毛球寶兒2006/12/01
兩個人都該打!←漫畫(まんが)ページへ
うはははは。そういうわけか。そういうわけだよなあ。愛莉森、思わず久しぶりのスーパーサイヤ人に!
今回の訳のタイトルは、なんなんだろうか、、、?オールナイトニッポン?
(以下、今回の訳を日本文でお届けします、、、)
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兩個人都該打!←漫畫(まんが)ページへ
うはははは。そういうわけか。そういうわけだよなあ。愛莉森、思わず久しぶりのスーパーサイヤ人に!
今回の訳のタイトルは、なんなんだろうか、、、?オールナイトニッポン?
(以下、今回の訳を日本文でお届けします、、、)
冬の到来にあわせて、背景色を「枯色」に。
今は現在の新暦ならば十二月、年の瀬を迎えてこれからにぎやかになる季節。
しかし旧暦で言えば、まだ十月半ば。新年の梅の季節からも遠く、草木も枯れて一年で最も陰鬱な時期だ。
今日の「やさしいビジネス英語」(杉田敏/クリス・松下、NHKラジオ第二でPM11:15~11:30)のフレーズから、印象に残ったもの。
歸屬感←漫畫(まんが)ページへ
豪華なお部屋!明るい室内!壁にテレビが作りつけ!そしてN・S・M三社のゲーム機ももれなくプレゼント!というわけで、直ちに帰属感を得る蔡桃桂であった。
次世代ゲーム機戦争では、Nが現在世界中で大きくリードしているようだな。Sは巻き返しのために赤字覚悟の販売をしている。もしこれで失敗して、さらにDVDの次世代規格でも敗れたら、いよいよ悩める巨象はおかしい。たとえホラとはいえ、堀江が買収しようと考えたというのは、視点としてはよい。
壁にかけられている絵には、菜頭粿(大根餅)が。台湾の屋台で食べてみたのは、はっきり言って安かろうまずかろうだったな、、、大根の食感など全くありゃしない。みそはビンに入った豆板醤そのまんま。丁寧に作れば、もっと美味しい点心なのだが。
今日の「やさしいビジネス英語」(杉田敏/クリス・松下、NHKラジオ第二でPM11:15~11:30)のフレーズから、印象に残ったもの。
番外篇‧比上不足←漫畫(まんが)ページへ
ポスターの「凍蒜!」(ドンシュアン!)というのは別に凍ったニンニクのことではなくて、「当選!」をふざけて書き換えたもじりだ。先の総統選で流行った用語らしい。支持者(と、たぶんサクラたち)が声を合わせて「当選!当選!」と叫んでヨイショ合戦をする。日本では立候補者が絶叫して有権者は知らんぷりな風景がふつうだが、台湾のデモクラシーはむしろアメリカっぽい。
ところで、大陸では香取慎吾主演の映画『西遊記』が原作を侮辱していると言ってブロガーたちが大憤激しているとか(記事)。一番彼らを怒らせているのは、三蔵法師を女性が演じているところが中国文化への挑発に解釈されているようだ。まあ彼らが怒るのは、わからなくもない。しかし、それで日本の作り手書き手の側が現地に理解されるように気を使う必要は、特にないと考える。
たとえば『ドン・キホーテ』のミュージカルやドラマの脚本に対してスペイン人が「スペイン社会の実情から外れている!」と言って憤激するのは、理解できることだ。しかし、『ドン・キホーテ』は民族を超えた古典だからこそ、色々な解釈が付け加えられて当然の運命にある作品なのだ。優れたエンターテイメント小説であり人類共有の古典である『西遊記』もまた、同じことだ。日本流の『西遊記』の解釈がよりエンターテイメントとして優れているならば、それは生き残っていくはずだろう。留保しておかなければならない点は、宗教的な崇敬の対象に対してパロディ化したり奇抜な解釈をすることは、他文化の者としても一定は控えなければならない重大な侮辱となりうる。しかし、『西遊記』はそれに当たるであろうか。判断の問題、線引きの問題であるが、私は『ドン・キホーテ』と同様それに当たらない、自由な解釈が許されてよい文学作品だと考える。裏返して日本の例で言えば、外国の作り手が『源氏物語』をエロ小説としてポルノ的に脚色したり(実際あれはエロ小説だ)しても、それは許されなくてはならない。
私も古代中国の歴史小説を書こうと準備している最中だが、原作の国での歴史上の人物たちの評価などは無視して書くつもりだ。歴史についても現代史は別として、他文化の者による批判的な解釈は許されるものだと判断する。
同居人←漫畫(まんが)ページへ
蔡桃桂と竇輔、同じ棟のマンションの中でますます親密な近所づきあいを、、、と思ったら、やっぱりダメだった。女友達を二人の近所に乱入させるのは、ラブ米で話を引き伸ばすための定石。帰ってきた張瑜梢は、まさか小馬と共に移り住むのだろうか?
「莎呦那啦」は当然「サヨナラ」のこと。しかしこの言葉、当の日本人ですら語源を知らずに使っている。語源は「左様(さよう)なら」すなわち現代語で言えば「それならば」であって、「左様ならば、お暇(いとま)致します」というニュアンスが背後に隠されている。すなわち「さよなら!」は、くだけた別れ言葉の「それじゃ!」「それでは!」「そんじゃね!」と、似た意味の言葉なのだ。
番外篇‧比下有餘←漫畫(まんが)ページへ
捕蝿紙(ハエ捕り紙)なんて、今やすっかり見かけなくなったな、、、ずーっと昔には、商店街の魚屋などで吊るされていたのを見かけたこともあったが。夏の蚊帳(かや)も、部屋に吊るしたハエ捕り紙も、冬の火鉢も、もはやイメージできる人すら少数派になろうとしている。だがこれらは明らかにもっと便利なものが出現しているのだから、別に懐かしがって復活させる意義も大してないのであるが。しかし正月の餅つきぐらいは、もう少しご近所レベルで再び盛んにしたほうが、正月らしくてよいのではなかろうか?日本のクリスマスは、西洋と違って宗教的な裏づけがないためにカップルや核家族のお祝い中心にならざるをえない。コミュニティーを挙げて年末年始を祝う機会が、今の日本には少なすぎる。
今日の「やさしいビジネス英語」(杉田敏/クリス・松下、NHKラジオ第二でPM11:15~11:30)のフレーズから、印象に残ったもの。
竇輔的長處←漫畫(まんが)ページへ
この言い方からすると、、、同じ棟の中どころか同じ部屋を四人で分け借りするというのか?それは日本語で言う「同棲」ではありませんか。アメリカで学生がアパートを複数の人間で分け借りするというのは聞いたことあるが、それでも同棲じゃなかった同性でするのが普通だ。確かに(もし貸主が許可するならば、の話だが)ばらばらに借りるよりは保証金や管理費などを節約できる利点があるとはいうものの、、、、うーむ、ちょっと感覚がよくわからない。
三人の言っている内容は、表の意味としては、
張「竇輔の蔡桃桂への思いはとっても長続きしているんだよ」(持久)
艾「部屋のサイズはとても大きいわよ」(賽斯 = サイズ)
蔡「(ゲーム)プレーが楽しいしね!」(遊戲 = プレー)
だが、、、真の意味は、もはや明々白々。
宇宙荒島篇‧完←漫畫(まんが)ページへ
ということで、海水浴篇~漂流篇~宇宙篇は、おしまい。神秘兔も、二百万光年をワープする。オチもついて、大団円。えーとこのキャラの名前は、、、、名前は、、、、ノドまで出かかっているんだが、思い出せない、、、、
(以下、今回の訳を日本文でお届けします、、、)
狙擊之王的由來←漫畫(まんが)ページへ
ということで、ワンピのキャラのそっくりさんは、そのままワンピのキャラそのものに昇格したとさ。あんまりこのマンガよく読んでいないんで、キャラの話し方がよく掴めないんですよ。というわけで、訳はいまひとつイケてません。
(以下、今回の訳を日本文でお届けします、、、)
今日の「やさしいビジネス英語」(杉田敏/クリス・松下、NHKラジオ第二でPM11:15~11:30)のフレーズから、印象に残ったもの。
小隊長復活!←漫畫(まんが)ページへ
小隊長、新しき目標に向って、ついに復活。だが物欲に捉われすぎだと、愛莉森に嫌われるぞ。モノよりも人との無形のつながりを得るほうが、金を使うための価値があるのだから。
阿甘のしゃべる言葉の訳は、推測です。たぶんこんなところだと思うんだけれど、、、
(以下、今回の訳を日本文でお届けします、、、)
多少吋←漫畫(まんが)ページへ
モバイルに、披薩(ピザ)を落として、12インチ。モバイル用のOSとして、昔WindowsCEっていうのがあったな。(いや、、、今でもある。)CEはドリキャスを動かすOSでもあった。(こちらは正真正銘の、懐かしゲーム機。)Vistaはどうなったんだろうか?といっても、二世代前のWinMeを使っている私には、当面関係ない話題なのであるが。
オフィスの背景には、クリスマスツリーが。最近の京都はエルニーニョの影響で暖冬気味。木枯らしも吹かず、梅雨時のように雨続き。野菜の値段はずっと超安値だ。消費者にとってはありがたいが、生産者にとってはたまったものじゃない。スキー場も雪が全くない状態。冬らしさが到来するのは、当分先のようだ。
今日の「やさしいビジネス英語」(杉田敏/クリス・松下、NHKラジオ第二でPM11:15~11:30)のフレーズから、印象に残ったもの。
令人散盡家財的資訊月←漫畫(まんが)ページへ
台湾の大都市で行なわれる「資訊展」は、各メーカーがブースを出して最新機器を紹介する。台湾のヲタ(と、一般人)たちにとって、散財する祭りとなっているようだ。今が年末、、、というわけではないのだな。台湾の年末年始は、旧正月を採用しているからもっと後だ。だから台湾や他の中国文化圏では、クリスマスと正月が1ヶ月以上離れている。アメリカでもまた年末はハロウィーン(10月末)~サンクスギビング(11月末)~クリスマス(12月末)と、1ヶ月ごとに小出しに祭りを盛り上げている。日本のように12月末~1月初めが集中して祭りとなるのと、どちらが祭りとして楽しめるのだろうか?熱しやすく冷めやすい日本人には、集中した祭りのスケジュールのほうが、体に合っているのかもしれない。
(以下、今回の訳を日本文でお届けします、、、)
番外篇‧毛球寶兒單行本即將發售!←漫畫(まんが)ページへ
出たか!単行本!恭喜恭喜!Congratulations! ¡Felicidades! Glückwünsche! Félicitations! おめでとうございます!
私も、アマゾンで買うことにします。
今日の「やさしいビジネス英語」(杉田敏/クリス・松下、NHKラジオ第二でPM11:15~11:30)のフレーズから、印象に残ったもの。
不能舉一反三的時候←漫畫(まんが)ページへ
ヤンキースの本当の漢語訳は、「洋基隊」だな。バスケやボクシングなんて、まだましさ。シンクロナイズドスイミングや、新体操なんかでコーチが男だったらどうなっちゃうんだろう。相撲の審判員が全員ふんどし姿だったら、相当見苦しいだろう。アイスホッケーで監督がマスクつけっぱなしだったら、試合後はジェイソンへの勝利監督インタビューだな。
今回のタイトルは、日本では使われないイディオム。「一つの例から、その他の例を類推する」という意味だ。日本語の「一を聴いて十を知る」という成語(実はこれも『論語』の中の言葉)とは、少しニュアンスが違う。
(以下、今回の訳を日本文でお届けします、、、)
今日は、一年で最も昼が短くなる冬至の日。冬至の日とクリスマスとがほとんど接近しているのは、偶然ではない。12月25日はもともと古代末期のローマ帝国でキリスト教以上に流行していたミトラ教の、冬至の大祭の日であった。このミトラ教はペルシアが起源でギリシャのヘリオス神信仰とも習合した太陽神信仰であり、「背教者」ユリアヌス皇帝が信仰していた宗教でもあった。すでに国家の庇護を受けて勢いに乗っていたキリスト教会が、ミトラ教を圧倒するために、あえて敵の宗教の大祭の日をイエスの誕生日として指定して敵の宗教行事を乗っ取ったのが、クリスマスの真の起源なのだ。イエスの本当の誕生日は、全く明らかでない。
さて日本の冬至の日は、陰陽思想による「一陽来復の日」として、柚子(ゆず)湯につかるのが昔からのならわしである。昔は銭湯でもこの日にはゆずの塊を網に入れて湯船に放り込み、香り立ち昇るゆず湯を作っていたものだ。今や銭湯じたいがほとんど見られなくなってしまい、スーパーでは各家庭用に小さなゆずがばら売りされている。写真は、四条裏寺町の西導寺で撮影したもの。見事な鬼柚子だ。だが日の光はのどかに暖かく、冬の盛りであるはずの今日の暦の寒さはほとんど感じられなかった。
もう一つのブログで、「知兵之将」の連載を始めた。
週に2または3回のペースで更新していくつもりだ。
冒頭の部分から、とても苦労した。まだ完璧とはいえない。
長編小説だから、流れるように書いていきたいものだ。
こちらの方のブログも、ペースは落ちるだろうが、それなりに更新していく予定。
あと指折り数えられる日で、年が変わる。錦市場の各商店の売り物もまた、正月向けの品揃えとなっていた。京都の食の伝統が、ここには満ちあふれている。正月のハレの食膳に並べられるであろう品々は、さすがによそ者とは一線を画すこの土地独特の文化の重みを感じさせる。
京都は海に遠く、しかも古くから都市文化が花開いていた。その結果として、京都の食は丁寧に仕上げた煮物と、塩や麹を生かした漬物のバラエティーに富んでいる。店頭に並ぶ煮物の数々。中心にあるのは、もちろん京都の正月に欠かせない棒鱈(ぼうだら)の煮物。麩屋町通り西入ル、「不二食品」で撮影。
海には遠いが、京都はすぐそばに琵琶湖がある。だから伝統的な京都の食には、淡水魚が深く食い込んでいる。宮廷料理ならば鯉料理だが、この店先にあるのは、もっと控えめな魚の鮎、どじょう、タニシ、それに琵琶湖のイサザなどだ。御幸町通り西入ル、「のとよ」で撮影。
京都は野菜については本場。京野菜も正月用に正月大根や人参、水菜を揃える。いずれも白みそ仕立ての雑煮に欠かせない食材だ。京都を中心とした関西地方に広がる白みその雑煮は、昔京都の朝廷で白みそがお菓子として出されていたことを庶民がまねたところから関西一円に広まったとか。白みその甘さは、甘いものにありつける機会が乏しかった昔の庶民にとって、めでたいご馳走なのであった。御幸町通り西入ル、「四寅」で撮影した。
成親最終戰←漫畫(まんが)ページへ
二日前台湾東部で、死者の出る地震があった。日本と台湾は同じく地震の頻発国、人ごとではなく心配してしまう。二年前のちょうど年末には、スマトラ沖で巨大津波があった。東海地震も南海地震も、そのうち必ず起る。こればっかりは、環太平洋造山帯の住民の宿命だ。
内容は、再び花支完との戦いの場に立ったタコヤキ娘。前面に、小馬を装着して。正月の余興の二人羽織か?それとも、女性上位系の新手の体位でプレ、、、ドカ、バキ、ヒィィィィッ!
今年の暖冬は全地球的で、ニューヨークでもアルプスでもこの季節ならばあるはずの雪がとんと見られないという。地球温暖化は冬の風景を一変させるところにまで、もう来てしまったのかもしれない。
今週の半ばまでは冬とは言えないような暖かさであった日本の京都も、週末にようやく今年初めての寒波がやってきた。夜中には氷点下近くまで下がり、澄み切った空にオリオン座や双子座、天狼星シリウスなどの冬の星座が都会の光の中でも明らかに輝いていた。
日が変わると雪雲の舌は南に延びて、京都市内においても初雪となった。早朝の石塀小路には、わずかに雪が積もった。巷の雪化粧は、朝餉(あさげ)の時間だけであった。昼になれば、雪はもう消えた。
輕敵←漫畫(まんが)ページへ
装甲は強化したが、段取り悪くて機動力皆無。まさにケーニヒスティーゲルのようだな。攻守に最強のナチスドイツ軍戦車も、かんじんの石油がなくては突っ立った砲台に過ぎない。それでは反転攻勢など、夢のまた夢であった。その意味でヒトラーが資源地帯の掌握を戦争の最重点課題としたのは、ある意味で理解できる判断であった。しかしナポレオン時代の戦争ならば兵隊にパンを食べさせるための穀物を調達すればよかったが、近代戦が拠って立つ重化学工業はたとえ一時的に占領したとしても行政組織全体を乗っ取らなければ鋼板一枚作ることができない。結局ヒトラーは戦争を外交の延長とするのではなしに、戦争で外交に代えたことが、時代錯誤であった、、、なんだか全然漫画の内容と関係なくなってしまった。