学的(だと思うが?)作品を多く残した。それらの作品では男は人類代表ではなくなって常に女から白刃を突きつけられる不完全人類の一方にすぎなくなる。男女互いに自分を完全にすることができず、ぶざまであり、卑小な世界がそこに描かれる。男なんざあ本当はしょせん精神的なものなど何一つなく、女を膝の上に乗っけてにやけたいエロにすぎねえ。私は正直読んでいて、苦しい。ここに、ジレンマがある。快く語るためには、他者に邪魔されたくない。だが、他者を無視すれば、それは世界の全てを語ったことにならない。女が前景に浮かび上がって男と並び立つ戦後社会において、すらすらと快く語り快く受け取られるような「物語」はおのずから枠で領域を囲った楽しみ方だ。坂口安吾は、歴史小説「も」書いた戦後作家だった、ということを付け加えておかなければなるまい。

性もエスニシティも並列し、他者だらけになったアメリカで快く語れる唯一の領域として、わんわんにゃんにゃんらのペットの物語ばかり栄えるようになったのは、むべなるかな。

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