本当はこのコーナー、21回で終わりにするつもりだった(21は私のサイトネームの"鈴元仁"の画数で、しかも私の本名の画数でもあったりする。サイトネームと本名の画数が一致したのは偶然)が、ネタが尽きるまでとりあえず続けようと思う。あんまり読者はいないんだけれどね。
今回は著作権的に微妙かもしれない。歌詞の引用はどこまでやっていいのか、JASRACの説明を読んでもルールがはっきりわからない。
1990年だっただろうか、(今や)”サー”(Sir)のポール・マッカートニー氏が日本で初めて公演を行ったときのことだ。
実は1980年にも来日したのだが、マリファナ所持で捕まって公演は取りやめだった。もっともその当時のことはよく知らない。
当時私は東京に住んでいて、一友人から東京ドーム公演のチケットを分けてもらった。彼はポールの大ファンで、「彼女と二人分で」チケットを買ったが人には言えないもろもろの事情で取りやめになり、しょうがないから気乗りはしないが同じビートルズ好きの私に声を掛けた次第。
大きなお世話だ!バーロー、誰が行くか!
などとは一向に考えずに、いそいそとドームに付いていったヘタレの私であった。
私は基本的にコンサートとかライブに行く趣味がないインドアリスナーなのだが、元ビートルズのポールならば話は別だ。どっちかといえばジョン・レノンのほうがちょっとだけ好きなのだが、死んじまったから見ようがない。それに解散後の作品の出来についていえば、異論はあるだろうが尻上がりでポールの圧勝だと思っている。この日本ライブの直前にもニューアルバム『フラワーズ・イン・ザ・ダート』をリリースしてUKチャートで好成績を出したぐらいだ。ということで自分としては異例のライブ観賞だった。
ステージに上がったのは、、確かにポール・マッカトニーだった。その記念すべき日本ツアー1曲目は!
― "Figure of Eight"!
、、、何それ。
観客の反応が明らかに肩透かしをくらった脱力感に満ち溢れていた。
その後も、
― "That Days Are Done"。
― "This One"。
― "My Brave Face"。
要は、『フラワーズ・イン・ザ・ダート』の中の新曲だったんだよね。これがやたらと多かったのを覚えている(記憶に頼って描いているので、上記の曲目には異同があるかもしれません)。
もちろん、おなじみのレパートリーもやっていた。「Fool on the Hill」とか、「Live and Let Die」とか、いろいろ。
でも、私は正直言ってポールを生で一瞬見ただけでお腹いっぱいで、「生で聞いてよかった!」と思わせるほどの大したボーカリストでも演奏家でもない彼の公演は、あまり印象に残っていない。やはりポール・マッカトニーは、スタジオ録音をヲタク的に根掘り葉掘り詮索しながら聞くのがいちばん面白いミュージシャンなんだなあ、というのが今になって当時を回想して思うことだ。
で、ポール・マッカトニーなのだが、彼の真面目(しんめんぼく)は、真面目(まじめ)なのかふざけているのかよう分からんところだと私は思う。
だって、同じ人が 「Pipes of Peace」(1984)で
Help them to learn
Songs of joy instead of burn baby burn
Let us show how to play the pipes piece, play the pipes of peace
彼らに習わせるようにしなけりゃ
子供たちを焼くかわりに喜びの歌を
平和の笛の演奏のしかたを、僕らが彼らに見せるんだ、、、
と歌っておきながら、「Live and Let Die」(1973)では
You used to say "Live and let live"
But if this ever-changing worlrd which you live in makes you give in and cry
Say "Live and let die" !
お前も昔は『生きるってことは他人を生かすこと』と言っていた
だがこのめまぐるしく変わる世の中に生きる悲しさ、嘆きながら世の掟に従うならば
おまえはこう言う、『生きるためには、奴らを殺せ!』」
と歌うんだからね。(この二曲、ベストアルバム「オール・ザ・ベスト!」(1988)では連続して収録されている。ふざけすぎ)
ビートルズ時代の名曲「Get Back」(1969)が当時のウーマンリブ革命をチャカしただけの曲だというのは、本当にトホホではないか。
日本ではあれをビートルズを離れようとするジョンに対するポールへの呼びかけの曲だ、なんて浪花節的な解釈が大真面目でまかり通っていたものなんだが、、、
そういや、歌詞はこうなってるよな。
Sweet Loretta Martin thought she was a woman
but she was another man
All the girls around her say she's got it coming
But she gets it while she can
Get back, get back, get back to where once belong.
スウィートなロレッタ・マーティンは自分のこと女だと思ってたけど、
その正体は別種の男だった
彼女のまわりの女たちは当然のむくいだって言うけれど、
彼女はいけるところまでやるつもりだ
おい、元いたところに戻れよ!
(ひょっとしたら心が女の殿方のことを言っているのかもしれない。まあ、どうせ大して深い意味はないだろうが)
「Get Back」の歌詞の面白さは、"get back to where once belong"の意味のぶれを利用して一番と二番で同一フレーズで違う意味を持たせていることだ。つまり、一番では単に「自分のいたところ(故郷)へ帰れ」と言う意味で、二番では「自分のいたところ(社会的な所属)へ帰れ」という意味となる。関係副詞"where"と動詞"belong to"の日本語では訳せない意味のひろがりを利用した、落語みたいな歌詞だ。
『オブ・ラ・ディ・オブ・ラ・ダ』なんかでも歌詞で変なことをしてる。
ユッス・ンドゥールのカヴァーがCMに使われたりして誰でもどこかで聞いたことがあるだろう有名曲だが、
(1番のフレーズ)
Happy ever after in the market place
Desmond lets the children lend a hand
Molly stays at home and does her pretty face
And in the evening
She still sings it with the band
その後、市場はいつも幸せでした
デズモンドは子供たちに店を手伝わせ
モリーは家にいてお化粧に精を出し
夜には、今でもバンドと歌っています
市場の商人デズモンドと歌うたいのモリーとの何てことはないハッピーラブストーリーなんだが、
(2番のフレーズ)
Happy ever after in the market place
Molly lets the children lend a hand
その後、市場はいつも幸せでした
モリーは子供たちに店を手伝わせ
やはり夫婦は一体、モリーだってデズモンドの店のきりもりをします。
Desmond stays at home and does his pretty face
And in the evening she's a singer with the band
デズモンドは家にいてお化粧に精を出し
夜には、彼女はバンドと歌っています
って、夫婦だからってデズモンドまで嫁の代役するのかよ!化粧して"she"になりきって!いやはや、見上げた夫婦じゃないか。
そうかと思えば、私が後で気付いてギョッと戦慄したこともある。
ビートルズのアルバム『Revolver』(1966)収録の名バラード「Here, There and Everywhere」なんだが、このバックボーカルはジョン・レノンとジョージ・ハリソンのはずだ。だがそれを失念していた。失念しながら聞いていた。だって日本でCMのBGMにもなったこの曲の雰囲気は、まさにバート・バカラックかそこらのアダルトソングではないか。よくここまで畑違いのジャンルの雰囲気を出せるものだ。アルバムの直前の曲はジョージのインド趣味の曲「Love you to」で、その前の曲がジョンの「I'm only sleeping」。これはなまけたいサボリたい心をいちはやく曲にした画期的ヘタレソングで、逆回転を使ったサイケ調。後に続く曲はずいぶんわかりすいオモチャ箱ソング「Yellow submarine」。まるで方向性が違うのにどれも完璧にハマっている。本当にこの頃の連中は何でもできたんだなあ、と気付いて唸ってしまった。まあ、これらはビートルズの面々の共同作業であるが。
そしてポールの演奏は、バッハでもあった。
いきなり何なんだ、と思うだろうが、それはアルバム『The BEATLES』(1968,よく「ホワイトアルバム」と呼ばれる)収録の「Dear Prudence」のことだ。そのベースラインは、かくのごとし。

A#はすなわちB♭と同じであり、ドイツ式の表記ではB♭のコードは「B」となり、Bのコードは「H」と書かれる。だから、このフレーズにはB、A、C、H(ドイツ語読みで「バッハ」)が隠れているのだ。いちばん後ろのA#すなわちB♭からはじめて前に戻ればよい。B→A→C→Hの順番で並べたコード進行は「BACH主題」といわれて、ヨハン・ゼバスチァン・バッハ(1685-1750)が最後の作品『フーガの技法』("Die Kunst der Fuge")で自家の誇りをひそかに表すために用いたことで有名だ。その後も多くの作曲家がバッハへのオマージュの意味で用いたという。ポールもしかり。えっ?それはないだろうって?そうだろうな。この曲ではポールはドラムまで叩いている。チャック近藤の『ビートルズサウンズ大研究』(シンコーミュージック、1996)によると、リンゴ・スターがスタジオで6時間も待っていたのに他のメンバーが現れず、怒って帰ってしまった。なのに気にせずしばらく正式のドラマーなしで録音をした結果だという。ひどい話だ。こんなふうにやろうと思えばたいていのことは自分らでできてしまう程器用な連中だったから、逆にこれでは風通しが悪いとこのアルバムの頃から外部のミュージシャンを積極的にレコーディングに呼び込むようになったのだろう。エリック・クラプトン、ニッキー・ホプキンス、ビリー・プレストンなど。
前述の『ビートルズサウンズ大研究』(こんな詳細な本があるのは日本だけではないか?)にはポールのベース演奏のすごさの例があますところなく紹介されている。ビートルズサウンズはポールの「メロディー・ベース」のせいで主部とは別のメロディーが背後で並行して演奏されているようになっている。これを音楽用語で「ポリフォニー」(polyphony)という。ポリフォニーはバロック音楽の時代に栄えた様式で、バッハはその大家であった。そしてロックミュージックでポリフォニーの大家といえば、ポール・マッカトニー(ベース)と、ジョン・ボーナム(ドラム、レッド・ツェッペリン)の二人だろう。この二人の演奏は、本来バッキングプレイのはずなのにそれ自体についつい注目が行ってしまう。いわば曲の中に曲が入れ子になっているというか、むしろこっちがメインの演奏なのかもしれないと錯覚させてしまう奔放さがある。ジョージ・ハリスンもリンゴ・スターも確かに優秀には違いないが、ビートルズが他に比べて卓越しているのは、ポールの「メロディー・ベース」と(初期)ジョン・レノンの神がかり的なボーカルに尽きると思うんだが、まあこれも人に言わせれば異論がありすぎるほどにあるんだろうなあ。
≪ 今回のイチオシ ≫ ポール・マッカートニー『フラワーズ・イン・ザ・ダート』
"Flowers in the dirt" by Paul McCartney
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1.My Brave Face
2.Love Ride
3.You Want Her Too *エルヴィス・コステロと共演
4.Distraction
5.She's got Married
6.Put It There
7.Figure of Eight
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8.This One
9.Don't Be Careless Love
10.That Days Are Done
11.How Many People
12.Motor Love
13.Ou Est le Soreil
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というわけでポールの来日公演当時の新作なのだが、このアルバムは、マイナーながら結構いいんですよ。
個人的にはウイングス時代の傑作といわれている作品よりも好みだ。
取り立てて有名な曲があるわけでもないが、四十代半ばのポールが余裕綽々で曲作りをしている。「My Brave Face」や「She's got Married」などのいつものポップなポール調から「Put It There」のこれもいつものアコースティック・チューン。「Motor Love」のアルバム終盤にお約束のバラード、「How Many People」の昔とったきねづか式のレゲエ調。マンネリといえばそれまでだが、幅の広いマンネリだから小規模なベストアルバムを聴いている気にさせる。だが、さすがにこの年ではシャウトものは入っていないが。
今回のパートナーはエルヴィス・コステロ。「You Want Her Too」1曲だけのデュエットだが、これがまたいい。実は私は当時コステロのファンだったんで、彼が参加しているからこのポールのアルバムを取り上げたのが聴いたきっかけだ。アルバム「King of America」(1986)を経て「Blood & Chocolate」(1986)、「Spike」(1989)、「Mighty Like a Rose」(1991)と立て続けに傑作を出し続けたコステロの全盛時だった。ひねくれたボーカルが、何と心地よいのか。スティーヴィー・ワンダー、マイケル・ジャクソンとアルバムごとにパートナーを変えた80年代のポールだが、コステロはいちばんジョン・レノンに近づいたパートナーだったと、個人的には、思う。
70年代、ウイングス時代のポールもまた確かに悪くない。だがどうしても「これがビートルズサウンドだったら、、」と想像して残念になってしまう。「Jet」とか「Band on the Run」とかビートルズ時代そのまんまで、ジョンとジョージのコーラスがサビに付いていたならばどれだけよかっただろうか、ジョンの妙な茶々が合間に入っていたらば、どれだけ笑えただろうかなどと、、。これは、不幸な聴き方だ。
80年代に入ると、ポールはもはや時代の流れにいちいち自分を適合させずに、時々の旬なミュージシャンと組んで自分の曲を作る「御大」流のものとなったが、かえってこの頃の方がのびのびとして耳に心地よい。まあパンクやテクノはポールに似合うはずもないのだが。そういえば(確か)1985年の「ライブ・エイド」でポールが「Let It Be」を演奏したことがあったっけ。ポリスのスティングがその後でやたらと怒っていた。「アフリカを救おうという呼びかけのコンサートで、"Let it be"(放っとけ!)とはふざけるな!」って。まあこの辺がポールのタチの悪いジョークなんだろうな。
そんな80年代ポールの最後を飾るのが、この「フラワーズ・イン・ザ・ダート」だ。ビートルズ解散後のジョン・レノンについては、『John Lennon / Plastic Ono Band』(邦題/「ジョンの魂」)が文句なしかつ唯一の傑作だと断言する(ためらいもなく)が、ポールについてはやや屈折した思いではあるが、このささやかなアルバムを個人的にイチオシしたい。