中国歴史小説「知兵之将」

今、鈴元仁は歴史小説をブログで連載しています。

内容は、二千二百年前(!)の古代中国です。

始皇帝・項羽・劉邦・韓信・張良・虞美人・呂太后、、、

これらの名前にピンと来た方、あるいは、

郡県制・儒教・陰陽思想・法家思想・孫子兵法、、、

こういったことどもにちょっと興味をそそられる方、

よろしければ読んでやってください。

もしお気に入れば、ついでにランキング投票も。

冬 アーカイブ

冬支度 - 知恩院 --->2006年11月30日

これなむ、冬の鳥 - 三条鴨川 --->2006年11月30日

冬枯れ - 平安神宮前 --->2006年12月04日

冬至の日 - 四条裏寺町(西導寺) --->2006年12月22日

青空一景 - 四条大橋 --->2006年12月27日

正月準備 - 錦市場 --->2006年12月27日

餅は餅屋に - 祇園 --->2006年12月28日

朝餉雪 - 石塀小路 --->2006年12月29日

満願の花 - 八坂神社 --->2007年01月03日

通り初め - 新京極・寺町 --->2007年01月03日

冬の花 - 泉徳寺 --->2007年01月14日

椿の観賞法 - 粟田口 --->2007年01月23日

歳、寒くして - 黒谷 --->2007年01月28日

雪はないけれど - 圓徳院横 --->2007年01月31日

鬼も豆食え - 矢田寺、八坂神社、仲源寺 --->2007年02月03日

薄雪化粧 - 知恩院 --->2008年01月25日

雪のこと、何かいふべし - 東山 --->2008年02月09日

京を寒がる - 青蓮院 --->2008年02月24日



2006年11月30日

冬支度 - 知恩院

もはや落葉はますます盛んで、冬の枯景色が訪れようとしている。
知恩院、三門の脇の松も恒例の腹巻き化粧に。地面にはしゃがれた落ち葉が敷き詰められて、舞台背景は秋から冬へと転換する間際であった。



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知っての通り、松が寒がっているから腹巻きをさせているわけではない。寒さの中でマツクイムシを誘い込んで、春に焼却するためだ。やせた土地を好む松の木は、こうして庭園内で育てる以外には次第に山里から追いやられようとしている。山が放置されることによって腐葉土が積もり、コナラなどの広葉樹が支配的となっているからだ。今では貴重な京都のマツタケも、徳川時代にはぜんぜん貴重でも何でもないほど大量に市場に出回っていたと言うのであるが、、、

これなむ、冬の鳥 - 三条鴨川

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ユリカモメが鴨川にやってきた。冬の季節になると、ユーラシア大陸から日本に渡ってくる代表的な渡り鳥だ。『伊勢物語』業平都落ちの段で、隅田川で一行が「これなむ、都鳥!」(これこそ、都鳥ですよ!)と見かけて京の都を懐かしんだ鳥は、このユリカモメのことであるという。



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固まって日なたの川面に休んでは、時々集団で飛び移る。といってもさほど遠くに行くわけでもなく、100メートル程度の距離をあちこち移動するだけだ。時に橋の上を乱れ飛んで、通行人や観光客を驚かせる。


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冬の間じゅう橋の下の川でのんびり暮らしているが、その辺の人間たちよりもはるかに遠い距離を旅行している者どもだ。人間の方が、連中よりもよっぽど視野が狭いのかもしれない。

2006年12月04日

冬枯れ - 平安神宮前

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本格的な寒さが到来して、秋は完全に終わった。

平安神宮前を流れる、琵琶湖疏水のほとりの桜の木々も、すっかり葉を落とした。水上を遊泳する鴨の羽色は、おなじみの冬のモードに。



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葉を落とした桜の枝をよく見れば、すでに来年の春のためのつぼみがしっかりと用意されている。冬枯れの中にも、次の華やいだ季節のための準備が着々と進んでいるのだ。

2006年12月22日

冬至の日 - 四条裏寺町(西導寺)

今日は、一年で最も昼が短くなる冬至の日。冬至の日とクリスマスとがほとんど接近しているのは、偶然ではない。12月25日はもともと古代末期のローマ帝国でキリスト教以上に流行していたミトラ教の、冬至の大祭の日であった。このミトラ教はペルシアが起源でギリシャのヘリオス神信仰とも習合した太陽神信仰であり、「背教者」ユリアヌス皇帝が信仰していた宗教でもあった。すでに国家の庇護を受けて勢いに乗っていたキリスト教会が、ミトラ教を圧倒するために、あえて敵の宗教の大祭の日をイエスの誕生日として指定して敵の宗教行事を乗っ取ったのが、クリスマスの真の起源なのだ。イエスの本当の誕生日は、全く明らかでない。


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さて日本の冬至の日は、陰陽思想による「一陽来復の日」として、柚子(ゆず)湯につかるのが昔からのならわしである。昔は銭湯でもこの日にはゆずの塊を網に入れて湯船に放り込み、香り立ち昇るゆず湯を作っていたものだ。今や銭湯じたいがほとんど見られなくなってしまい、スーパーでは各家庭用に小さなゆずがばら売りされている。写真は、四条裏寺町の西導寺で撮影したもの。見事な鬼柚子だ。だが日の光はのどかに暖かく、冬の盛りであるはずの今日の暦の寒さはほとんど感じられなかった。


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2006年12月27日

青空一景 - 四条大橋

暖かい日が続く。昨日の夜に降った雨は、まるで春先の雨か秋の長雨のように、しのつく勢いであった。雨のやんだ今日の日は、冬でもなく春でもない、何とも形容しがたい湿っぽい生ぬるさ。北極圏の夏のような空気、とでも言うべきだろうか。


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そんな冬らしくない青空を背景に、冬鳥のユリカモメが橋の上を通る電線に留まっていた。雪の影も見えない彼方の北山を眺めて、何を思う。餌の魚さえ獲れれば、意外と今年は過ごしやすいと思っているのかもしれないが。

正月準備 - 錦市場

あと指折り数えられる日で、年が変わる。錦市場の各商店の売り物もまた、正月向けの品揃えとなっていた。京都の食の伝統が、ここには満ちあふれている。正月のハレの食膳に並べられるであろう品々は、さすがによそ者とは一線を画すこの土地独特の文化の重みを感じさせる。



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京都は海に遠く、しかも古くから都市文化が花開いていた。その結果として、京都の食は丁寧に仕上げた煮物と、塩や麹を生かした漬物のバラエティーに富んでいる。店頭に並ぶ煮物の数々。中心にあるのは、もちろん京都の正月に欠かせない棒鱈(ぼうだら)の煮物。麩屋町通り西入ル、「不二食品」で撮影。



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海には遠いが、京都はすぐそばに琵琶湖がある。だから伝統的な京都の食には、淡水魚が深く食い込んでいる。宮廷料理ならば鯉料理だが、この店先にあるのは、もっと控えめな魚の鮎、どじょう、タニシ、それに琵琶湖のイサザなどだ。御幸町通り西入ル、「のとよ」で撮影。



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京都は野菜については本場。京野菜も正月用に正月大根や人参、水菜を揃える。いずれも白みそ仕立ての雑煮に欠かせない食材だ。京都を中心とした関西地方に広がる白みその雑煮は、昔京都の朝廷で白みそがお菓子として出されていたことを庶民がまねたところから関西一円に広まったとか。白みその甘さは、甘いものにありつける機会が乏しかった昔の庶民にとって、めでたいご馳走なのであった。御幸町通り西入ル、「四寅」で撮影した。

2006年12月28日

餅は餅屋に - 祇園

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年末。もう餅つきの風景は、都会では見られなくなった。しかし餅を飾りかつ食べる習慣は、衰える気配を見せない。そこで、餅を餅屋に頼むこととなる。祇園「鳴海屋」の店頭にて。

スーパーではパック入りの鏡餅が今や主流となっているが、こうして店で手作りする餅は、お供えして置いておけば当然かびて腐ってくる。小正月が終わってようやくお鏡を降ろす頃には、全体にカビが回って半分ぐらいはもう食べられなくなってしまう。「どうしてだめになってしまうものを、そんなに長い期間お供えするのか?勿体ない!」などと、中国人ならば思うかもしれない。

2006年12月29日

朝餉雪 - 石塀小路

今年の暖冬は全地球的で、ニューヨークでもアルプスでもこの季節ならばあるはずの雪がとんと見られないという。地球温暖化は冬の風景を一変させるところにまで、もう来てしまったのかもしれない。



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今週の半ばまでは冬とは言えないような暖かさであった日本の京都も、週末にようやく今年初めての寒波がやってきた。夜中には氷点下近くまで下がり、澄み切った空にオリオン座や双子座、天狼星シリウスなどの冬の星座が都会の光の中でも明らかに輝いていた。
日が変わると雪雲の舌は南に延びて、京都市内においても初雪となった。早朝の石塀小路には、わずかに雪が積もった。巷の雪化粧は、朝餉(あさげ)の時間だけであった。昼になれば、雪はもう消えた。

2007年01月03日

満願の花 - 八坂神社

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正月の京都で最もにぎわうのが、南の伏見稲荷大社と、この祇園の八坂神社。大晦日の夜から元旦にかけては大した人手だったようだが、正月三日の今日にもなると混み合いようも中ぐらいだった。



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新暦の一月上旬は、草木も枯れる季節。しかし正月の期間だけは、こうして神社の境内に御神籤(おみくじ)を結んだ白い花が咲き誇る。訪れた多くの参拝者が残した花だ。このうち、去年の願いがかなったもの、あるいは今年の希望が実を結ぶものは、いくつあるだろうか。この白い花々も、その中身は満願の花、半願の花、あるいは残念ながらため息に散る徒花(あだばな)まで様々だろう。とにもかくにも、新年おめでとうございます。



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さて午後にもう一度足を運んでみると、能舞台上で恒例の百人一首が行なわれていた。古装束に扮した上での奉納遊戯が、参拝客の足を留めて舞台下に集まらせる。今日の午後はよく晴れて、神社を訪れる人数も次第に増えていった。

通り初め - 新京極・寺町

桜の季節、祇園祭の期間にも大にぎわいとなる新京極・寺町であるが、当然正月も参拝客の人であふれ返る。通りの長さは大したこともないが、豊臣秀吉が京都の街割りを行なって現代の京都市中のプランを決定して以降、ここは京都の繁華街の象徴的な中心であり続けている。


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秀吉が天正十八年に京都の街割りをしたとき、市中の各所に点在していた小規模な寺社を一ヶ所に集めて整理することとなった。選ばれた土地は、かつて平安京の東の限界である東京極通りがあった近辺であった。以降、この土地は「寺町」と呼ばれ、その通りは「寺町通り」と呼ばれるようになった。そしてその隣の通りが「新京極通り」と呼ばれるのは、ここに東京極通りがあったからである。



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だから多くの小規模な寺院が、寺町附近にはある。新京極通り沿いにある蛸薬師堂も、鏡餅を奉った正月仕様であった。このお堂の前を通る道が、「蛸薬師通り」と名付けられている。京都市中の東西の通りを覚える歌の「あね(姉小路通り)、さん(三条通り)、ろっかく(六角通り)、たこ、にしき、、、」の「たこ」に当たる。



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「たこ」の南にあるのが、「にしき」こと錦小路通り。錦小路通りと新京極通りが交わるところにある錦天満宮も、今日は大入りであった。

2007年01月14日

冬の花 - 泉徳寺

冬の花で最も詩味があるものといえば、福寿草であろう。雪景色と最も合う花である。だが水仙の花もまた、手軽に楽しめてよい。


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ところが水仙も福寿草も、王朝時代の歌には出てこない。水仙は唐から日本に伝来し、絵や歌の世界で定着したのは徳川時代になってからである。一方の福寿草はもともと北日本に自生する花であったが、長らく西日本中心であった文化からは、その存在が見落とされてきた。これも旧正月を飾る鉢植えとして定着したのは、徳川時代のことである。そのせいだろうか、両者ともに唐物くさい異国風の名前が付けられていて、観賞の歴史の浅さを表しているようである。
水仙は、別名「雪中華」と呼ばれる。しかし、今年の冬は全国的に雪が少ない。京都でも、今のところ雪はほとんど見られない。海の向こうからは、狂い咲きの花が咲き始めているというニュースが飛び込んでくる。日本はそこまで暖かくないが、寒くても咲く水仙の花には、本当は雪があった方が似合うというものだ。聖護院横、泉徳寺で撮影。

2007年01月23日

椿の観賞法 - 粟田口

「椿」の字でツバキを意味するのは、日本独特の用法。元来この漢字が表すのは、八千年をもって春と為すという、中国の伝説上の大木のことである。だから、「椿寿」(ちんじゅ)と言えば、これは長寿のことを意味する。木へんに春だからツバキに当てたのは、草かんむりに秋の字でハギを意味させたのと同じ日本人の運用である(「萩」の字の元来の意味は、ヨモギのこと)。



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木へんに春の字を当てたぐらいだから、この花は春まで楽しめる。しかし、春にはもっと華やかな花々が勢ぞろいするために、椿の花はかえって花の少ない冬のほうが目立ってしまう。その花も、丹精込めた紅白の絞りなどは大変立派で美しいのであるが、そこら中の生垣などに植え込まれている花となれば、これはどうも美的感覚に訴えるところが乏しい。知ってのとおり、椿の花は首が転がり落ちるようにぼとりぼとりと落ちて散る。それが庭園の椿などならばまだ風情があるのだが、その辺の道端に面した生垣ではアスファルトの道路に無残に落ちて踏みしだかれ、まさに虐殺シーンである。だから、私は普通に晩冬に見られる椿の花は、好きでない。だがまあこのように水鉢にでも花を浮かべてお化粧をすれば、観賞に耐えられると言うものだ。粟田口青蓮院前の、『ぎゃらりーDodo』店前で撮影。

2007年01月28日

歳、寒くして - 黒谷

子曰く、「歳寒くして、然る後松柏の彫(しぼ)むに遅るるを知る。」
― 論語・子罕篇

間もなく節分。今年の節分は久しぶりの寒気が襲ってきそうな天気予報であるが、節分を境として冬の極みは終わり、日は長くなって春が近づいてくる。桜も楓も葉を全て落とし、春に備えている今日この頃であるが、松の木は冬になってもその青さを変えない。孔子の上の言葉は、松や柏(はく。この場合はコノテガシワ)が冬になって他の草木が衰えるのに反して緑を保ち続ける姿に感銘して、それを君子の姿になぞらえたものである。君子の真価は、世間みなが正しからざる逆方向を向く寒々とした時代において、正道を保ち続けるところにあるのだ、と孔子は言いたいのである。



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京都市中で有名な松の木といえば、たとえば黒谷(金戒光明寺)の境内にある、人呼んで「鎧掛けの松」。平敦盛を討ち取った熊谷直実が、世をはかなんでこの黒谷の法然上人のもとに赴いて、鎧を捨てて剃髪した。その鎧を掛けたのが、この松であったという(ただし古木は枯れてしまって、これは二代目)。『平家物語』や幸若舞曲『敦盛』に描かれている、自分の子供ほどの若武者を討ち取ってしまった直実の改心の物語にまつわる松である。もっともこれは『平家物語』作者の創作であって、敦盛を討ったことが直実の出家の理由ではなかったというのであるが。



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とは言え、直実がこの黒谷で出家して、庵を構えたのは事実である。広大な寺院で、徳川時代には特に繁栄した。急峻な階段の上に三門を置く縄張りは、同じ浄土宗の総本山である知恩院とどこか共通している。

2007年01月31日

雪はないけれど - 圓徳院横

一月も今日で終わり。次第に日が高く、長くなってきた。天気はもう春のようだ。梅の開花も、至るところで始まっている。このまま春に突入してしまうのであろうか。



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福寿草は、旧正月の鉢植えとして徳川時代に大いに流行った。もともとは北日本に自生する花であって、京都などではこうして鉢植えで見るのがせいぜいの楽しみ方である。雪降る冬の寒さから一駆けに咲く、黄色の小花が愛されたのである。だが、こうまで外が温かいと、黄色の花としては春の菜の花を先に連想してしまう。今年の福寿草は、何だかふさわしい時期を奪われてしまって、少々哀れである。
高台寺近辺、圓徳院横で撮影。

2007年02月03日

鬼も豆食え - 矢田寺、八坂神社、仲源寺

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寺社の多い京都では、今日節分の日はいろいろなところで行事が行なわれている。下は、三条寺町の矢田寺(矢田地蔵尊)。おなじみの鬼とお多福の面である。



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こちらは、実物の鬼たち。八坂神社での行事に出演する人たちである。



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八坂神社では、昨日と今日の二日に渡って各種の奉納舞台が行なわれていた。その一つ、舞妓さんの踊り。境内は見物客で、立錐の余地もない。


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舞妓さんの踊りが終わると、豆まきが行なわれた。「鬼は外、福は内」と神主さんが言いながら、下の見物の衆に豆をまく。


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近くにある祇園の仲源寺(目疾地蔵尊)でも、法要の後に豆まきが行なわれていた。今日の日はどこに行っても、豆だらけ。

2008年01月25日

薄雪化粧 - 知恩院

今日、夜明け前に雪が降った。
朝になってみると、八坂の界隈はうっすらと雪化粧。
気象庁の記録では、積雪量0だった。つまり、記録も残らないほどの、あえかな薄化粧。


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知恩院の石段を昇ると、やはり雪であった。
昔は、冬ならば当り前のように見られた景色だったのだろう。
今は、薄化粧でも『ありがたい』。
有り難い冬の景色となって、それゆえにありがたい。去年には一度も見ることができなかった。


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三門から見渡せば、愛宕山もまた雪化粧だった。
クレーンの無粋さなどどうでもよくて、山の白さがありがたい。


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2008年02月09日

雪のこと、何かいふべし - 東山

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雪がうきうきするぐらい降った、そんな朝。私はある人に言伝てあって、手紙をやったんですよ。しかし雪のことについて、書きそびれてしまった。そうしたら返事が帰って来て、こう書いてあった。

― 「この雪、いかが見るか?」という一言すら、書かれていない。そんな無粋なお方のおっしゃることは、聞きたくない。返すがえすも、貴方の御心、情けなし。

これは、やられた。感心した。

今はなき、とある人のことです。これだけのことだけれど、忘れがたい思い出ですよ。

(徒然草 第三十一段を訳す)


今年は、雪の当り年のようだ。豪雪地帯では雪は忌むべきものだが、京都ぐらいでは上の兼好法師の回想にも見られるように、雪はたいていおもしろく眺められるものだ。せいぜい、滑って転ぶことだけには注意しよう。

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2008年02月24日

京を寒がる - 青蓮院

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今日は、二月二十四日。旧暦を調べてみれば、一月十八日に当っていた。 早春の季節だというのに、京都では雪が降った。今の温暖化したご時世には、まことに珍しいことだ。
なには女や京を寒がる御忌詣(明和六・一・二七)

京都では雪が降っても、難波(なにわ)ではからりと晴れていることが大抵だ。今日も、たぶんそうなのだろう。
御忌(ぎょき)とは、法然上人の忌日のこと。もとは旧暦一月十九日以降、東山の知恩院にて開祖を偲ぶ法要が行なわれていた。だから、上の蕪村の句に詠まれたがごとくまだ寒い早春の行事であったのだが、知恩院のホームページによると明治以降月を遅らせて現在は四月の行事となっているとか。だから、もはや御忌詣と寒さは、季節はずれ。


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やぶ入の夢や小豆の煮(にえ)るうち(明和年間)

「薮入り」という語も、とっくに亡んでしまった。もとは旧暦一月十六日のことで、この日に都市で下働きをする奉公人たちが休暇をもらって、実家の父母に会いに行く。つまり「養父(やぶ)入り」から来た言葉であるという。昔は電話も自動車もなかったゆえに、都市で働く子弟たちが実家と連絡できる機会などは盆と正月ぐらいよりない。だから、薮入りは大切な帰省の機会であった。蕪村の句は、実家でささやかに小豆を炊いて子供の里帰りを迎える景色を詠み込んだものだ。しかしこの句も彼の古典趣味に則ったもので、漢籍の『黄梁一炊の夢』の説話と引っ掛けているのだ。漢籍の説話で廬生が見た夢は壮大な栄枯盛衰の一代記であったが、蕪村流に日本化されれば実家で夢見るほのかな夢は、きっとたわいもないものであろう。


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青蓮院のクスノキは、常緑樹で年中青い。青い葉に、雪がかぶさった。昼なおしんしんと寒いが、時折雲の切れ目から注ぐ光は、確かにもう春を告げている。

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