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第12回 神の聲


あの時、私は生まれかわった。・・・・私は自分のとるべき道を知った。・・・・それはいやおうをいわせぬ命令だった。

ゲッベルス Josef Goebbels が一九二二年にヒトラーの演説を聞いたときの衝撃を、後に彼が回想して書いたものだ(山口定『ヒトラーの抬頭より引用)。ゲッベルスはヒトラーの声を「神の声だ!」と思ったと書いている。ちょうどヒトラーの演説を聞いた直後にナチスに入党しているから、何がしかの強い印象は受けたのだろう。だがその後しばらく彼はヒトラーの党内ライヴァル、シュトラッサー Gregor Strasser (1892 - 1934)の側近だったわけで、一時はむしろ、王室を擁護したりして社会主義政党党首の立場として疑問のあるヒトラーに対立していた。ゲッベルスは自己陶酔が強く、自分の過去を美化する癖のある物書きだった。だから、後の時代の回想には、結局ヒトラー派に鞍替えした自分の経歴に対する自己正当化の意識が働いていたといわなければ嘘になるだろう。

とはいうものの、ナチスの政権獲得にヒトラーのカリスマが必要不可欠であったことはライヴァルのシュトラッサーでさえ認めざるをえなかった事実であり、そしてヒトラーの演説がナチス集会の目玉として繰り返し利用され続けたというのも事実である。遺された記録フィルムのヒトラーの演説を聞いても、日本人の私はちっとも感心しないのだが。ただのでかいダミ声にしか聞えない。あれがドイツ人には心地よかったのだろうか。外国人の演説で私がこれまで感心したのは二人だ。一人は一九六〇年代アメリカの黒人指導者マルコムX MalcomX (1925 - 65)の演説。たたみかけるような、鮮やかな演説だった。もう一人は、全部を聞いたわけではないのだが、キューバの指導者フィデル・カストロ Fider Castro の大演説。革命記念日の演説だったろうか、テレビで一部が放映されていた。そのときもうもう七十歳にもなっていたはずだが、延々六時間ほど演説したとか。大した元気だ。内容というより、その勇姿に感銘を受けた。といって、私はカストロの政治にシンパシーを感じているわけでは全然ない。

声は確かに人の心を揺さぶり動かす力がある。だが日本で演説が歴史を変えたという例といえば、私は北条政子が承久の乱の際に鎌倉御家人の前でぶった演説ぐらいしか思いつかないのだが。朝敵覚悟で上皇に刃向かうという決意は、事大主義的な日本人の感覚にはあまりにも重い。その男どもの逡巡を打ち破れるのは、まさにオバハンの一喝しかなかった。「てめえら、シャキっとしねえか!てめえらのケツはわっちが拭いてやらあ、どんと言ってこい!」って。どうやらオバハンだけが、周りを見回してばかりの日本の男どもを奮起させて日本の重苦しい権威を粉砕することができるようですなあ。

それはそうとしても、以前言ったように私じしんは女性ヴォーカルに全然感銘を受けない。これは多分何かの内的な傾向があるのだろう。男性ヴォーカルならば、洋楽邦楽問わずいくらでも挙げることができるからだ。その中でも私は、(月並みな意見だが)ビートルズ初期のジョン・レノン John Lennon のヴォーカルこそが「神の声」だと思う。

私は高3のときまでビートルズを聴いていなかった。上の世代が嬉しそうに語る「ビートルズの思い出」に非常ないやらしさを感じていたからだ。一九六六年の武道館ライヴの時にティーンだった連中がまだ三、四十代ぐらいだった頃だ。自分の思いの丈をいちばん生臭ぁく語りたい年頃に差し掛かっていた彼らの様々な論評やエッセイに、正直私は鼻をつまんで通り過ぎたい心もちがしていたものだ。当時の私はニューウェーヴとテクノばっかりだった。

スーパーマーケットの前の露店で流されていたFMラジオだった。いろいろリクエストを流していた最後に、ビートルズがかかった。「ん?ビートルズか?」とその時帰宅しようと思っていた私は思っただけだった。私が聞いたこともない曲だった。だが、曲の終わりまで立ち去ることもせずずっと聴きつづけていた。別にゲッベルスが書いたようにそこで「神の声だ!」と直感して雷に打たれたわけでは、絶対なかっただろう。だが当時どんどん気鬱になっていて自殺直前にまで至っていた私の心には、何かがひっかかった(当時高校生の私が鬱になった理由など、特にない。世界や歴史に対する自分の無力さみじめさを、痛烈に感じ取っていただけだ)。次第に「あれは何て曲だ?」と確かめたくなった。それでとうとうそれまで敬遠していたビートルズを聴くために、当時はまだあったアナログの貸しレコード店に行って一枚借りた。もう廃盤になっていると思うが、確か『ビートルズ・20グレイテスト・ヒッツ』とかいう、アメリカでNo1となった20曲を集めたベスト版だった。1曲目は "She Loves You" で、最後の曲は "The Long And Winding Road"。お手軽な一枚だ。これでハマッた。泣いた。毎晩聞きつづけた。そして、更に別のアルバムを借りなければならないと思い立った。なぜならスーパーで聞いた曲は、この中に入っていなかったからだ。ちなみにこのアルバムはレノン/マッカートニーで統一させる編集方針だったのか、ジョージ・ハリスンの "Something" の代りにそのB面の "Come Together" が入っていた。だから、実は正確なアメリカでのNo1ヒット集ではなかった。

気付いたら、ファーストアルバムから最後の『レット・イット・ビー』まで全部聞いていた。というのは、スーパーで聞いた曲は、最後の最後に借りたアルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』に入っていたからだ。デビューから二枚目でいちばん目立たないアルバムだったから、最後になってしまったのだ。「入っていたからだ」と言ったが、本当は私の中でたぶんこの曲だったろうと推定して言っている。ビートルズを全部聴き終わった頃にはもう完全にハマっていて、もはや一番初めに聞いた曲の記憶が後で聴いた曲とごっちゃになって印象があいまいになってしまっていたからだ。「これは違う、、、これも違う、、、」と思って聴きつづけていった後に、もはや最後の一枚しか残されていなかった。だからその一枚の中で、何となく腑に落ちた曲を「これだろう」と自分で推定しているだけなのだ。そして、その曲は、ジョン・レノンがヴォーカルの、"Not a Second Time"。詳しく分析したいが、著作権に触れるのでできない。ただ、ジョン・レノンの哀感あふれるヴォーカルが心にしみる曲だ。演奏は何てことはないが、リンゴのドラムが決まっている。導入部のギターのフレーズもいい。ジョージ・マーティンのピアノはまあまあだ。あっという間に終わる本当に目立たない曲だが、私にとってのビートルズソングの「イチオシ」は、だからこの曲である。

結局、私はこの曲のジョン・レノンのヴォーカルにひっかかったのだ。この曲が入っている『ウィズ・ザ・ビートルズ』でのジョンのヴォーカルは本当に素晴らしい。後は、この前の『プリーズ・プリーズ・ミー』と次の『ア・ハード・デイズ・ナイト』がジョンのヴォーカルの頂点を示す。これ以降も悪くはないし、ジョンのふざけた歌詞はやっぱり面白いが、今でも私にとって衝撃を与え続けるほどのものではない。ビートルズ解散以降については、私は傑作『ジョンの魂』以外はだめだ。ビートルズの分厚いアレンジをはぎとったら、三十代のジョンのヴォーカルには艶がまったく消えてしまったことがあからさまに暴露されてしまう。確かに、家庭その他の身近なことを題材に歌うという姿勢をさっさと打ち出した七十年代以降のジョンの先見の明だけは、ポップアーティストとして大したものだと思うが。

洋楽のジャンルならば、他に私が超地上的なものを感じたヴォーカリストといえば ― エルヴィス・コステロ Elvis Costello とジョニー・ロットン(セックス・ピストルズ) Johnny Rotten であろうか。フレディ・マーキュリー(クイーン) Freddy Mercury はすごいとは思うが、私とは波長が合わない。さて、今回の「イチオシ」はクラシックのジャンルで私が感じた「神の声」を取り上げよう。



≪ 今回のイチオシ ≫
シューベルト『魔王』
(歌:D. フィッシャー=ディースカウ)




Wer leitet so spät durch Nacht und Wind ?  こんな風の夜に駆けるのは誰か?
Es ist der Vater mit seinem Kind;  それは父、子を連れた父。
Er hat den Knaben wohl in dem Arm,  父は腕に子を抱え、
Er fasst ihn sicher, er hält ihn warm,  しっかりと抱きかかえ、温かく包む。

『魔王』と訳されているが、原題の "Erlkönig"(英:Erlking)は、「妖精王」のことだ。子供をさらう醜悪な姿の巨人で、ゲルマン神話に由来する。キリスト教の悪魔とは関係がない。周知のとおり、ゲーテ Goethe のバラードに曲をつけたものだ。

十代のシューベルトはこの『魔王』や『糸を紡ぐグレートヒェン』『野ばら』『御者クロノスに』などを、その歌詞の作者ゲーテに送って批評を乞うたことがある。いずれも現代では大傑作と評価されているものだ。だが、御大からは返事もなく送り返されてきた。ゲーテは自分の詩に曲をつけたリート Lied はあくまでも詩の本来の韻律に沿うように、控え目に作曲されるべきだと考えていた。伴奏を極力排し、詩の形式に従ってスタンザ(連)ごとに同じメロディーが繰り返される有節形式をよしとしていたのだ。シューベルトの『魔王』や『グレートヒェン』のように違った曲想が次々と打ち出される通作形式は詩の味わいを壊すと思っていた。詩人であって作詞家ではないのだから、そりゃあそうだろう。だから、

通作形式を嫌ったゲーテが、これらのリートを認めるはずもなかった、ゲーテが直々に目を通したかどうか。むしろ演奏させる前に、ツェルターが検閲官の役割を演じて、ボツとした可能性も大きい。シューベルトのリートでは、伴奏は声部を支える最少必要限度をはるかに超え出て、ドラマティックになっており、詩の韻律やアクセントを無視した箇所もある。さらには、〈グレートヒェン〉では、自分勝手に詩節を省いたり、余分に付け加えたりした。これではゲーテならずとも、原作者の怒りを買って当然だ。
(喜多尾道冬『シューベルト』朝日選書より)

『魔王』は『グレートヒェン』のように勝手に詩を増減したりはしていないが、ほとんど繰り返しの部分がない、『グレートヒェン』よりも更にラディカルな通作形式だ。このリートでは、四者の声が登場する。すなわちナレーター、父親、子供、そして魔王。 これを子役を交えて複数で歌うこともしばしば行われたようだ。だが、基本はやはり一人で歌いこなすべきだ。それゆえ、このリートは歌手の演技力が問われる。私が今まで聞いた『魔王』の中で、最も演技力において素晴らしいと評価するのは、ドイツリートの名手D. フィッシャー=ディースカウ Dietrich Fischer-Dieskau のものだ(1958年5月録音版)。私は、小学生のときこれを聴いて、これが『魔王』なのだとはっきり決めてしまった。始めに最高のものを聞いてしまったら不幸である。以後、誰のどの『魔王』を聞いてもこれと比べてしまって、私は落第点を付けてしまうのだ。フィッシャー=ディースカウじしんの後日録音したものですら、ぜんぜん足りないと感じてしまう。

手元に『18人の名歌手によるシューベルト魔王』(東芝EMI)というCDがある。二十世紀初頭から一九六十年代までの男性・女性名歌手たちの『魔王』録音を集めたものだ(上のフィッシャー=ディースカウの録音も収録されている)。いずれもナレーター、父親はしっかり歌っている。だが子供をしっかり歌えているのは少ない(子役に歌わせているのは置いとく)。

Mein Sohn,was birgst du so bang dein Gesicht ?
                     (父)息子よ、どうしてそんなに怖がって顔を隠す?
Siehst,Vater,du den Erlkönig nicht ?  (子)お父さん、ねえ魔王が見えないの?
den Erlkönig mit Kron' und Scweif ?  冠つけて、尻尾を着けた魔王がいるよ!
Mein Sohn,es ist ein Nebelstreif.  (父)息子よ、あれは霧の流れだ。

この部分は、冒頭の要。父と子の態度の違いを際立たせなければならない。特に最後の行は、父の子をなだめる余裕の態度が長調で歌われて、以降の魔王の誘惑につながる。(子)不安→(父)威厳→(魔王)誘惑と急速に転換する。子と魔王が別方向ながら浮ついた方向である間にある落ち着きを歌う、重要なブリッジの演技が必要だ。

"Du liebes Kind, komm, geh' mit mir !  (魔王)かわいい坊や、私とおいでよ!
Gar schöne Spiele spiel' ich mit dir;  とっても楽しい遊びをしようよ。
Manch' bunte Blumen sind an dem Strand,  岸辺には、いっぱい花が咲いててね、
Meine Mutter hat manch' gülden Gewand." 私のママがいっぱい金の着物を用意してる。

フィッシャー=ディースカウの魔王の演技は最高につき抜けている。ハリウッドの演技に近いものを感じる。古い世代の歌手では得られなかった演技力を消化した彼は、まさしくドイツ戦後世代の歌手だ(彼のデビューは1947年)。父がだんだん不安になっていく推移、子の吐き捨てるようなあえぎ、そして魔王の甘ったるくて気持ち悪いささやきも見事に表現されている。フィッシャー=ディースカウはバリトン歌手である。バリトンはバスのように威厳があり、かつテノールのように輝きがあるべきとされる。この『魔王』はまさにバリトンの魅力をフィッシャー=ディースカウが存分に表現して見せた一曲だ。



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