都ハ、アカルクテヨイ。
平家ハ、アカルイ。
アカルサハ、ホロビノ姿デアロウカ。人モ家モ、暗イウチハマダ滅亡セヌ。
(太宰治『右大臣実朝』より)
失われた10年。やらずもがなの公共事業。労働側にかたよりすぎた所得分配。バブルの崩壊。地震。日本人の「常識」の範囲内に吸収できそうにないカルトの暴走に少年殺人事件、信じていた巨大企業の倒産、、、事件だけたどれば、何と暗い10年だったのだろう。
しかし、90年代というのは、そんな時代だったのに今振り返ってみると不思議に華やぎがあった。「これではだめだ」と思っている時代は、過去か未来を見ようとする。まだ日本は過去だけしか見ないほど退廃していないので、未来が不確かであるとき、シモーヌ・ヴェーユの言う「真空」ができる。「真空」は耐え難い苦痛であるが、それは必ずや何かを生み出すはずだ。逆に、人が過去か未来によって満たされるとき、そこからは退廃が始まるだろう。
一年はみ出すが、確か2000年の2月だったと思う。私は私用で週末東京に行ったついでに、土曜日の朝から夕方にかけて東京の山手を延々と歩いたことがあった。田端から歩き始めたのが、手元の地図のメモでは八時四十五分。白山上から小石川植物園の横を通って江戸川橋へ。さらに南下して四谷左門町を突っ切り外苑東通りを通って、広尾天源寺。高輪、白金台を抜けて大崎へ。そこで当時はまだまだ増殖途上だったスタバで大カップのコーヒーを飲んだ時間が、手元の地図のメモでは十二時二十三分。今度は北に転じて山手通りを行き、中目黒、代官山を通って渋谷へ。そこで青山通りを上って表参道に入った。手元の地図のメモには、表参道を回ってラフォーレ原宿に向ったのは午後三時三十五分とある。
そのとき、表参道で見た人々の歩く群れが忘れられない。
冬のもう傾いた日差しの中、人々はゆったりと左右に揺れるように練り歩いていた。どこかへ急ぐためでもなく、ただそこにいて歩くことで、空と地面から養分を吸い取っている歩みがあった。
そのうちに、あの親しい者同士がくつろいでやるような会話が始まった。
つまりただしゃべっているのが楽しいので、別に話題が何だとかどこに向かって歩いているのかなどは関係ない、そのようなとりとめもない会話だった。
(チェーホフ『犬を連れた奥さん』より)
青山アパートの一階は、ブティック他の小さな店屋のテナントとなっていた。なんだかしょぼくれていた。だが、これはこれでよい。ちょうどあだ花となったネットバブルが終末期に差しかかろうとしていた短い華やぎの時期だったのであるが、週末の午後の人たちは景気とかビジネスとか以前に、今与えられていた「天を楽しんで」いた。つまり楽天的であった。日本人が楽天的になると、自然とこのように左右にゆったりと揺れるリズム−昔田畑で農作業をしていた時代さながらの二拍子のリズムだ!−が沸きあがるものなのか。私はその冬枯れ終わって春のきざしが見え始めた参道での人々の歩みにただただ呆然と見とれていたのを思い出す。
90年代にはついにバブルが崩壊して、人々が何が何でも働かなくては申し訳ないという前提が崩れた。労働分配率は着実に上昇し、企業を食い物にして人は裕福になった。わが故郷大阪では街の公園の至るところにホームレスのコロニーが無限に増殖していったが、それはこの国のタガがついに緩んだことの一現象ではなかったか。某カルト教団が「宇宙戦艦ヤマト」のクルー気取りで革命ごっこを夢想していたと聞いたときには、もはや笑う気力も失せて脱力するしかない。そうやってこれまで走らないと申し訳ないと思っていた五十年間の呪縛が、ついに消えた。そのとき、地に足を着けて戦後の街並みを歩ける術をようやく知ったのだ。
私は思った。戦後五十年余り、人々がえいえいと働き続けたのは、ひょっとしたら今目の前にある神宮の杜へ続く小街道の午後のひとときの情景を作らんがためのものだったのではないか。戦後という時代はここにささやかだが根っこのある「幸福のかたち」を結晶させたのだ。思えば90年代とは戦後の「意味」がついに − 結局いろいろぶかっこうで困った点が残ってしまったとはいえ − ある「幸福のかたち」として成就した時代ではなかったのだろうか、、、、、そして、90年代を経験したことによって、戦後は終わったのだ。青山アパートも、もうない。
ああ、大きなことを今日は言ってしまった、、、いつものことか。さて、今週のイチオシに行こう。
≪ 今回のイチオシ ≫
アリスソフト『アトラク=ナクア』サウンドトラック
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私は、このいわゆる「18禁ゲー」と言われる作品の内容については、ここで一切語るつもりがない。公序良俗に反するからだ。ここで公序良俗に反すると私が言うのは、それがただエロシーンがあるからとか言う理由からだけではなくて、いわゆる「18禁ゲー」とか「ギャルゲー」とかいうジャンルは、女がふんだんに出てくるにもかかわらず、(当たり前だが)男の都合優先で構築されているからだ。それは私にとってあえて人に薦めたいと思うものではない(この作品はちょっと外れるのだが)。
ただ、この作品のサントラだけは、私として何も言わないでおくのは惜しい。だから取り上げた。
知っている人は知っているが、このジャンルには特に90年代後半に優れたサントラが多い。なまじインチキな90年代以降のポップスアルバムよりも、よほど聞かせたりする。
このジャンルでこれまでに生み出された「名曲」といえば、おそらく「AIR」(製作:KEY)所収の『鳥の詩』なのだろう。私は、この曲はアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」のテーマソング『残酷な天使のテーゼ』と共に90年代の日本を象徴するソングの一角に置いておきたいと思う(『鳥の詩』は2000年だが)。そこには、80年代のサザン、BOOWY、Xなどから続いたJPOPの流れからは見えない日本の音楽の形が透けて見える−いや、深いところでは両者はつながっているに違いない。
『鳥の詩』も『残酷な、、、』も女性ボーカルである。そして誰が歌っているのかは、はっきり言って問題にならない(『鳥の詩』の歌手は不明だ!)。単に女性ボーカルであればいいし、かつ女性ボーカルでなくてはならないのだ。その顔が見えない女性ボーカルで『鳥の詩』が歌われるとき、ウタダやリンゴなど聴こうともしないある範囲の感性にある耳が、これを受け入れるようになる。かくいう私なのだが。私はいずれ取り上げるであろう李香蘭(山口淑子)以外一切女性ボーカルに対して絶縁体の耳を持っているのだが、『鳥の詩』と『残酷な、、、』の顔の見えないボーカルは聴けるのである。その理由は? − それは、これらの曲のボーカルがただの楽器の一つだからだ。歌詞によってなにがしかのメッセージを伝えることのできる(内容など何もないメッセージであるが)、言葉を操る楽器。それ以上のものは期待しないし、あってほしくない。歌詞も合わせた曲作りがよくできていれば、それでよい。だから、これらの歌は、大きな意味でのインストなのだ。そして思わぬジャンルのインストに思わぬ輝きがあったのが、90年代だった。そこには冗談ではない真剣さがあった。冗談でしかないジャンルなのだが。「冗談でしかないジャンルに冗談でなく打ち込む」のがいわゆる「ヲタ」魂なのだろう。今、そんな「ヲタ」魂は世間一般に「ヲタ」ジャンルと(無理やり)認知されかかっている分野に、まだ残っているのだろうか?
セックス・ピストルズとか尾崎豊とかを聴いて歯ぎしりするような音楽の消費のしかたは、少なくとも80年代で終わった。その後は、どんな音楽の消費スタイルも、ぜんぶ「○○ヲタク」でしかなくなる。ウタダを聴こうが、スピッツを聴こうが、バッハを聴こうが、『鳥の詩』を聴こうが、皆いっしょ。国民の奥底にある(と期待される)情念に訴えかけるべき演歌が90年代で完全に滅んだのは、当然のなりゆきだ。演歌とロックンロールは、同時に死んだ。
そういった無数の「ヲタ」の蛸壺の中の一つにまがりなりにも一時期ハマッたことがあった私が蛸壺の中からあえて取り出してみたくなったのが、このサントラである。90年代に発売されたインスト作品の中では、私はこの『アトラク=ナクア』(1997)のサントラと、『ピアノ・レッスン』 The Piano (1993)が今でも愛聴版だ。作品そのものを薦めたくないので伝えるのが難しいが、とりあえず下手ながらその中の1曲を自分でアレンジしてmidiにしてみた。