子曰く、「歳寒くして、然る後松柏の彫(しぼ)むに遅るるを知る。」
― 論語・子罕篇
間もなく節分。今年の節分は久しぶりの寒気が襲ってきそうな天気予報であるが、節分を境として冬の極みは終わり、日は長くなって春が近づいてくる。桜も楓も葉を全て落とし、春に備えている今日この頃であるが、松の木は冬になってもその青さを変えない。孔子の上の言葉は、松や柏(はく。この場合はコノテガシワ)が冬になって他の草木が衰えるのに反して緑を保ち続ける姿に感銘して、それを君子の姿になぞらえたものである。君子の真価は、世間みなが正しからざる逆方向を向く寒々とした時代において、正道を保ち続けるところにあるのだ、と孔子は言いたいのである。
京都市中で有名な松の木といえば、たとえば黒谷(金戒光明寺)の境内にある、人呼んで「鎧掛けの松」。平敦盛を討ち取った熊谷直実が、世をはかなんでこの黒谷の法然上人のもとに赴いて、鎧を捨てて剃髪した。その鎧を掛けたのが、この松であったという(ただし古木は枯れてしまって、これは二代目)。『平家物語』や幸若舞曲『敦盛』に描かれている、自分の子供ほどの若武者を討ち取ってしまった直実の改心の物語にまつわる松である。もっともこれは『平家物語』作者の創作であって、敦盛を討ったことが直実の出家の理由ではなかったというのであるが。
とは言え、直実がこの黒谷で出家して、庵を構えたのは事実である。広大な寺院で、徳川時代には特に繁栄した。急峻な階段の上に三門を置く縄張りは、同じ浄土宗の総本山である知恩院とどこか共通している。