もし外国人にイングランドを見せたいと思うならば、おそらくいちばんよいのはパーベック・ヒルズの最先端に連れて行き、コーフの数マイル東の頂に立たせてみることだ。そうすれば、私たちの島が持つ地形の一つ一つが、まとめて足元に開けるだろう。下にはフルーム川の谷が広がり、ドーチェスターの方から続く荒野が金雀枝(えにしだ)で黒色と金色をなして、プール湾に花の色を映している。向こうにはスタウアー川の谷がある。この川は、ブランドフォードでは濁っているのにウィンボーンでは澄んでいる。何ともわけがわからない。スタウアー川は、肥沃な平原を下ってクライストチャーチ市の塔の下でエイヴォン川と合流している。このエイヴォン川の谷は見えない。だが、目のいい人なら、はるか北のほうで、川の周囲を守護なさっているクリアベリー・リングの遺跡は見えるかもしれない。想像力を働かせよう。そうすれば、ソルズベリー平原まで目に浮かぶかもしれない。さらに平原の向こうにある中部イングランドの素晴らしい丘陵までも目に浮かぶかもしれない。だが郊外人どもの手から免れているわけではない。ボーンマス保養地の品の悪い海岸が右手にちょっと見える。海岸を飾る松の木は、それがどんなに美しいものであったとしても、赤煉瓦の家や証券取引所の象徴であって、つまりはロンドンの門へと伸びていくのである。シティの道は何とまあ遠くにまで伸びるのだろう!しかしワイト島のフレッシュウォーターの街の断崖にまでは、それも決して伸びないだろう。イギリスは、世界の終焉までこの島の純粋さを守りぬくであろう。西から見渡せば、ワイト島はあらゆる美の法則を超越して美しい。それはまるで外国人を歓迎するためにイングランド前面に突き出て浮かべた、一片のかけらのようだ。我らの国の白亜の断崖がそこにある。われらの国の緑の芝生がそこにある。後ろに続いているものの縮図が、そこにあるのだ。そしてこの一片のかけらの後ろには、各国を迎える女主人たるサザンプトンの街がある。また火炎を普段は隠している、ポーツマスの軍港がある。島の周囲には潮の流れが二重三重に衝突しながら、海が渦巻いている。この眺めからは、なんと多くの村々が、なんと多くの城が、何という多くの廃れてしまった、あるいは今も勝ち誇っている教会が見えるのだろうか!なんと多くの船、なんと多くの鉄道、なんと多くの道路!澄んだ空の下で何の目的かは知らないが働いている、なんと信じられないほどに様々な人々!理性は、スウォネジ海岸に打ち寄せる波のように消え去ってしまう。一方想像力はふくらみ、広がり、深まり、ついには地理を形作って濃密なイングランドが描かれるのだ。
エドワード・モーガン・フォースター(Edward Morgan Forster,1879 - 1970)の小説『ハワーズ・エンド』 Howards End のこのくだりが好きだ。ブリテン島は本州よりやや小さい。だが地形は北部スコットランドの高地を除けばおおむね平坦で、環太平洋火山帯に属して峻厳な山がそびえる日本とはずいぶん様子が違う。大陸ヨーロッパのように大きな川があるわけでもなく、気候は高緯度でかつ暖流の流れる海に囲まれているため、暑くもなく寒くもない。東のスウェーデンの海は冬に凍ってしまうのに、イギリスの海は凍らない。ヒトラーがわざわざノルウェーを侵略したのは、ノルウェーのナルヴィク港を経由しなければスウェーデンの鉄鉱石を冬に輸入できないからだ。ノルウェー・デンマークはイギリスと北海を共有している。もともとアングロサクソン人はこの辺から北海を渡ってブリテン島に侵入し、ケルト人をウェールズに追い詰めて島のいちばんおいしい部分の支配者となった。島に住む動物はキツネとかヘッジホッグ(ハリネズミ)とかの呑気な奴らで、猛獣や毒蛇は(人間がわざわざ輸入した奴らは別として)どうやらあまり見かけない。まことにR. W. エマソンが「イギリスとはひとつの庭なのだ」と形容したとおりに、庭園のようにまとまった島世界である。
ドーセット州(イングランド南岸)の丘陵から、イングランドを半分は目で、半分は想像力で補って眺望する。そうすれば中部の丘陵(downs)まで目に浮かぶ。ボーンマスにまで、ロンドンの手先が伸びてきている、ワイト島(Wyte)は歴史とヨットの島だ。キング・チャールズ(今の皇太子じゃないぞ)が最後に追い詰められて、わけのわからん下克上の嵐の中で捕らえられた、いわくつきの島だ(1648、チャールズ1世、議会軍に敗れる)。ポーツマスはこの小説発表の頃(1910)まだ辛うじて世界最強だった英国海軍の根拠地だ。両大戦でも、装備に優る新興ドイツ海軍を経験の差で北海に封じ込めることをやってのけた。その名前を「超ド級」の形容詞で東洋人の俗語に残した大戦艦ドレッドノートがこの港から進水したのは、ほんの4年前ではないか(1906)。だがこの攻・防・速全てを備えた当時の常識を超える戦艦にとって結局唯一の華々しいエピソードといえば、作家バージニア・ウルフの友人たちが企んだ「ドレッドノートいたずら事件」(Dreadnought hoax)だった。まさに小説発表と同年の1910年、彼らは「アビシニア王子のご一行が艦隊を視察に来られるから、用意せよ。外務省」などというインチキ電報を海軍に送って、海軍はまんまとだまされてしまった。連中は顔を黒く塗ってロンドンから列車で悠々と艦隊停泊地のドーセット州ウェイマス港に乗り込んだ。互いにインチキな言葉(ラテン語だったとか)を使ってアビシニア王家だと白を切り通し、ついに英国旗艦ドレッドノートに乗り込んで海軍から歓待を受けたというバカ話。だまされるなよ。
イギリスというクニをブリテン島だけで見るのは本当は間違っていて、カナダとオーストラリア・ニュージーランドという巨大な弟たちと併せて風景を考えるべきだろう。多くのイギリス農民たちがこれらの土地に移り住んで、大農業国を打ち立てた。ブリテン島では農業はぱっとしないビジネスになってしまっているが、世界レベルで見れば今でもイギリスはやはり農業文化のクニなのである。世界中のどこに行っても彼らは本国の生活習慣を維持しようとする。個人レベルでクニの文化を持ち出すことができる、頑固で強固な伝統主義者である。日本はこの列島に入り込んだ人間をいつのまにか日本人にする力はあるが、外に出て行ったら日本人はいつのまにか消え去ってしまう。そのぐらい日本人はこの異常に多様な風土を内蔵した列島に適合しきっている民族なのだろう。良くも悪くも。
関西出身の私などは、群馬県に行ってだだっ広い関東平野に立ったら、自分の出身地とは異質のものを感じてしまう。鹿児島県に行って火山が作った異様な風景を見たら、全くの異国である。秋の長野県に行って周囲の全山が紅葉で埋め尽くされる風景を見たら、美しいと感じる以前に原色に囲まれる恐怖を感じてしまった。いったいどれが日本なのだろうか?まことにこの列島は一つの「天下」だ。フォースターがイングランドの縮図として示したパーベック・ヒルズなど、この日本のクニのどこにも見つけられはしまい。日本のクニの自己イメージが多様であり、かつ外国人にうまく説明できないで混乱しているのも、しごく当然の結果ではないか。
≪ 今回のイチオシ ≫ マイク・オールドフィールド『オマドーン』 |

『チュブラー・ベルズ』(1973)の予想外の大ヒットで、マイク・オールドフィールドはかえって戸惑ったという。完全なインスト作品で、当時のロックシーンの流れと特に交渉もなく自己流で出したアルバムが、映画『エクソシスト』の音楽として使われた結果旋風を巻き起こしてしまった。一躍プログレッシヴ・ロックの星となったのである。次作『ハージェスト・リッジ』制作後に彼はノイローゼ状態となったという。その混乱から立ち直って、元々の彼のルーツであったトラッドミュージックに再び正面から取り組んだ作品が、『オマドーン』(1975)であった。タイトルの"Ommadawn"とは、アイルランド語の「馬鹿」をもじったものだという。
曲はクレジットでは第一部・第二部の二曲構成となっているが、実際は第二部が二つに分かれていて、三曲である。第二部の後半ははっきりとヴォーカルが入る"On horseback"という独立した曲だ(シングルカットされた)。第一部の末尾にもケルト語もどきの女性ヴォーカルが入っていて、第一作『チューブラー・ベルズ』よりもヴォーカル指向の強い作品となっている。
実に多くの楽器をオールドフィールド一人で演奏している。クレジットには、「ハープ、エレキギター、アコースティックベース、エレキベース、アコースティックギター、12弦ギター、クラッシクギター、マンドリン、ボドラン、バズーキ、バンジョー、スピネット、グランドピアノ、エレキオルガン、シンセサイザー、グロッケンシュピール、パーカッション」とある。しかし今回は外部のミュージシャンも多く参加している。リコーダー、バグパイプ、パンパイプといったトラディショナルな響きが重ねられている。これらは本作品のテーマであるイングランドの故郷を表現するものだ。一方でアフリカンドラムが取り入れられていて、ワールドミュージックのはしりともなるアルバムであった。
『チュブラー・ベルズ』の緊張した進行とは違って、『オマドーン』はリコーダー、バグパイプ、バンジョーなどがのびやかに演奏される爽やかなアルバムだ。オールドフィールドが自らのルーツを探っていくうちに見い出したイングランドの風景が、そこに描かれている。