午後は、山を越して南シナ海を見に行くことにする。
銅鑼灣から6番のシティバスに乗って、黄泥涌峡(Wong Nai Chung Gap)まで。
それにしても、ありとあらゆる土地がすきまなく開発されているものだ。
言い忘れたが、昼食はマクドのテイクアウトで済ましました。時間がもったいないんで。
黄泥涌峡でバスを降りたら、そこから向こうは大潭郊野公園(Tai Tam Country Park)。
外務省ホームページの情報によると、最近香港各地の郊野公園には盗賊が出没して旅行者から金品を奪うケースが発生しているということだが、、、まあ山中深く入るわけではなし、大丈夫だろう。それに、こんな丈低い木ばかりの山々では、大規模な山賊のアジトなどとうてい築けそうにない。たぶん大陸からの流入者あたりの散発的活動だろう。
この花はバウヒニア(Bauhinia blakaena、たぶん)。香港特別行政区旗の中にデザインされている。香港ドルのコインの裏側にも彫り込まれている。
さすが香港のシンボルだけあって、この花はいたるところに植えられている。
向こうに、よく見知った形の雌しべを付けた白い花を咲かせた木が植えられていた。
― ナツツバキ(沙羅)じゃないか? ― その時はそう思った。
だが、これも帰国して調べてみたら、どうやらあれは香港固有種のグランサムツバキ(Camellia granthamiana)だったのかもしれない。
このツバキは10月から12月にかけて咲くので、ちょうど時期が合っている。
香港島にはまともな川がほとんどない。新界も目ぼしい河川があるわけではなく、こうやって乏しい水資源をかき集めた貯水池が頼りだ。
香港政府のサイトの説明によれば、この大潭地区の貯水池(大潭上水塘、大潭副水塘、大潭中水塘、大潭篤水塘)は、最も早いものは西暦1889年に建設された。(大潭上水塘。以後、大潭副水塘1904年、大潭中水塘1907年、大潭篤水塘1917年)
現在はここだけでなくて、香港各地に貯水池が建設されているが、それでもしばしば渇水に悩まされるという。川に頼らずに700万人の大人口の水を確保するのは、これは大変なことだ。もしイギリスがこうして人工の池を掘り込まなければ、やはりこのあたりは不毛の寒村であっただろう。もちろん慈善事業で彼らがやったわけではないが、、、
実は日本も台湾で水利事業をやった人がいた。金沢産まれの土木技術者、八田與一だ(西暦1886〜1942)。彼のことは司馬遼太郎の『街道をゆく40―台湾紀行』にくわしい。先日(2004年末)台湾の李登輝元総統が来日して、彼の墓に参るためにわざわざ金沢に行った。
だがこういった生活の基礎を築く事業は、結局後の世の人にとっては空気のような存在となってしまう運命にあるのであって、多くの人は知ることがないし、また知る必要はないのかもしれない。
今この大潭郊野公園の辺りはバーベキューキャンプ場になっていて、ジョギングする学生たちや遠足か何かに来た小学生でにぎわっていた。小学生たちは血色のよさも服の小ぎれいさも日本人の子供と全く変わらず、ただ友達同士で掛け合っている言葉が私にとって聞き慣れないだけだ。
それにしても、これだけ結構なレクリエーションゾーンであるのに、日本のこういった地では必ず見かけるペラペラの作りの屋台や林立する自販機といったたぐいのものがどこにも全然ない。もちろん規制されているのであろうが、日本人だったら役所にねじこんでこんな規制こそ瞬時にとっぱらってしまうのが地方行政のいつもの姿であるが、この地の行政は(今のところ)超然としているようだ。
しょせん元植民地だからと言ってしまえばそれまでだが、アジアの真ん中でこのようなニートな公園を拝めるなんて、イギリスのちょっとした置き土産ではないか?