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2007年06月 アーカイブ

2007年06月01日

毛球寶兒07/06/01

好像有道理又怪怪的推論...<2>←漫畫(まんが)ページへ


ははは。しかし、この推論は間違いだろう。コンゴウインコは知能が高いぞ。確かに、目が正面に付いている哺乳類は、両目で対象を見つめて遠近感をキャッチすることによって、素早く適確な行動を行なえるように進化していった。目が両脇についている魚類、両生類、爬虫類、鳥類は、周囲を広く見渡せる利点がある。始終敵や獲物を警戒するために取られた、生物の戦略だ。しかし哺乳類はそれよりも、目的を絞って計画的に行動する戦略を選んだ。結果的にそれが脳を発達させて、知能を向上させていったのであるが、、、



(以下、今回の訳を日本文でお届けします、、、)

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2007年06月02日

OL蔡桃桂2007/06/01

便當←漫畫(まんが)ページへ

はははは。旗だけ替えて各国弁当か。義大利(イタリア)便當ぐらいは、工夫すれば作れそうであるが。真ん中の白はただのご飯で、右の赤は紅しょうがを散らして左の緑はグリーンチリペッパー。日本便當は、もっと簡単。ご飯の上に、梅干し一個置く、、、そりゃ、日の丸弁当だよ。

2007年06月04日

毛球寶兒07/06/04

番外篇‧基測後的課本對話←漫畫(まんが)ページへ

基測(基本學力測驗、台湾の高校入試に相当)が終わった後に課本(教科書)が捨てて顧みられなくなるのは、どこの国でも同じ現象であるなあ。国文の課本の嘆きの言葉、「飛鳥尽きて良弓蔵され、狡兔死して走狗烹らる」は、日本でもおなじみの故事成語。意味は、「目的を成し遂げるために役に立つものは、その目的が達成されたら捨てられる」というもの。歴史にはこのような例が数多い。源頼朝に捨てられた、義経。徳川家康に捨てられた、豊臣大名たち。清朝に捨てられた、呉三桂。アメリカに捨てられた、アフガンゲリラ。

上の言葉は、漢の功臣であるかの韓信の嘆きの言葉だ。彼は、むざんにも劉邦に捨てられた。私が今書いている物語は、このシーンまで行き着くのはまだまだ先のことだが、、、

2007年06月05日

OL蔡桃桂2007/06/05

奢侈←漫畫(まんが)ページへ

魚子醤(キャビア)に法國料理(フランス料理)に松露(トリュフ)、寿司に蟹、、、握り寿司というのは本当は魚を安く手軽に食べるための庶民料理だったのだが、もはや時代は変わって寿司はフランス料理と併称される高級料理に格付けられるようになってしまった。『ド根性ガエル』の寿司屋の梅さんがキャラになる時代は、遠くに去ったようだ。
蟹といえば、ロシアがタラバガニの原則禁輸措置を取ったために、現在価格が暴騰している。蟹も、マグロも、ウナギも全て、日常の食卓では上せられない高級品に変わろうとしている。ウナ丼を高級料理として有り難く食べるなんざあ、てんでサマにもならねえ。へっ。

2007年06月06日

毛球寶兒07/06/06

相當尷尬... ←漫畫(まんが)ページへ


Lin_Wang_and_Sun.jpg


林旺爺爺(リンワンイェイェ、意味は「林旺じいさん」)とは、波乱万丈の生涯を辿った、その生涯そのものが台湾史を象徴する老象であった。以下、英語版WIKIと中文版WIKIを参考にしながら、記事を紹介したい。


林旺(1917 - 2003.2.26)は、日中戦争時代に中國遠征軍(後述)のために働き、後に国民党勢力と共に台湾に移された、有名な象であった。林旺は、その生涯の大部分を台湾市立動物園で過ごし、疑いもなく台湾で最も人気のある動物であった。多くの大人や子供たちは、この勇猛な象のことを親しみを込めて「林旺爺爺」と呼んでいた。


1941年に日本が真珠湾を攻撃した後、37年から続いていた日中戦争はより大規模な太平洋戦争へと発展した。日本は、英国植民地のビルマ攻撃のために、進撃した。蒋介石総統は、中國遠征軍を孫立人将軍の指揮下に結成させて、ビルマ戦線での戦闘に従事させた。1943年にあった日本軍設営地での戦闘において、林旺は他の十二頭の象たちと共に、中国軍に接収された。これらの象たちは、日本軍によって物資の運搬と大砲の部品の牽引のために用いられていたのであった。連合軍もまた、これらの象たちを同様の仕事のために使用した。この時点において、林旺は「阿美」(アーメィ)という名前が付けられていた。


1945年、中國遠征軍は中国に召喚された。象たちは乗り手に伴われてビルマロードを通って行進していったが、六頭がその困難な道程で命を落とした。彼らが広東省に着いたとき、戦争は終結した。だが、象たちの軍隊での役務はこれで終わったわけではなかった。彼らは抗戰烈士紀念碑の建設に使役され、さらに1946年には馬戯団(サーカス)に加わって演戯をした。これは、湖南省での飢饉救援のための募金活動として行なわれたものであった。後に、うち四匹がそれぞれ北京、上海、南京、長沙の動物園に移送された。残った三匹の中に林旺が含まれていたが、彼らは、広州の公園に移された。


1947年、孫立人は台湾に派遣され、新しい部隊を訓練することとなった。彼は、三匹の象を共に連れて行った。しかし、一匹は病気で、台湾海峡を渡る船旅の途中で死んだ。残った二匹の象は、高雄の鳳山の軍事基地の周辺において、木材の運搬などの単純作業のために使役された。1951年、さらに一匹の象が死んだ。林旺は、ビルマ時代の十三匹の象の中で、唯一の生き残りとなった。


1952年、孫立人は林旺を圓山の台北市立動物園に寄贈することを決めた。この動物園において、林旺は彼の生涯の連れ添いの馬蘭(マァラン)と会うことになった。この頃林旺はいまだに「阿美」と呼ばれていたが、動物園側はこの名前は女性的すぎると考えた。そこで、彼の名前は「森林之王」の意を略して、「林王」(Lín Wáng)と改められることとなった。しかしながら、ある記者が彼の名前を聞き間違えて、その名前を林旺(Lín Wàng、すなわち声調が「林王」と違っている)として刊行してしまった。この名前は、結局定着することとなった。


林旺は、台湾で最も有名で人気のある動物となった。1983年には、動物園は初めて彼の六十六歳の誕生会を挙行した。それ以来、彼の誕生日は動物園において毎年十月の最終日曜日に祝われることとなり、多くの観衆が訪れるようになった。その中には、歴代の台北市長もいた。1986年、動物園は圓山から木柵に移動することとなった。このとき多数の台北市民たちが、通りに集まって動物たちが移動するのを見物した。とりわけ、林旺の「搬家」(バンジャ、引越し)は見ものであった。


2003年の初頭、林旺は左の後足に関節炎を患った。彼は食欲を失い始め、他の症状も併発することとなった。彼の容態は急速に悪化し、2月26日に、林旺は死んだ。


彼の追悼式は数週間続き、数多くの人が訪れて林旺のために花とカードを添えた。林旺は死後に台北市長の馬英九より台北市栄誉市民の称号を贈られた。陳水扁総統は、「給我們永遠的朋友,林旺」(我らの永遠の友人へ、林旺)のカードを添えて、献花を贈った。

日本軍と国民党との間に深い因縁を持ち、激動の台湾の戦後史半世紀を生き抜いてきた象であった。享年86歳の、偉大な生涯であった。


(以下、今回の訳を日本文でお届けします、、、)

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2007年06月08日

OL蔡桃桂2007/06/08

摸摸茶←漫畫(まんが)ページへ

「摸摸茶」(モーモーチャ)、、、または「摸摸茶店」、、、「摸摸」とは、ちょっとおさわりすること、、、要は、アレですな。子猫ちゃんをおさわりしながら、可愛がる喫茶店だな。わーイカガワしい。
少々絵の雰囲気が変わったと思ったら、擬音が手書きになったのだな。

毛球寶兒07/06/08

小隊長的菜←漫畫(まんが)ページへ


孤島篇から、もう一年近く経っているんだな。それで、ようやく初デート中。アメリカではセレブが彼氏との実演ビデオを流出されても平気で居直るほどの時代だが、こちらは何とものどかなもんだ。まだまだこの二人は亀のペースで続くのであろう。それにしても、最近植物たちがとんとご無沙汰してしまっているな?



(以下、今回の訳を日本文でお届けします、、、)

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2007年06月11日

毛球寶兒07/06/11

番外篇‧你煩我也煩.... ←漫畫(まんが)ページへ

台湾は一頃の空梅雨から一転して、豪雨に見舞われている。被害は、すでに各地で拡大している。この梅雨前線が北上すれば、これから先日本や韓国も豪雨となるかもしれない。梅雨の雨は、豪雨となる時代が来てしまったのであろうか。

2007年06月13日

OL蔡桃桂2007/06/13

疑問←漫畫(まんが)ページへ

背丈も服装も全く同じで、しかも同棲までしているのに、蔡桃桂は竇輔の正体に気付かない。これほどまでに気付かないのは、逆に超能力かもしれない。気付きたくないという気持ちは、分からんでもないが、、、

有機豆腐といっても、有機水銀を添加している豆腐のことではない、、、当たり前か。大陸中国からは、戦慄すべき食の汚染の実態が次々に報告されているが、あれは法の適用が生ぬるい結果であろう。省とか市の政府が一部を除いて衛生政策に熱心でないために、多くが野放しとなっている。数百万から数千万の人口を抱える巨大な地方政府でありながら、どれだけの量と質のスタッフを揃えられているのであろうか?非常に、心配である。

毛球寶兒07/06/13

夜行館的心跳瞬間!←漫畫(まんが)ページへ


君に触れれば心の中はハッピー。その感覚はとても、隠せない、隠せない、隠せない。"Komm,gib mir deine Hand"の世界ですなあ。あるいは知り合った日から半年過ぎても、あなたって手も握れない、、、『赤いスイートピー』の世界というべきであろうか。揺れる思いの二人の行方は、いかに?まあ、このままスンナリとYou're born to be my babyとなるまでは、いかないだろうなあ。



(以下、今回の訳を日本文でお届けします、、、)

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2007年06月15日

OL蔡桃桂2007/06/15

救生員←漫畫(まんが)ページへ

ん?このキャラは?、、、RIVER'S543にも出ているな。新キャラなのか。「敗家救生員」だから、いたいけな市民を敗家(破産)から救うライフセーバーというわけであるな。しかし、溺れる者と道連れに、二次災害となるのであった、、、

「女僕」(ヌープー)、、、女の下僕か。見事な漢語だな。日本語では、当然「冥途」。本来の日本語である「女中」は、どういうわけか差別語として指定されているようだ。

2007年06月19日

水神 - 白川

今日は、旧暦の端午の節句。中国文化圏では、詩人の屈原の霊を祭るための日として祝われる。屈原は戦国楚国の貴族であったが、王にその献策が容れられず疎まれ、多くの憂憤の賦(ふ)を書いた。やがて楚は秦に敗れて王は捕われ、彼はついに政治に絶望して汨羅(べきら)の淵に身を投げて死んだという。端午の節句は、川に沈んだ屈原の霊を慰めるために、水上での祭りが行なわれる。彼の故国の楚は長江流域で、日本と同じ季節に梅雨前線の影響を受けて雨が降る。屈原の祭りは水の祭りであり、雨の祭りでもある。


P6030008.JPG


さて、しかしながら今年の日本の梅雨は、どこに行ったのであろうか。紫陽花の花はいたるところで花盛りであるが、雨は時々季節を思い出したようにしか降ることがない。これからようやく梅雨も本格化するであろうという天気予報はあるものの、もし予想が外れれば今夏は水不足だ。台風も困るが、水不足も頭の痛い話だ。
祇園・白川沿いも、紫陽花やガクアジサイの花盛り。紫陽花の花が観賞されるようになったのは実に明治以降のことであって、それ以前は厠(かわや)のそばの花として忌み嫌われていた歴史があった。彩りの少ない梅雨時を飾る水色の花は、今や押しも押されぬ六月の花。

2007年06月23日

毛球寶兒07/06/23

真害羞的句點... ←漫畫(まんが)ページへ


ということで、小学生ステージでおしまい。結局、毛球寶兒の出番はなかった。これから後は、主角(主役)として出番を回復するであろうか?



(以下、今回の訳を日本文でお届けします、、、)

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2007年06月28日

毛球寶兒07/06/28

番外篇‧正義的一方要守法不要迷信喔 ←漫畫(まんが)ページへ

トランスフォーマー(漢名:變形金剛)って、今さらながらに調べてみると、タカラのミクロマンシリーズから発展継承されたものであるとか。ある世代の男子にとっては、ミクロマンはメカモと並んでどうしても欲しくてたまらない玩具売り場の魅惑の商品であった。ガンプラと並んで、まことに息の長い商品だ。いつの間にかGIジョーなどと片を並べるほどに、世界の定番おもちゃに列を並べるようになってしまった。


「四」(sì)が死(sï)を連想させて嫌われるのは、漢語文化圏でも同じ。ただし日本では「九」(く)も「苦」(く)に通じるから嫌われるが、漢語文化圏では発音が異なるため嫌われることがない。

OL蔡桃桂2007/06/28

阿嬤的智慧←漫畫(まんが)ページへ

しゃっくりは、柿のへたを煎じて飲めばよいのだよ。水を飲んで、しばらく息を止めるのもよい。鼻をこよりで刺激して、くしゃみを出すのもよい。胡椒を使うのは、目を刺激するから薦められない。しかし今回の話中の方法は、知らなかった。ビニール袋の中で呼吸を続けて、吸気の二酸化炭素が増えると直る。横隔膜に刺激を与えるためには、これも有効な方法であるというわけか。

2007年06月30日

OL蔡桃桂2007/06/30

公仔←漫畫(まんが)ページへ

残念ながら今回のオチは、、、よくわからない。「公仔公仔」とは、何かの擬態語なのであろうか?

羅伯斯の主張も、よくわからない。公仔(人形、この場合はフィギュア)をおおっぴらに愛玩するのが変だと課長に指摘されて、「なんでわからない?」と真剣に言い返すのは、、、変だ。わからねーよ、普通の人には。フィギュアの愛玩は、マージナルなヲタク趣味としてならよいが、一般人に理解してもらおうなどと思うなよ。はっきり言うが、あれはアニメなどよりももっとストレートな、変態すれすれの趣味なのであるから。カルトの教義を一般人にわからせようとするのと、同じようなものですよ。わからないほうが、正しい。それで憤るのは、ヲタクの風上にもおけねえ。そんな変態趣味をさも世界に誇れる日本文化であるかのように持ち上げる、最近の大新聞どもも根性が腐れ果てている。あるいは、何もわかっていない。

- ヲタク道とは、犯すことと見つけたり。(『葉隠』)

なんてね。

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