あー、優勝しましたね。
今岡、打点王だってね。ヘタレと言われていた時代は遠い昔だ。
下柳、最多勝だって?大したものだ。
個人的には新井(広)の本塁打王のほうが感慨深いけどね。
1960年代も62年、64年と一年飛びで優勝したから、まあなんとなく優勝する予感はあった。そして前回も64年はオリンピック直前で野球なんかほとんど感心が持たれていなかった。今回も、2回目だから盛り上がらないのは仕様がない。私もまた、2年前の6月15日、神巨戦(甲子園)での下柳×木佐貫の投げ合いと延長10回(だったかな?)片岡のサヨナラヒットで、もうお腹いっぱいです。今年はあまり関心がありませんでしたな。
私のこれまでの野球観戦歴でちょっとだけ誇ることがあるとすれば、それは1989年シーズン終了直前、西武×近鉄の伝説のダブルヘッダーを観たことだ(西武球場、10月12日)。私はいちおう出身が大阪は南河内地方なので、クソガキの頃今はなき藤井寺球場にしばしば行ったことがあった。鈴木啓示、山田久志、村田兆治などの投球を間近で見て、門田博光、加藤秀司のバッティングに注目し、球界の立川談志こと福本のおっさんを解説じゃなくて実際に打って守って走っていたのを見たことがある、まあそんな世代だ(いや、昔福本はヒゲ生やして談志に似ていたんだよ。ひょっとしてこんなこと言っていたのは私だけかもしれないが)。この年の前年1988年に近鉄はリーグ制覇を最終戦ダブルヘッダーで逃していた無念があった。そのため、2年続けて同じ西武とのデッドヒートとなったこの年のシーズン終盤では、昔よく観戦した懐かしの近鉄球団の動向に、再び目が離せなくなっていた。
このダブルヘッダー、近鉄が連勝しなければ逆転優勝の目途はほぼなくなるという、瀬戸際の試合だった。当時私は東京にいたので、大学の授業(ありゃ!年がばれる)が終わるとすぐに西武新宿線に乗って駆けつけた。授業終了直後に聞いたラジオでは、西武が5−1と大きくリードしていた。ああ、まただめかな、、、と思ったが、ふだんマイナス思考に傾きがちな私にしては珍しく足の進むがままにもう秋で肌寒い球場に向った。(この西武球場はすばらしい。いやすばらしかった。球場のフォルムも美しく、外野席の芝生も鮮やかで、関東でいちばんよい野球場だったと思う。どうして屋根なんかつけたのだろう?)
球場の外野席に着いたら、もう第1試合は終わっていた。ボードを見ると、、あれ?勝っている、6−5で!1試合目の西武の先発は郭泰源。打ち崩したのか?− と、状況が把握できないまま、とりあえずもう始まっていた第二試合に注目した。とにかく、第1試合は勝ったらしい。ならばこの第2試合も連勝すれば逆に近鉄にマジック2が出て、西武の自力優勝はなくなる。絶対に越えられない壁のように見えた西武ライオンズを追い詰めるチャンスが間近に迫ることになるのだ。3回表、スコアは2−2、近鉄の攻撃。着いてまだ10分も経っていなかったところだった。その矢先に、外野席はるか遠くのバッターボックスにいた左打者から快音が聞こえた。打球はややもやのかかった秋の夜空を飛んで、、、、スタンドイン。低い弾道のセンターライナーのような当りだった。だが、打球があれよあれよとスタンドに近づいていく瞬間、周りが一斉に「あれーーーーーっ!!!?」と半ばあきれた声を出したのを覚えている。このバッターこそ、ラルフ・ブライアントだった。確かにこいつは当たればすごい奴だ。振り切った瞬間にスタンドインするホームランは、あのランディ・バースをもはるかに越えていた。彼は前年に中日から移籍した選手だった。中日もよく手放したものだ。だが、私は当時の近鉄の中心はあくまでエースの阿波野であると思っていたので、失礼ながらブライアント氏にはさほど注目していなかった、、、まさか、私が観た一発が、4打数連続ホームランの4発目だったとは。そう、ブライアント氏は第1試合に郭泰源と渡辺久信の両エースを、3発のホームラン(ソロ、満塁、ソロ)で全打点をたたき出して沈めていたのだ。このことは、少し経って冷静になり、ラジオを取り出して聞いて確認したことだ(行きの電車内ではラジオが聞こえなかった)。だから、私はこのプロ野球史上に残る大事件をリアルタイムでは何だかわからないうちにそのフィナーレだけ体験していたということになる。(第2試合そのものは、ブライアント氏の神が介入した奇跡に戦意を失った西武を近鉄が徹底的に打ち込んで、圧勝だった。)
これまでの人生で野球を見てすごいものに立ち会った瞬間は、正直あれに尽きる。野茂も見たし、イチローも見たし、村田兆治も見たし、大阪の日生球場で桑田の高校生ばなれした投球も見た。だが昔はセリーグを見なかったから、全盛時の江川のすごさについては知らん。そういった名選手を生でたくさん見たが、驚いてあっけに取られたのはあの時だけだ。一度どうして逆転できたのかがわからず驚き、二度勝ち越しのホームランに対する周囲の反応に驚き、三度その起こったことの意味を後で知って驚いた。名試合を初めから観戦した感動よりも、わけもわからず観戦していた驚きの方が印象深いから、面白いものだ。
野球はまことに退屈なスポーツで、想像力で試合を補わないと間延びしてあくびが出てしまう。能と同じようなものだ。選手を知り、データを知り、そして個々の選手とチームに連帯感を持ってはじめてエキサイトな観戦ができる。このように、野球観戦は繊細な文化なのだ。文化は創るのは難しいが、壊れるのはたやすい。
今のプロ野球がどうなのかということについては、私は実は今後への建設的な意見をどうやら持ち合わせていないようだ。私は、藤井寺球場が近鉄のフランチャイズでなくなった時点から、どうやらもう醒めた心になってしまっている。だがら、この場で何も言うべきでない。それを今から考えていける人にゆだねたいと思う。最近の騒動にも、私は何も言いません。ただ、甲子園球場だけは、後世にも何としてでも遺し伝えていくべき日本の文化遺産だと思う。私は数えるほどしか行ったことがないし、ファンについてあまり良い印象をもたないのであるが。
で、もう存在しない近鉄バッファローズのことばかり書いて、阪神タイガースはどうしたんだよ、それよりもなんで阪神がブラームスなんだよって?いや、それはこれから言います。
≪ 今回のイチオシ ≫
ブラームス『弦楽六重奏曲第一番』
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年は1997年、5月GW中のことだった。
甲子園球場は久しぶりに好調なスタートを見せた吉田監督率いるタイガースを応援しようと、満員の観客にふくれ上がっていた。彼らの期待をいやおうなしに盛り上げたのは、巨額をはたいて招聘した大物「助っ人」、グリーンウェル。このGWのデーゲームがその来日デビューだった(5月3日、対広島戦)。
打った!センター前ヒット、しかも先制タイムリーだ!あまりいい当りでなかったが。観衆は何かを感じた。ひょとしたら、ひょっとするかも、、、?
また打った!これで二打点だ!試合も完勝ペースだ!観衆の予感はこのとき確信に変わったであろう。85年の優勝以降、これまでの長い長い屈辱の日々は、今シーズンの喜びをいや増しに増さんがためにあったのだ。すべての謎が明らかになった。ありがとう、グリーンウェル。ありがとう、吉田監督。
私は特に熱心な阪神ファンではなかったし、今でもないが、やはり阪神が強いと気になるのは、これはもう関西人の性だ。ついついこの日はTVに見入ってしまっていた。そしてスタンドの熱狂に完全に同調してしまっていた。GW休み中で、かなり昼酒が入っていたせいだろう、、、そしていつのしか勝利の『阪神タイガース応援歌』(通称:六甲おろし)を歌いたくてしようがない自分に気付いた。もう完全な酔っ払いだ。
.,,, and all of a sudden, in the middle of it, they began singing the Shema Yisroel.
そして突然、それ(ガス室送りの人数点呼)のさなかに、彼らは『聞け、イスラエル(シェマ・イスラエル)』を歌いだしたのだ!
― シェーンベルク『ワルシャワの生き残り』より
しかし、口に出た旋律はこのようなものだった。

これは、ブラームスの『弦楽六重奏曲第一番』の第二楽章の旋律だ。酒が入っていたせいもあるが、なんと見事にハマって歌えるではないか!
このような哀愁あふれるメロディーだ。(歌詞に合わせて若干アレンジしている)
『弦楽六重奏曲第一番』の第二楽章・基本旋律
これも、『阪神タイガース応援歌』の別旋律としてかなり良いのではないか?好みにもよるだろうが、、、ただ、歌詞の中の「吾が名ぞ」(二番、三番は「我らぞ」)は省略するしかない。
阪神ファンなら夢の中にまで出るほど恨み骨髄に達していただろうから周知のことであるが、結局グリーンウェルはこの日の活躍が阪神タイガースでの全てであった。何とたった一週間後に自打球を当ててリタイア、そのまま「神のお告げだ」とか言って引退してしまった。まさにヒット一本億単位の無駄遣い。阪神ファンの怨念は彼を無間地獄1億年の刑に持っていくだけの力があっただろうが、グリーンウェルの神は果たして彼を守ってくれるだろうか。ありがとう、短い夢を。
この年もタイガースは散々な成績で終わり、これから後もファンには長い二段底の苦悩が待ち受けていたのであった。まあ、今となっては笑い話だろうが。
最後に、このブラームスの曲は、さすが彼らしくわかりやすいながらも決して俗に流れない。ブラームスはベートーヴェンに強い引け目を感じていたので、ベートーヴェンが質量ともに巨大な仕事を成し遂げた弦楽四重奏曲のジャンルに手を出すのを長くためらい続けた(初めて発表された第一番は四十歳のとき)。その代案が、ヴィオラとチェロを一枚ずつ増やして低音のハーモニーを分厚くした弦楽六重奏曲だ。この『第一番』は、上の第二楽章だけでなく第一、第四楽章でもヴィオラが大きく活躍している。ヴィオラはいわば「語る声」であろうか。一方でヴァイオリンは「歌う声」であり、チェロは「慰める声」とでもいえるだろう。ヴィオラはそれらのスタープレーヤーに比べてそっけなく、落ち着いて控えめである。その声を、ブラームスは縦横に使ってみせるのだ。決して派手な昂揚は見せないが、ほのかな温かみと、内に秘めたあこがれを秘めた声を。ブラームス二十七歳の作。