中国歴史小説「知兵之将」

今、鈴元仁は歴史小説をブログで連載しています。

内容は、二千二百年前(!)の古代中国です。

始皇帝・項羽・劉邦・韓信・張良・虞美人・呂太后、、、

これらの名前にピンと来た方、あるいは、

郡県制・儒教・陰陽思想・法家思想・孫子兵法、、、

こういったことどもにちょっと興味をそそられる方、

よろしければ読んでやってください。

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台北四十八時間 06/06/30PM03:00

(カテゴリ:台北四十八時間
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ILHA FORMOSA(美しい島) !



淡水の景色は、すばらしい。坂の街である。背景にある陽明山塊から降りてくる傾斜が、淡水河に沈むそのあわいにある。川は間もなく東シナ海に注ぐ寸前にあって大河であり、しかも海水が入り込んで海のような深い色をたたえている。街並みは縦横にはりめぐらされた坂道でつながれて、台湾の都市らしく飲食店が豊富で華やかである。しかしさんさんと降り注ぐ陽光と海からの風の下、油っこさは取り除かれて爽やかな印象を観光客に与える。活力と美がどちらもどちらを圧倒しないで、調和を保っている。そんな小都会であった。


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淡水のメインストリート、中正路にある「天上聖母」である。天上聖母とは、台湾の守り神である媽祖(マースー)のことだ。福建省の実在の女性が神として崇められるようになった存在である。海の神として、その信仰は香港や東南アジアの華僑に広く行き渡っている。そしてこの台湾でもそうであって、媽祖さまは台湾を守護する八百万の神仏の中でも、一頭図抜けている人気を誇る。この淡水のお宮は、小さいながらも台湾らしく華麗で丁寧に作られている。


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生ジュースやかき氷売りに、酸梅湯(スァンメイタン)に豬血糕(チューシェカォ)、、、通りの両岸は、もうすっかり見慣れてしまった食べ物屋の風景である。酸梅湯とは、魯迅の小説にも出てくる、コクのある梅ジュースのことだ。この淡水の店は、どうやら有名らしい。一杯頼んでみた。わずかに塩を利かせてあって、いかにも健康飲料のような味わいであった。だが、上の写真の豬血糕 ― 読んで字のとおり、豬(日本語ではイノシシのことだが、漢語では豚のこと)の血を固めて作った餅のようなもの ― は、とうとう食べる勇気がでなかった。


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渡し場から、対岸の八里(パーリ)にまで水上巴士(水上バス)がひんぱんに往来している。往復36元。私は、チケットを買って、乗り込んだ。



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青い空の下、広々とした淡水河を船は波を切って進む!淡水の街は遠目に見ても美しく、背後にそびえるのは、陽明山塊。陽明山(ヤンミンシャン)とは特定の山を指した名称ではなくて、七星山(標高1120m)、大屯山(同1092m)、嵩山(同989m)らの各山の集まった台北北部の山地全体を指した名称である。淡水河は、この陽明山塊と対岸の八里の背後にそびえる観音山(標高612m)との間をすり抜けて、台北市内にさかのぼっていく。深い森をたたえた山があり、海とつながる大河があり、青い空と太陽の光があり、そして何よりも、人々の生活がある。ここには伝統的な山水画では描けない、枯れた景色からは程遠い豊かな色の風景がある。かつて山水画を生み出した中国大陸は、「遠目から見れば天国、しかし近くに寄って見れば地獄」と言われた。確かにエリートたちが高い水準の文物を生み出したが、普通の人民はひどく苦しんでいたのだ。しかし、この風景はどうであろうか?もちろん未だに人々の中には苦しみや悲しみがある。正さなければならない不正もまた、必ず多くあるであろう。しかしながら、全ての人が不幸であるような地獄の社会からは、少なくともこの地は遠ざかっている。何と喜ばしいことではないか。この淡水の風景は、二十一世紀初頭のアジアにある、ほんとうの宝石の一つではないか。


戯れに、このようなことを言ってみたい。


もし外国人に台湾を見せたいと思うならば、おそらくいちばんよいのは淡水の船着き場に連れて行き、そこから八里行きの水上バスに乗せてみることだ。そうすれば、この島が持つ地形の一つ一つが、まとめて眼前に開けるだろう。前には汽水となった淡水の大河が広がり、この島が海と川とのあわいで生業をたててきたことを、海のような川の色が教えてくれる。右手遠くには黒々としたマングローブ林が見える ― この島が、すでに熱帯であることを視覚的にわからせるものであるが、遠くから見る場合には、想像力を少し働かせてその情景を目に浮かばせよう。目の前にそびえる黒々とした陽明山塊は、ここから島の奥に続いていく4000メートルにもうすぐ届きそうな大山脈の、格好の序章をなしている。その下にある淡水の街並みは、この川をさかのぼった向こうにある台北の都が延長してきた姿であって、この島の住民がしょぼくれた無気力民では決してない、活力のある人民であることを一目で分からせるためのショーウィンドウだ。街の左手にあるのは、赤いプロヴィンシア城。1628年、オランダに先を越されたスペイン人が、ならばこの島の北半分は俺たちのものだと勝手に宣言して、建てた城だ。それもそうだろう、この河口にこうやって船が入れば、誰でもが"Ilha Formosa !"(ポルトガル語:「美しい島だ!」)と叫びたくなる。プロヴィンシア城は、この河口の美しさと、この河口からさらに奥に続いていく「美麗島」の予感にわくわくしたスペイン人が作ったものだ。しかし、彼らはマラリアに苦しんだあげくに、わずか十年でこの城を放棄して去ってしまった。彼らの残した現在は「紅毛城」と呼ばれている城跡は、この島がいかに外国人を魅了したかという事実と、かつてこの島に入って来ては去っていった多くの外国人がいたことを、問わず語りに示しているのである。ジャンクの稚魚のような漁船も、川を上り下りしている。この島は、漁業の島である。ただ、この淡水の景色には、島の風景の重大な要素である農業の風景が足りない。そこで、水上バスに乗り込む前に、淡水の通りでサトウキビを一本買っておくとよい。それをかじって、台中平原の豊かな農村を想像すればいいだろう(ただし、船中では食べるな。対岸に着いてから、味わわなければならない)。この青くて暑い空の下で、何の目的かは知らないが働いている、なんと信じられないほどに様々な人々!理性は、八里郷海岸に打ち寄せる波のように消え去ってしまう。一方想像力はふくらみ、広がり、深まり、ついには地理を形作って濃密な「美麗島」が描かれるのだ、、、


実はこれは、E.M.フォースターの『ハワーズ・エンド』Howard's End第十九章のもじりである。フォースターは外国人にイングランドを見せるための場所として、南イングランドの英仏海峡にほど近い、パーベック・ヒルズの最先端、コーフの数マイル東の頂に連れて行くことをすすめた。試しに、フォースターの叙述にならって、この淡水を「美麗島」("Formosa"の漢語訳)とも呼ばれる台湾を外国人に予感させるための縮図がある場所として、提唱してみたい。ここには、海と、川と、山と、緑と、そして人民の営みがある。


人の書いたもののコピーだけでは申し訳ないので、自分でもヘタな漢詩を作ってみた。七言絶句形式で、口語を交えた表現にしてみたが、どうだろうか?

舟前美麗影嶢嶢

舟前、美麗(うるわ)しき影嶢嶢

山緑河清戲海潮

山緑にして河清く、海潮と戲(たわむ)る

問島將來游哪裡

島に「將來、哪裡(いずこ)に游(およ)ぐか」と問えば

風謡已在地球漂

風は謡う、「已(すで)に地球にありて漂う」と。



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対岸の八里から撮った、陽明山塊である。

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