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第13回 Go aufsteigen.


会社がひけた時、こう自分に言ったんです。『たまには散歩ぐらいしなくちゃ。今やらなきゃ、一生やれない』とね。

― E.M.フォースター『ハワーズ・エンド』 "Howards End" より

ヴェンダース監督の『ベルリン・天使の詩』 Der Himmel über Berlin という映画の中で、出演のピーター・フォーク(『刑事コロンボ』のコロンボ役で有名な人)のせりふで確か「祖母さんがこう言ったのはベルリンのことじゃなかったかな、、、"Go spazielen"って。」などというのがあったような気がする。

この spazielen というのはドイツ語で「散歩する」という意味。それをもじって、aufsteigen(ドイツ語で「登る」)を使ってタイトルとした。もちろん文法どおりじゃないですよ。



≪ 今回のイチオシ ≫
六甲山




2005年11月5日(つまり昨日)、快晴の天気を機会に久しぶりに六甲山に登った。以前登ったのは、二十世紀だった。京都から阪急線を使って行く。

六甲山系は芦屋、岡本、灘、そして神戸中心街の背景に借景として広がる山脈である。海の手前ににょっきり張り出す標高1000メートル弱の花崗岩の塊は、当然活断層の固まりでもあるだろう。いつ再び爆発するかも分からない。しかしこの山が古代から目の前の兵庫の湊に良港を提供し、徳川時代末に関西で最も適切な港として国際的に開港されて「神戸港」と言われるようになった。そして明治時代の産業革命以降、次第に山すそに東西に続く都市ベルトが形成されていったのである。本日、私は阪急神戸線の車窓から六甲山脈を見ている。快晴の空を背景にした秋の山の色屏風は、緑地の中に赤と黄をところどころに交え、花崗岩の岩肌がまばらに銀箔を添える。この雄景を眺めるだけでも、朝酒を飲むのに十分な肴となりそうだ。今日は飲まないが。

『山と高原地図 六甲・摩耶・有馬』(調査執筆/赤松滋、昭文社エアリアマップ)によると六甲山の名の由来は結局古代摂津国の武器貯蔵庫であった武庫(むこ)港の目標となる山、という意味の「武庫(むこ)山」が起源であるという辺りがおおむね正解なようだ。またあるいは難波宮から「むこうに見える山」という意味での「向かふ山(?)」なのかもしれない。いずれにせよ、「六甲」の字は後世の当て字ということになるらしい。

この山が注目されたのはもっぱら明治以降になってからだ。それまでは海側の深江から有馬温泉まで魚を運ぶ魚屋道(ととやみち)のコースとしてみなされていた程度だったろう。だが明治政府のお抱え外国人がこの骨ばった岩山を喜んで登山し始めた。明治二十八年(1901年)には六甲山上に日本初のゴルフコースが開設された。そういった外国人の趣味に次第に引きずられて日本人も注目するようになり、「ロックガーデン」の名付け親、藤木久三の活動もあって現在のような登山観光地となった。

芦屋川駅で降りる。時間は9時半過ぎ。駅前には登山客も多い。街中を少し歩けば山道に入る。紅葉はまだほんのところどころだ。芦屋川河畔から向こうを眺めると、周囲の尾根から孤立したよい形の山が見える。山すそはちらほらと色づいて、あと一月ほどもすればもっと見事な紅葉となるのだろう。地図を見ると鷹尾山とある。山の形から見ておそらく戦国時代は山城として使われていただろうと思ったら、案の定その通りの経歴を書いた案内板が沿道にあった。

山道に入ってしばらくすると高座の滝に出くわす。この辺はイノシシの出没地で前に来たときにはたくさん見たが、今日はいなかった。ここから急峻な岩山を登っていく。昔からの山道(魚屋道)ではなく、登山のためにあえて開設された道だと思われる。六甲山は標高931メートルしかない。だが今日進んでいく芦屋川駅からのルートならば麓の平地から登るので、結構な運動となる。とにかく冒頭の岩山登りは六甲登山の醍醐味である。

≪ロックガーデンと大阪湾、2005.11.5≫
Vermouth & Gin 画
 

風吹岩までの道の眼下は断崖絶壁のロックガーデンである。その向こうには阪神間の市街と大阪湾が見える。このような山と街と海が隣接している風景は、世界のどこででも得られるものではない。もちろん地形も大事である。海の背後に山が迫る地形は湾内の入り江と並んで良港の条件だからだ。だが良港となりうる地形が本物の良港として栄えるためには、その地で土木と荷物の積み降ろしを行なえる労働力の調達の目途が立って、なおかつその港が後背地に良い市場を持っていてたやすく積荷を売りさばけることが必要だろう。その点で、日本・中国・朝鮮半島の沿岸には格好の良港となりうる土地がいくつもあった。この地にやって来た西洋人は、どうしてこんな良港を活用しないのだろうかといぶかしがったに違いない。そのうち自分で開発したくなった。政府に談判した。そして武力を使った。十九世紀の北東アジア史とはそのようなものであったのだろう。中国文明の影響なのだろうか、北東アジア人はどうも自分の国土を「内側」からしか見ようとしない傾向がある。「内側」から見る限り、神戸も横浜も香港も上海も青島も旅順も仁川も、大した価値を持たなかった。これらはいずれも、外側から見られてそのショックで成長した港湾都市だ。確かにおのれの国土がよそ者の視線でじろじろ見られたりするのは「ムカつく」感覚がする。だがそういった視線を無視しながらでもどういうわけか王国の運営をやっていけたのが、十九世紀までの北東アジアであった。おそらくその原因の一つは、この地域が温暖であって十分な食糧の自給ができたことに求められるだろう。なおかつもう一つの原因として、勝手気ままな土豪の割拠を押さえつけて中央集権を確保するような政治体制とイデオロギーづくりが早くから案出されていたことにも、求められるのではないだろうか。

≪風吹岩、2005.11.5≫
Vermouth & Gin 画
 

風吹岩に10時57分に到着。ロックガーデンを越えて風吹岩までの道が、六甲登山で一番楽しい。だが、これで三分の一を進んだにすぎない。まだ先は長い。風吹岩から一旦下って、平坦な道が続く。ゴルフコースを横切ってから再び登りとなり、標高621メートルの雨ヶ峠に至る。ここまでで三分の二。

この山はもともとはげ山だったという。戦国の頃から「御影石」で有名な花崗岩の切り出し地であったわけだが、そういえばこの山を称えた古典文学など思いつかない。つまり近代になるまでは、ここは美的価値などない殺風景な岩屏風と見られていたということだろうか。それを明治時代から昭和にかけて、植林事業が行なわれた。今からおおよそ百年前の明治二十九年(1902年)から植林は始められたと記録にはある。現在の六甲山の緑は結局近代の植林のたまものであるということだ。人の力は偉大ではないか。ただの不毛の岩山だった香港島も、植民地化が勤勉と能率を持ち込んだことによって今や結構な緑の島になっている。私は思う。近代資本主義のエネルギーと国土を緑に変える意志とはひょっとしたら同根のものなのかもしれない。あくなき利潤追求のために無限の技術革新と新市場開拓を追及する近代資本主義のエートスは、その裏返しではるか後世のために何ごとか公的な美徳をなすエートスを作り出せる素地をも提供できうるのかもしれない。両方とも、己個人のせまい世界の事情をこえた何ものかへの衝動の現れなのではないか。おそらく個人が金儲けして幸せを追求するごときのレベルで終始している資本主義は、しょせん大したことができないだろう。そして、そのようなエートスは、はげ山を緑の山に変えることもやはりできないだろう。

11時46分、雨ヶ峠を過ぎる。ここから先が実は一番厳しい。峠を若干下り住吉川上流の渓流を越えた後、山頂まで登り道が続く。「七曲り」と呼ばれている道だが、七十回は曲がっている。前回二十世紀に登ったときは、私はこの「七曲り」でバテた。夏の真っ最中で、フラフラとなってしまった。あまりにも風吹岩までの岩山で快調に飛ばしすぎたせいだ。夏の暑さに体力を奪われて、山道にしつらえられた段の一踏み一踏みが重かった。最後は上を向く気力もなくなりながら山頂前の一軒茶屋にたどり着き、そこでビールをジョッキ二杯一気に流し込んだのを覚えている。だから、私のように体力に自信のない人がこの山を登るときの注意点は、前半ハイテンションでうれしがって行き過ぎないこと、これに尽きる。

沿道に一本アカマツの木が孤立して立っていた。昔はこの木は都市近郊部のいたるところで見られたはずだ。おそらくこの六甲山中でも。だが明治以降農家が山で下草を取らないようになって山の土地がかえって肥えるようになり、やせ地を好むアカマツの居場所はだんだんなくなった。京都でも私が巡った限りでは、山科あたりでぽつぽつ見かけたぐらいだ。そういうわけでアカマツの下に生えるマツタケが貴重品となった。だがマツタケのためにわざわざ腐葉土を取り除いて、再びやせ山を作るのもどんなものかと思うが。

沿道には所々に嫁菜の群れ。薄。しかしセイタカアワダチソウなどもある。
秋に咲く嫁菜もまた「野菊」と言ってよいそうだ。うす紫色の控えめな花をところどころにわっと咲かせる。
この花は薊(あざみ)か?いや、田村草か。赤い花が、沿道にいっぱい咲いている。うーん、少し変な喩え方をするならば、「パンクヘアのような逆立った姿をした花」とでも言っておこうか。
ちっ、、、スズメバチだ。ちょうど今は巣づくりの季節だな。沿道に巣がないことを祈ろう。

「七曲り」を登りつめたら、一軒茶屋に着く。13時00分。結構長い道のりであった。芦屋川駅からの所要時間、三時間強。ゆっくりめに登ったからまあこんなものか。
山頂、、、は登りつめた所にある茶屋の、更に奥を十分ほど登ったところにある。
山頂付近はドライブウェーが通っているが、一軒茶屋以外にはめぼしいものはない。比叡山のように信仰の対象の山ではなかったからだ。だが人が多い。ここから西に行けば植物園や牧場などもあるのだが、今日はこのまま有馬まで下っていくことにする。

≪ロックガーデン、2005.11.5≫
Vermouth & Gin 画
 

下りの道は一気に駆け下るといった感じの一本道だ。降りた先に、有馬温泉がある。登山の後に本格的な温泉が控えているとは、まことに至れり尽せりの山だ。日本書紀にも記載がある温泉で、文化・文政時代には「有馬千軒」と言われる程にぎわったとか。温泉に人が集まるのに関しては、日本の古俗だと言えよう。芦屋・岡本から六甲山を隔てて有馬にまで至る地帯は、生活と楽しみとちょっとした雄大さが揃っている、ひうつの小宇宙といえないだろうか。芦屋や岡本などに住んでいれば、正月の早朝にフラリと朝日を見に六甲山に登ってしまいそうだ。もちろん手には徳利一本酒を差しながら。ただし、今日登ったロックガーデン上の岩山経由では少々荒行になるので、正規の魚屋道を進んで行くだろうが、、、

だが、本当のことを言うと残念ながら私には温泉につかる趣味がない。グルメにも強い関心がない私は、外国人を連れて日本をガイドするのには向かない人間だ。複数で連れ立って来たのなら話は別だが、今日は一人で来たので登山客お決まりのコースの金の泉・銀の泉めぐりも、素通りすることにしたのだった。この日は夜もまた快晴だった。京都に帰った夕刻には宵の明星が輝き、真夜中には宙天にこの秋再び大接近している火星の赤い一点を、マンションの窓からでも簡単に確認できた。
しかし、一夜明けた今日の朝は、雨である。



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